小畠日浄とは戦国時代の武将であり、甲斐武田氏の家臣。
浪人衆の足軽大将。
鬼虎として武勇に優れた武将として知られる小畠虎盛の父にあたる人物である。
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小畠日浄とは

由羅

これまたマイナーな人物だよね

甲斐武田家に仕えた小畠(小幡)氏を遡っていった先に行き着く人物、かな

イリス

由羅

といってもあの言葉で有名な虎盛の父親だから、あまり遡れていないような

これ以上は不明だから

イリス

由羅

まあそうだよね……

武田家臣で有名な小畠虎盛や小幡昌盛のルーツはわかるから。それに日浄の娘が大熊朝秀の正室になっていたりと、意外なところでぷち有名な人物と関係があるから

イリス

由羅

大熊朝秀っていうと、上杉謙信や武田信玄に仕えた武将でしょ? 上泉信綱と一騎打ちして引き分けたっていう

そうだよ

イリス

由羅

そういう繋がりを知っておく意味でも、こういった人物も見逃せないわけだね
来歴
日浄の小畠氏は、もともと甲斐国ではなく、隣国の遠江国の勝間田の出身であるとされている。
『寛政重修諸家譜』によると、日蓮宗に帰依していたという記録が残っている。
遠江国にて生まれた日浄だったが、1500年(明応9年)に、子の虎盛と共に甲斐国へと向かい、当時、甲斐守護を務めていた武田信虎に仕官。足軽大将に任じられたと、『甲陽軍鑑』にはある。
日浄については詳しい来歴は伝わってはおらず、生年も不明であるが、没年については子の小畠虎盛が24歳の時に死去したとされており、そこから1514年(永正11年)であるとされている。
後を継いだ虎盛もまた足軽大将となり、信濃国の海津城城代であった春日虎綱(高坂昌信)の副将として、二の曲輪に在城した。
虎盛もまた、日蓮宗に帰依したという。