朝倉天正色葉鏡

最終話 色葉亡きあと

朝倉天正色葉鏡 終章 最終話

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 天正十一年六月二日。

 京にて朝倉家臣・明智光秀による謀反が発生した。
 世にいう、本能寺の変である。

 光秀によって真っ先に狙われた本能寺に滞在していた朝倉色葉を始め、松永久秀を含む多数の者が落命した。

 そして光秀はほぼ同時刻に二条城を包囲。
 これに滞在していた朝倉家当主・朝倉晴景を襲撃し、これを自害に追い込むことになる。

 この時に妙覚寺を宿としていた織田家当主・織田信忠は二条城に助太刀すべく駆け付けたものの、共に奮戦及ばず自害に及んだ。
 晴景の側近であった朝倉景忠や、信忠の側近であった斎藤利治など、両家で重きを為していた重臣も、多数が討ち取られたという。

 京を制圧した光秀は朝倉の残党を追討しつつ、近江へ進軍。
 大溝城の北条景広や佐和山城の江口正吉、八幡山城の六角承禎らに使者を送り、味方につくように勧誘する。

 しかしこれを無視してただちに戦準備を整えた北条景広と交戦することとなり、激戦の末、北条父子を討ち取ることには成功したものの、数日の時を失うことになった。

 その間に、形勢不利とみた六角承禎は、築城の最中であった八幡山城を放棄して伊賀へと退去。
 光秀は明智秀満を派遣して佐和山城に軍を進めたが、城主・江口正吉は徹底攻勢の構えをみせ、籠城戦となる。

 近江を制圧し、織田家の本拠である岐阜城を落とし、一気に濃尾を制圧する手筈だった光秀であったが、局所的な抵抗が激しく、みるみるうちに時を費やしていくことになった。

 このように光秀が手こずる間に、急遽毛利家と和睦した羽柴秀吉が中国より引き返し、怒涛の勢いで京へと兵を進めることになる。

 これを知った光秀はやむなく兵を京に戻し、かつてのように山崎にて秀吉を迎え撃たざるを得なくなったのであった。

     ◇

 六月二日の早朝。
 一乗谷にあった乙葉は、小太郎の泣き叫ぶ声で目を覚ましていた。

「もぅ……。華渓ったら、何をやっているのかしら」

 伸びをして、寝床から這い出した乙葉は足早に小太郎の寝所へと向かう。
 しかしそこでは色葉が残していった小姓たちがすでに集まっており、皆が血相を変えていたのである。

 今日の当番は、大野治長と上杉照虎だったか。

「――乙葉様!?」
「治長、照虎、どうしたの?」
「華渓様が――」
「母上が……!」
「!」

 すぐにも嫌な予感を覚え、乙葉は寝所に駆け込む。

 そこには。

 泣き叫ぶ小太郎のすぐ傍には。

 華渓が纏っていた衣の中に、物言わぬ髑髏となった華渓だったものが、崩れ散っていたのである。

「か、華渓……? うそ。な、なんで……? どういうこと……? まさか、姉様――――?」

 華渓は元々色葉によって妖となった人妖である。

 その華渓が滅びている。

 それはとりもなおさず、色葉に変事があったことを指し示していた。

     ◇

 六月三日深夜。

 備中国において、その報せに最初に触れた黒田孝高は、訳も分からず手が震えるのを抑えることができなかった。
 明智光秀の調略を試みはしたが、ここまでの結果を想定していたわけではなかったからである。

 孝高とすれば、あくまで色葉を疲弊させ、その天寿を如何に削り取るか、そればかりが本命であったといっていい。
 あの色葉を直接討ち取るなど、さしもの孝高でも思いもよらなかったというのに。

 しかし現実に光秀は謀反を起こし、それこそ鮮やかな手並みで成功させ、朝倉家の中心人物をことごとく討ち取ってしまったのである。

 これぞ天祐、であろう。
 身体が震えぬはずもない。

「――殿!」

 孝高は考えられるだけの手筈をすませると、即座に秀吉の元へと向かった。

 主は未だ寝ているだろうが、事は一刻を争うのである。
 この時すでに、四日の未明になっていた。

「起きて下され。急報にございますぞ!」
「む? 何じゃ官兵衛。いつになく怖い顔をして」

 最初はいつもの調子で惚けていた秀吉も、報せの中身を耳にして、血相を変えた。

「そ、それは、まことか?」
「京にて変事があったことは確かでございます」
「む、むむむ、これは如何なることか。如何にすべきか……」

 突然の報に、秀吉は孝高の前でそれはもう取り乱した。
 秀吉は孝高の暗躍の一部は知り得ていたものの、全ては知り得ていなかったこともある。

 またこの状況下が非常に危ういものであると即座に判断できたことも、秀吉が動揺した要因であった。
 下手をすれば、光秀と毛利によって、東西から挟撃される窮地であると思ったのである。

