丸岡城(霞ヶ城)

丸岡城(霞ヶ城)

 丸岡城とは福井県坂井市丸岡町霞にあった日本の平山城。
 別名として霞ヶ城の名も知られる。
 いわゆる現存12天守の一つであり、北陸地方においては唯一の現存天守である。
 1948年(昭和23年)の福井地震によって倒壊したものの、1955年(昭和30年)に修復再建された。

丸岡城(まるおかじょう)
丸岡城 復原模型
丸岡城 復原模型
別名霞ヶ城
城郭構造連郭式平山城
天守構造独立式望楼型 2重3階(寛永年間 木造 現存)
築城主柴田勝豊
築城年天正4年(1576年)
主な城主柴田氏 本多氏 有馬氏 青山氏
廃城年明治4年(1871年)
遺構現存天守 移築門 石垣
指定文化財重要文化財(天守)
地図

丸岡城とは

由羅
由羅
丸岡城といえば、現存天守の一つ、しかも最古の天守としてとても有名だよね!
それについては、同じく現存天守の一つである犬山城との間に論争があった上に、近年、江戸時代の寛永年間(1624~44年)に建てられたとみられることが、坂井市教育委員会の学術調査で判明したからな。これが正しければ、犬山城やら松本城乾小天守などがあるから、まあ最古とは言えなくなるか
色葉
色葉
由羅
由羅
残念だね
それでも天守としては、重要な文化財には違いないからな。築城年など些細なことだ
色葉
色葉
由羅
由羅
ちなみに別名の霞ヶ城って?
霞ヶ城という通称は、丸岡城だけでなく福島県二本松市にある二本松城や、山形県山形市にある山県城とかもそう呼ばれるが、丸岡城の場合は城内に雲の井竜神と呼ばれる井戸があってな
色葉
色葉
由羅
由羅
うん。あった
ならそこに説明版もあったと思うが……。織田信長が越前一向一揆を平定した1575年(天正3年)以降、一揆の残党がこの城に押し寄せてくることがあったそうだが、その度に井戸より大蛇があらわれて、❝かすみ❞をかけて城の危機を救ったことに由来するそうだ。まあ、現在でも春先には霞に覆われることがあるそうで、そんなことで霞ヶ城と呼ばれることになったわけだな
色葉
色葉

雲の井竜神
雲の井竜神 遠撮

雲の井竜神
雲の井竜神

雲の井竜神 案内板
雲の井竜神 案内板
由羅
由羅
そんな丸岡城に行ってきたから、紹介するね! ちなみに天守は国宝保存法では国宝扱いだったけれど、現在の文化財保護法では重要文化財の扱いとなっているよ。2006年(平成18年)4月6日には、日本100名城(36番)に選定されているから!

丸岡城の概要

 丸岡城は福井平野丸岡市街地の東に位置する小高い独立した丘陵に築かれた、平山城。

由羅
由羅
丸岡市街にあるものだから、ぱっと見は平城かなとも思ったんだけど
立地は山というほどのものではなくて、丘陵の上にあるからな。しかし現地に赴いて天守を目指そうと思うと階段をそれなりに登らなければならないから、やはり高い位置に立地していることが実感できるだろう
色葉
色葉
由羅
由羅
登った上に、天守の最上階まで行くと、かなり見晴らしいいものね!
 近世に入ってから山麓部分が増築されて、周囲に五角形の内堀が巡らされていた。
由羅
由羅
堀らしきものは全然なかったような気がするけど……?
現在ではほぼ完全に埋め立てられてしまっているからな。現地で雰囲気を察するのは難しいが、しかし丸岡城の天守に入るとかなり詳細な模型が置いてあって、往時の雰囲気を知ることはできるぞ
色葉
色葉
由羅
由羅
うん。あったね。あのジオラマ、ちょっと遊び心がって、見入っちゃうんだよね~

丸岡城 ジオラマ
丸岡城 ジオラマ

 天守は以前、安土桃山時代に建造されたと推定されていたが、2019年3月26日に福井県坂井市教育委員会が、江戸期の寛永年間(1624 - 44年)に建造されたとしてその旨を発表している。

