北条高広 ~器量・骨幹、人に倍して無双の勇士

北条高広 ~器量・骨幹、人に倍して無双の勇士

 北条高広とは戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。
 越後国刈羽郡北条の領主であり、北条城主。

北条高広(きたじょう たかひろ)
一文字三星
生年1517年(永正14年)?
没年1587年(天正15年)?
別名毛利高広 喜多条高広 弥五郎 安芸入道芳林
主君長尾為景⇒長尾晴景⇒長尾景虎⇒北条氏康⇒上杉謙信⇒上杉景虎⇒武田勝頼⇒滝川一益⇒北条氏政⇒上杉景勝?
氏族大江姓毛利氏庶流北条氏
家紋一文字三星
父:北条高定
養父:安田広春(北条広春)
兄弟高広 高定 高政
景広 勝広(高常?) 広包 高広(父と同名)
女(那波顕宗室) 女(河田長親室)

北条高広とは

由羅
由羅
北条高広って、煽り文句からするとけっこうな人物だったんだよね?
「器量・骨幹、人に倍して無双の勇士」のことだね
イリス
イリス
由羅
由羅
そうそう! とっても高評価じゃない?
でも同時に「家中一の粗忽者」ともいわれているから
イリス
イリス
由羅
由羅
え……
有能な人物ではあったのだろうけど、とにかくあちこちから誘われるとすぐ裏切って、その度に叩きのめされるんだけど許されて、主君もたくさん変えたっていう……ある意味でなかなかの人物だね
イリス
イリス
由羅
由羅
確かに主君の欄にたくさん名前が……。上杉家はもちろん、北条や武田、ついでに織田家もかぁ

来歴

長尾・上杉家臣時代

 1524年(大永4年10月14日)、越後安田氏及び越後北条氏当主の当主であった安田広春が死去する。

 これにより広春の養子であった北条高広が北条氏を、また同じく養子であった安田景元が安田氏を継承した。

これはどういうこと? と思うかもしれないけれど、ここに出てくる北条氏と安田氏はいわゆる毛利氏の庶流であり、同族だったの
イリス
イリス
由羅
由羅
ずっと遡ると大江氏に行き着くってやつだよね! ちなみに毛利氏は、毛利元就なんかで有名な毛利氏のことだし
その通りだよ
イリス
イリス
 高広は越後国の戦国大名であった長尾氏に仕え、武将として戦功を積んでいく。

 そして1554年(天文23年)、長尾氏と敵対していた甲斐の武田信玄の誘いに乗って、居城であった北条城において、主君・長尾景虎に反乱。

由羅
由羅
わ。いきなり反乱だね。主君の長尾景虎って、要は上杉謙信のことでしょ?
うん
イリス
イリス
由羅
由羅
じゃあ末路は見えているよね……
 反乱は翌年には長尾方の反攻を受けて鎮圧。
 高広は降伏した。
由羅
由羅
処断されなかったの?
うん。許されてその後、奉行として景虎に仕えて活躍したそうだよ
イリス
イリス
由羅
由羅
まあ一度目だしね。織田信長なんかでも、一度くらいは反乱しても許している場合もあるし
 1563年(永禄6年)になると、上野厩橋城主に任命。
 関東方面の政治や軍事を任されることになる。

