野村直隆 ~鉄砲衆の頭として各地を転戦した、近江国友城主

野村直隆 ~鉄砲衆の頭として各地を転戦した、近江国友城主

 野村直隆とは戦国時代の武将であり、北近江の戦国大名・浅井長政の家臣。
 主家滅亡後は織田信長、豊臣秀吉と仕えて、鉄砲隊を率いて各地を転戦した。

野村直隆(のむら なおたか)
生年不詳
没年不詳
別名藤左衛門 肥後守
主君浅井長政織田信長⇒豊臣秀吉
直俊

野村直隆とは

由羅
由羅
戦国時代といえば鉄砲。鉄砲といえばいくつか連想できる言葉が浮かぶけれど、その一つが「国友」という名前だよね
うん。国友は現在でいうところの滋賀県長浜市国友町のこと。戦国時代においては堺や根来なんかと共に、鉄砲の生産地として栄えたところだよ
イリス
イリス
由羅
由羅
その国友を任されたのが野村直隆なんだけど、そこまで知名度が高いっていうわけでもないよね
戦国時代から安土桃山時代にかけて活躍した人物ではあるけれど、最後がどうなったのか分からないことなどから、どうしても、ね
イリス
イリス

横山城と姉川の戦い

 野村直隆の生年は分かっていない。

 1570年(元亀元年)に、主家である浅井氏と織田氏の対立により、姉川の戦いが勃発。

 姉川の戦いに至る経緯として、織田氏は浅井氏攻撃のために近江国に進軍するが、その居城である小谷城から横山城までは5~6kmしか離れておらず、織田方にとって戦略的に重要な前線基地となりた。

 そのため織田信長は横山城の攻略に着手。
 野村直隆は三田村国定や大野木秀俊と共に横山城を守っていたが、包囲されることになる。

由羅
由羅
直隆は浅井家臣で、姉川の戦いの前哨戦になった横山城に詰めていたんだね
そう。当初はこれを守り切るけれど、姉川の趨勢がそのまま横山城の運命に直結してしまうの
イリス
イリス
 直隆らはこれを死守し、浅井氏にとっても重要な拠点である横山城を救援するため、浅井長政率いる浅井軍と、浅井氏の盟友・朝倉氏より来援した朝倉景健率いる朝倉軍が合流し、侵攻してきた織田・徳川軍と姉川にて会戦に及んだ。

 これが世に言う姉川の戦いである。

 この戦いに浅井・朝倉連合軍は敗退し、織田方は余勢を駆って横山城を攻略し、直隆らは降伏して小谷城へと退却したという。

 翌年の1571年(元亀2年)には織田方に寝返った、元浅井家臣・宮部継潤が国友城を攻撃。
 これを守っていた野村直隆を宮部勢を撃退するなど活躍する。

由羅
由羅
戦国時代とはいえ、昨日の友は今日の敵、みたいな感じで世知辛いよね
朝倉家なんかもそうだったけど、浅井家でもけっこう裏切り者が続出しているから
イリス
イリス

近江国友城主として

 しかしその後の1573年(天正元年)に、小谷城の戦いを経て浅井氏は滅亡。
 野村直隆は織田氏の家臣となった。

由羅
由羅
直隆は主家滅亡と運命を共にせず、織田家に帰順したんだね
そういう生き方もありだよ
イリス
イリス
 その織田氏の当主・織田信長が本能寺の変で横死すると、直隆は羽柴秀吉に仕え、その旗本の鉄砲頭として近江国の国友2万石の城主となる。

 直隆は秀吉の小田原征伐や朝鮮出兵である文禄の役にも、鉄砲隊を率いて参陣したとされている。

関ヶ原の戦い以降

 秀吉が死去し、1600年(慶長5年)に関ヶ原の戦いが勃発すると、直隆は西軍として参加し、伏見城の戦いに参戦した。

 これよりのちの消息は不明であるものの、関ヶ原の戦いは西軍敗北に終わっており、戦後改易されたと推測されている。