 天守の他に、石垣も現存。

 その他、移築されて現存しているものとして、小松市の興善寺および、あわら市の蓮正寺のそれぞれ城門が、丸岡町野中山王の民家に、不明門と伝わる城門が存在している。

埋め立てられた五角形の内堀だが、復原しようという計画もあるそうだ
色葉
色葉
由羅
由羅
お城といえば水堀もセット、っていうイメージがあるし、それだけ雰囲気が全然違うものね。丸岡城って縄張りが格好いいから、堀が復活したらもっともっと良くなるのに
とはいえ、そう簡単にはいかないがな。実際に復原すとしても、元々の場所にはすでに住宅や小学校があるから、これを移築することは難しい。市有地となっている広場などを用いて一部再現するのが現実的だが、恐らく費用は莫大。目途は全くたっていないし、前途多難であろうな
色葉
色葉
由羅
由羅
うーん、そっか。難しいんだね
だが大分県中津市にある中津城などは、実際に内堀を復原させているし、お隣の石川県では金沢城の外堀「いもり堀」を一部復原しているからな。いずれは、と思いたいところだ
色葉
色葉
 地元の坂井市においては、現行の重要文化財かた国宝化を目指し、2013年(平成25年)に丸岡城国宝化推進室を設置いている。

歴史

安土桃山時代

 1576年(天正4年)、織田信長の重臣で、越前国を拝領していた柴田勝家の甥にあたる柴田勝豊により築城される。
 勝豊はそれまで豊原寺城を拠点としていたが、丸岡城の完成によりこちらに移ることになったという。

 1582年(天正10年)には本能寺の変が勃発し、柴田氏の主君であった織田信長は、明智光秀に討たれて横死した。

光秀は羽柴秀吉らによって速やかに討伐されてしまうが、その後の織田家を巡って清州会議が行われ、勝豊は近江国長浜城に移ることになったそうだ
色葉
色葉
由羅
由羅
長浜城っていえば、秀吉のお城だったところだね
 越前国はそのまま柴田氏の支配下にあったため、勝家は勝豊に代わって安井家清を城代として置いたとされる。

 1583年(天正11年)、柴田勝家と羽柴秀吉が対立し、勝家と柴田氏は北ノ庄城にて滅亡。

 越前国は丹羽長秀が所領するところとなって、長秀は丸岡城主として青山宗勝(修理亮)を置くことになる。

 青山宗勝は丹羽長秀死後、豊臣秀吉の家臣となっていたが、1600年(慶長5年)に関ヶ原の戦いが勃発すると西軍につき、改易されてしまう。

江戸時代

 以後、越前国には徳川家康の次男であった結城秀康が入ることとなり、丸岡城には秀康家臣・今村盛次が2万6千石にて入城した。

 しかしその今村盛次は、1612年(慶長17年) 、越前騒動に連座して失脚する。

由羅
由羅
越前騒動?
江戸時代初期に、越前北ノ荘藩(福井藩)で起こったお家騒動のことだ。藩内は二分。武力衝突にまで発展したという、なかなかの騒動だったようだな
色葉
色葉
 これにより幕府より附家老として福井藩に附せられた本多成重が、4万3千石で新たな丸岡城主となった。

 1624年(寛永元年)、 福井藩2代目の松平忠直が豊後に配流。
 福井藩は減封などの処分が下されることになる。

由羅
由羅
松平忠直っていえば、大坂の陣で活躍して、あの真田信繁(真田幸村)を討ち取ったり、真っ先に大坂城に攻め入ったりして功を上げた人物でしょ? 配流って、何したの?
後年、色々と乱行騒ぎを起こすようになってな。参勤交代を怠ったり、正室であった勝姫を斬り殺そうとしたり、家臣に軍勢を差し向けて討ち取ったり……
色葉
色葉
由羅
由羅
色々やらかしていたわけだね
 この際に、本多成重は福井藩より独立。
 大名となって、丸岡藩が成立した。