 そして1567年(永禄10年)、今度は北条氏康に通じて再び謙信に背いた。

由羅
由羅
またやっちゃったんだね。今度は北条氏康。信玄にしても氏康にしても、確かに戦国大名としては見どころのある優秀な人物だけど、謙信だって、ねえ……?
どんなにいい上司でも、転職したくなる時もあるから
イリス
イリス
由羅
由羅
そ、そういうもの……?
 高広の造反の翌年、上杉氏と後北条氏との間で越相同盟を締結。
 これにより高広は北条氏政の仲介もあって、上杉氏に帰参したという。
これ以降は忠実に、上杉氏に仕えたんだよ
イリス
イリス
由羅
由羅
色々転職してみたけれど、やっぱり元の職場の方が良かった、というわけだね
……ちなみに話は変わるけれど、この時北条高広は後北条氏に一時的に仕えることになったのは確かなことで、まずその名字がややこしかったみたいだよ
イリス
イリス
由羅
由羅
あ、そうだよね。表記は同じだけど、まず読み方が「きたじょう」と「ほうじょう」で違うわけだし
うん。当時も紛らわしかったみたいで、後北条氏では高広の姓を表記を変えて「喜多条」として区別したらしいし、高広も元々の姓である毛利を使い、毛利高広って名乗っていたらしいよ
イリス
イリス
由羅
由羅
さもありなん、だね

御館の乱

 1574年(天正2年)には大胡城に入って隠居し、その家督を嫡男・景広に譲った。

 1578年(天正6年)、主君であった上杉謙信が死去。
 これに伴い出家して、安芸入道芳林と号している。

 謙信の死後、その家督を巡って上杉景虎と上杉景勝が争った、いわゆる御館の乱が勃発。

 高広は景広と共に景虎支持に回り、景勝と戦った。

この時、同族だった安田氏は景勝支持に回っているの
イリス
イリス
由羅
由羅
つまり身内同士で争ったんだ?
そういうことになるね。ただ、北条氏と安田氏は仲が悪かったみたい。高広と、安田氏の当主であった安田景元とは生涯対立していたというし。ちなみに高広の最初の謀反について、いち早く謙信に通報したのも景元だから
イリス
イリス
由羅
由羅
もう根が深すぎるね……
とにかくそういった対立や、高広の実父である北条高定が乱の最中に景勝方に殺害されたことなどもあって、景虎方についたみたいだよ
イリス
イリス
由羅
由羅
それで結果は?
景勝方の勝利。中でも安田景元の嫡男だった安田顕元の調略に景虎方は切り崩されたのは大きかったの。さらには高広の嫡男であった景広も戦死し、北条城も落とされてしまったから
イリス
イリス
由羅
由羅
悲惨な結末だよね……
 こうして高広は1579年(天正7年8月)には、武田勝頼の傘下に入ることになる。

没落

 そして1582年(天正10年)には武田氏が滅亡。

 これにより、武田家を滅ぼした織田家臣・滝川一益に仕えることになる。

 しかし織田信長が本能寺の変で横死すると、神流川の戦いにおいて滝川一益が北条氏政に対して敗北。
 これにより一益は没落し、以降高広は後北条氏に仕えることになった。

由羅
由羅
後北条氏に再び、だね
 ところが同年12月になると、沼田城の真田昌幸が後北条氏から離反。
 これに対する出兵を高広は拒否し、上杉氏に帰順することになる。
 この時、後北条氏方の那波顕宗を攻めている。
由羅
由羅
またまた上杉家に返り咲き、と
まあそれを後北条氏が黙って見ていたわけじゃないから
イリス
イリス
 高広の離反に対し、後北条氏は北条氏直や北条氏邦らが出陣し、厩橋城を攻撃した。

 これに耐えきれずに降伏し、厩橋城は後北条氏の手に渡った。

その後、1587年(天正15年)頃に高広は死去し、その家督は子の高広(父親と同名)が継いだとされているよ。そして上杉氏に帰参したけれど、かつての本領を回復することはできなかったみたい
イリス
イリス
由羅
由羅
最後は没落の一途だったけれど、まさに当時の動乱に翻弄された感じだね

毛利氏

高広の北条氏や安田氏なんかは、毛利氏の庶流ということになっているけれど、実際の血筋的には安芸の毛利氏よりも正嫡なの
イリス
イリス
由羅
由羅
そうなんだ
その毛利氏は、遡れば大江広元に行き着くわけであるし、安芸の毛利氏よりも由緒正しい血統という誇りから、代々の当主は「広」の字を用いていたとされているよ
イリス
イリス
由羅
由羅
そういえば安田氏の方も、「元」の字を用いているものね。あ、これは安芸毛利氏も同じか