北条景広 ~北条丹後守さえ討ち取れば、景虎は如何にもなるべし

北条景広 ~北条丹後守さえ討ち取れば、景虎は如何にもなるべし

 北条景広とは戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。
 北条高広の嫡男。上杉家の家臣。上杉二十五将の一人。
 御館の乱において上杉景虎方について上杉景勝と戦い、討死した。

北条景広(きたじょう かげひろ)
一文字三星
生年1548年(天文17年)
没年1579年(天正7年2月3日)
別名鬼弥五郎 丹後守
主君上杉謙信⇒上杉景虎
氏族大江姓毛利氏庶流北条氏
家紋一文字三星
父:北条高広
兄弟景広 勝広(高常?) 広包 高広
女(那波顕宗室) 女(河田長親室)

北条景広とは

由羅
由羅
北条景広っていうと、北条高広の嫡男だよね。高広は有能だったけど粗忽者、っていう何だか矛盾するような評価で有名だけど
別に矛盾してないよ。武将としては優秀。でもおっちょこちょいで、すぐに他人のうまい話に乗って主君を裏切ってしまっただけで
イリス
イリス
由羅
由羅
現代の特殊詐欺なんかにぽんぽん引っかかってしまいそうだね
でもそれを仕掛けていたのが、武田信玄やら北条氏康やら大物だったわけだから、無理も無いと思う部分もあるけれど
イリス
イリス
由羅
由羅
そうだねえ。そんな高広の子の景広はどんなひとだったの?
父親に負けず劣らずの武将だったようだよ。あ、武将として優秀、という意味だけど
イリス
イリス
由羅
由羅
上杉二十五将の一人にも数えられているし、御館の欄では上杉景勝に「北条丹後守さえ討ち取れば、景虎は如何にもなるべし」とまで言わしめているものね

来歴

 1548年(天文17年)、北条高広の嫡男として誕生する。

 1563年(永禄6年)、父である高広と共に厩橋城に入って、上杉家の関東方面の軍事や政治を助けたという。

その武勇は上杉家中でも名高ったようで、「鬼弥五郎」と称されたそうだよ
イリス
イリス
 1574年(天正2年)、父・高広は隠居して大胡城に入り、景広が家督を継承した。
ちなみに厩橋城時代に父親である高広は上杉家を離反し、後北条氏に寝返っているから
イリス
イリス
由羅
由羅
二度目だよね、これって。結局許されて帰参するわけだけど、謙信って優しいよね
謙信に対して反乱した上杉家臣は意外に多いけど、謙信はけっこうみんな許しているんだよ
イリス
イリス
 1578年(天正6年)、主君であった上杉謙信が死去。

 これに伴い、謙信の養子であった上杉景虎と上杉景勝が上杉家の家督を巡って争う御館の乱が勃発。
 景広は父・高広と共に上杉景虎に味方したとされている。

北条氏が景虎方についた理由だけど、同族だった安田氏との対立だとか、景広の祖父にあたる北条高定が景勝方に殺害されたとか、色々理由はあったみたい
イリス
イリス
 景虎方についた景広は、越後国へと進軍して上杉景勝方と各地で戦ったという。
 景広は景虎方の中心人物の一人でもあったことから、景勝は「北条丹後守さえ討ち取れば、景虎は如何にもなるべし」と言って、配下の将達を叱咤したとされる。

 そして1579年(天正7年2月1日)、景広が府中八幡宮に参籠した帰りを狙った景勝方の将である荻田長繁は、これを待ち伏せして襲ったという。

由羅
由羅
うわ。まともに戦っても勝てないから待ち伏せ?
それはどうか分からないけれど、とにかく景広は長繁の槍を受けて負傷し、これが致命傷になって死去したとされているよ
イリス
イリス
由羅
由羅
景広がやられたってことは……
うん。これで景虎方は一気に敗北の道に進んでいくことになるの
イリス
イリス
 景広の死により、景虎方から次々に離反者が出て瓦解し、景虎は敗北した。
 この時景広を討ち取った荻田長繁は、この功により名を挙げたという。

 その後、北条家は後北条家や武田家、織田家など主君を変えながら没落していき、その家督は景広の弟である北条高広(父・高広と同名)が継ぎ、上杉家に帰参したものの、かつての所領が回復されることはなかった。