 1695年(元禄8年)、 4代重益の治世において、本多家の丸岡藩にてお家騒動が勃発。
 幕府による裁定によって、改易となった。

 これにより、代わって有馬清純が越後国糸魚川藩より5万石で移封。

これ以降、丸岡城は代々有馬氏の居城となって6代続き、明治維新を迎えることになったわけだな
色葉
色葉

近現代

 1871年(明治4年)、 廃藩置県により廃城。
 天守以外は全て解体されることになる。

丸岡城 1875年(明治8年)
丸岡城 1875年(明治8年)

丸岡城 1886年(明治19年)
丸岡城 1886年(明治19年)

 1901年(明治34年)、唯一残されていた天守は丸岡町にて買い戻されて、解体を免れる。
 その後整備されて、城跡は公園に姿を変えた。

丸岡城 1901年(明治34年)
部分修理中の丸岡城 1901年(明治34年)

丸岡城 1912年(明治45年)
1912年(明治45年)
この頃はまだ内堀が健在だったが、大正から昭和にかけて、徐々に埋められていったそうだ
色葉
色葉

 1934年(昭和9年)1月30日 、国宝保存法に基づいて天守が国宝に指定。

 1948年(昭和23年)、福井地震により丸岡城は倒壊。

倒壊した丸岡城
倒壊した丸岡城

 1950年(昭和25年)、文化財保護法が施行されると、天守は重要文化財に指定される。

 1955年(昭和30年)、倒壊した天守を修復。

この修復は、倒壊材を元の通り組み直すことで修復したわけだな
色葉
色葉
 1990年(平成2年)、「霞ヶ城公園」として日本さくら名所100選に選定。

 2006年(平成18年)4月6日、日本100名城(36番)に選定される。

丸岡城の天守

最古の現存天守か

丸岡城天守
丸岡城天守

 現在、北率地方で現存する天守は丸岡城のみとなっている。
丸岡城はぱっと見れば分かるが、他の近世城郭に比べると古式ばった外観をしており、また掘立柱を用いていることからも、以前は現存最古の天守ともされてきた経緯があったわけだが
色葉
色葉
由羅
由羅
でもちゃんと調べた結果、そうでもないことが分かっちゃったんだね
そういうことだ
色葉
色葉

福井地震

 1948年(昭和23年)に、福井地震が発生。

 これは丸岡城のあった福井県坂井郡丸岡町付近をまさに震源とした、マグニチュード7.1の直下型地震であり、丸岡城もまた倒壊することになる。

 1955年(昭和30年)になって、倒壊した建築材の70%以上を再利用することで組み直し、修復されて再建した。

この時に、最上階の窓の造りが引き戸から突き上げ窓に改変されたそうだ
色葉
色葉
由羅
由羅
うん。最上階まで登って外を眺められるんだけど、確かに突き上げ窓になっていたね

最上階突き上げ窓
丸岡城天守最上階突き上げ窓

 構造は独立式望楼型2重3階。
 1階平面を天守台に余分を持たせて造られている構造のため、天守台を被せるような腰屋根が掛けられている。

丸岡城腰屋根
丸岡城腰屋根

 また瓦は珍しい石瓦で、笏谷石製。
 寒冷地であるという気候事情によるものとされている。

丸岡城石瓦
笏谷石製の丸岡城石瓦

 天守内にある階段はかなり急な作りになっているため、補助縄が取り付けられている。

由羅
由羅
この縄があっても、昇り降りが怖いくらい、急な作りなんだよね

天守内階段と補助縄
天守内階段と補助縄

丸岡城に纏わる伝承

人柱お静

お静慰霊碑
お静慰霊碑

 かつて丸岡城を築城する際、天守台の石垣が何度も崩れて工事が進行しなかったという。
 そのため周囲は相談し、人柱を立てることになる。
由羅
由羅
ひ、人柱って
いわゆる人身御供の一種だな。大規模な建築物が災害などで壊れないように神などに祈願する目的で、ひとを生きたまま……というやつだ
色葉
色葉
由羅
由羅
うわぁ
 城下に住んでいたというお静という名の、貧しい片目の未亡人は、自身の子を武士として取り立てることを条件に、人柱になることを申し出たという。

