大河ドラマ『麒麟がくる』の登場人物を、信長の野望シリーズ「大志」の武将能力から見てみようのこの企画。
第13回は徳川家康の伯父、水野信元その人から。
水野信元とは
水野信元といば水野忠政の次男であり、松平広忠の正室。
つまり徳川家康の伯父に当たる人物である。






信元の生年は不詳。
1543年(天文2年)に、父・忠政が死去したことにより、水野家の家督を継承した。






父親である忠政は、三河で勢力を拡大していた松平氏との友好関係構築のため、信元の妹である於大を、松平広忠へと嫁がせている。
ここで生まれたのが松平竹千代こと、徳川家康であった。
しかし忠政の後を継いだ信元は、織田信秀に強力して松平氏と絶縁。
これにより広忠は、今川氏との関係を考慮して於大を離縁することになる。




織田家についた信元ではあったが、1549年(天文18年)頃には織田家不利の情勢となり、織田家と今川家が和睦すると、その際に水野家は今川家の傘下に入ったと考えられている。
その後信秀が死去し、織田信長が家督を継承。
織田家は内紛状態となるが、知多半島では徐々に信長方につく勢力が増え、信元も1553年(天文23年)頃に、織田家に復帰したとされる。
以降は織田家方として戦い、1560年(永禄3年)には桶狭間の戦いが勃発。
この桶狭間こそ水野家の所領の真っただ中であり、織田方として戦ったと思われる。
それまで元信と、今川家にあった松平元康(徳川家康)は、織田家と今川家の代理戦争を呈すかのように戦っていたが、今川義元の死によって松平元康が独立。
家康と信長が清州同盟を結ぶ際の仲介役になったという。
その後、姉川の戦いや三方ヶ原の戦いなど、主要な戦に参戦。
さらに長島一向一揆征伐や、長篠の戦いにも参加している。
しかし1576年(天正3年12月)、織田家の重臣・佐久間信盛の讒言によって武田勝頼の家臣・秋山信友との内通などを疑われ、信長の命によって家康に殺害された。






こうして一度は滅亡した水野家ではあるものの、1580年(天正8年)に佐久間盛信を信長は追放。
有名な19ヶ条の折檻状の中にも、水野家について触れられていることが確認できる。
そして信長は元信が冤罪だったとし、家康配下となっていた信元の弟・水野忠重に旧領を与え、水野家は再興されることになる。
麒麟がくるでの水野信元




信長の野望・大志での水野信元
統率 | 60 |
武勇 | 55 |
知略 | 56 |
内政 | 60 |
外政 | 58 |
志 | 家名存続 |
気質 | 家名 |
格付 | B |
野心 | 10 |
個性 | 韋駄天 鉱山経営 |
戦法 | 急襲 復帰 |
作戦 | 囮挑発 |








まとめ






次回の第15回は明智光秀の叔父・明智光安。その評価は如何に?

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