 この願いは受け入れられることになり、お静は人柱として土中に埋められ、そして工事は無事に完了した。

ところがこの約束は反故にされてしまってな
色葉
色葉
由羅
由羅
ど、どうして?
最初の城主となった柴田勝豊が、長浜城に移封になったことはすでに語ったが、これにより約束が果たされなかったそうだ
色葉
色葉
由羅
由羅
……それで、どうなっちゃったの?
あとは推して知るべし、だが……。まあ、当然お静の霊はこれを恨み、大蛇となって暴れ回ったそうだ。そして毎年4月になると丸岡城は大雨に見舞われて、それをお静の涙雨と呼んだというぞ
色葉
色葉
由羅
由羅
霞ヶ城の名の由来も大蛇だったけれど、それとは別にそんな哀しい大蛇の伝説が残っている、というわけだね
 丸岡城内には、現在でもお静の慰霊碑が遺されている。
「ほりの藻刈りに降るこの雨は、いとしお静の血の涙」か
色葉
色葉
お静慰霊碑 案内板
お静慰霊碑 案内板

丸岡城へのアクセス

由羅
由羅
丸岡城に行くには、バスなどの車が便利だよ。無料駐車場もあるから、自家用車でもOK!
 京福バス
  31 丸岡線(明道中学校前・森田経由)「丸岡城前」下車。
  32 丸岡線(町屋町・森田経由)「丸岡城前」下車。
  36 県立病院・丸岡線(福井新聞社前・下安田経由)「丸岡城前」下車。

 北陸自動車道 丸岡ICから約2km。

一筆啓上

一筆啓上碑
一筆啓上碑
一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ
色葉
色葉
由羅
由羅
それって日本一短い手紙として有名だよね!
そうだな。本多重次が1575年(天正3年)の長篠の戦いの陣中から、妻にあてて書いた手紙のことだ
色葉
色葉
 丸岡城内には一筆啓上碑があり、日本で1番短い手紙を募集している。

 これは丸岡藩初代藩主本多成重が、この一筆啓上の文面に出て来る「お仙」であることによる。

 旧丸岡町職員であった大廻政成の発案により、1993年(平成5年)の「母」への手紙として「一筆啓上賞」の公募を始めた。

これらの入選作品を常設展示しているのが、「一筆啓上 日本一短い手紙の館」で、福井県坂井市丸岡町にあるわけで……要は丸岡城のすぐ近くにあるぞ
色葉
色葉
 なおその原文は、

 「一筆申す 火の用心 お仙痩さすな 馬肥やせ かしく」

 である。

日本一短い手紙
日本一短い手紙

本光院(本多家の墓所)

本光院月窓寺
本光院月窓寺
丸岡城から少し離れた本光院に行くと、丸岡藩主であった本多家歴代の菩提寺だな
色葉
色葉
 宝照山本光院月窓寺の創建は1613年(慶長18年)と伝わる。

 本多家歴代の菩提寺として開いたのが始まりで、本多重次の戒名「本誓院殿月窓浄運大居士」と成重の戒名「本光院殿鉄哉士庵大居士」にちなんで、本光院月窓寺お名付けられたという。

本多氏の菩提寺として当時はその規模も大きかったそうだが、お家騒動により本多氏が改易になり、代わって有馬氏が入ると、その菩提寺である白道寺が境内に移されたこともあって、本光院はその規模を縮小されてしまったそうだ
色葉
色葉
由羅
由羅
ここには本多氏歴代藩主のお墓があるよ。境内の外からも分かるくらい大きな作りで、目の前にすると、さすが藩主のお墓って感じだったかな

本多家歴代墓所

本多家歴代墓所

本多家歴代墓所 案内板

丸岡城関連画像

牛ヶ島石棺
牛ヶ島石棺 遠撮

牛ヵ島石棺
牛ヶ島石棺

牛ヶ島石棺 案内板
牛ヶ島石棺 案内板

霞城山 八幡神社
霞城山 八幡神社

栞付きの入場券
栞付きの入場券

丸岡城内にある歴史民俗資料館
丸岡城内にある歴史民俗資料館

忠魂碑
忠魂碑

霞ヶ城公園
霞ヶ城公園

丸岡城マップ
丸岡城マップ

丸岡城鯱
丸岡城鯱

丸岡城