 しかし、孝高の様子は違っていた。
 この危地にあって、動揺している風など微塵も無かったのだ。

「何をお慌てになられる。これはまたとない好機。殿、ついに御運が開かれる機会が参ったのですぞ」
「か、官兵衛……?」

 秀吉はその時の孝高の顔を、生涯忘れられなかったという。

     ◇

 秀吉と同じく、孝高の暗躍を半ば知り、しかし全てを知り得ていなかった毛利家臣・安国寺恵瓊は、秀吉からの突然の和睦交渉の申し入れを、毛利家重臣・吉川元春や小早川隆景へと伝えていた。

 三日の夜のうちに孝高に呼ばれて密会し、四日の朝には毛利の陣営に交渉を持ち込んだのである。

「秀吉め。ここにきて臆したか」
「とはいえ兄上。これは好機でありますぞ」

 毛利の援軍実数は五万。
 秀吉方は三万。

 数の上では一見毛利が優位であったものの、高松城を沈められ、両者にらみ合いが続く中、さらに朝倉の大規模な援軍が派遣されることを掴んでいた毛利方は、積極的な攻勢に出ることができないでいた。

 元春などは主戦を訴えたものの、隆景は慎重論を唱え、総大将たる毛利輝元もこれに追従していたのである。

 ここで一戦交えて勝利し、高松城の救援を果たした後に講和に持ち込む。
 これも一つの手であったが、よしんば敗北すればこのまま一気に敵は毛利領に雪崩れ込み、全ての交渉は打ち切られて毛利家は滅亡の淵に立たされることになるだろう。
 そうなってからでは手遅れである。

「我が軍の総力を見て、敵が和睦を持ち出して来たのであれば、これは一つの成果でしょう」
「しかしこの条件、如何にも受け入れ難い!」

 そもそも秀吉は最初の交渉で、毛利家に対して備中、備後、美作、伯耆、出雲の割譲をもって朝倉家への臣従を明らかにせよと、条件をつけていたのである。
 これが交渉を難航させ、決裂した理由でもあった。

 だが今回恵瓊が持ち帰った条件は、備中、美作、伯耆の割譲と三ヶ国に抑え、しかし新たに備中高松城の城主・清水宗治の切腹を条件に加えていたのである。

「……羽柴秀吉殿は、清水殿の切腹と引き換えに、城内の将兵ことごとく助命すると申しております」

 恵瓊の言葉に、毛利家では紛糾した。
 どちらにせよ、兵力では圧倒的に不利である。
 三ヶ国の割譲はやむなしという結論に至りつつはあったものの、毛利に忠誠を尽くした勇将である宗治の切腹は、やはり受け入れ難いものがあったからだった。

「……兄上。これ以上時をかければ、高松城がもちませぬ。そうなれば、これらの条件は用をなさなくなり、より過酷な条件が付きつけられるでしょう」
「その時は一戦に及ぶまでよ!」
「勝てば良いが、負ければこの毛利は滅ぶのですぞ!」

 隆景は辛抱強く、元春を説得した。

 羽柴家との交渉は、毛利方は安国寺恵瓊が、羽柴方は黒田孝高が担当していた。
 そしてこれは隆景が半ば独自に探りを入れていたことでもあるが、朝倉と長宗我部の交渉決裂や、毛利と長宗我部の協調など、どうにも裏で誰かが動いていた節がある。

 それが孝高であろう可能性を、隆景は考えていた。
 そして今、その孝高からこうして和睦交渉が持ち掛けられている。

 孝高の意図は全て読めないが、少なくとも朝倉家による連合政権発足を良しとしていないのではないかという結論に、隆景は至っていた。
 あの男の手のひらの上で踊るようであるが、今はそうすることこそが最善であると、そう確信してもいたのである。

 恐らく毛利は利用されているのだろうが、利用されてやらねばどちらにせよ手詰まりになる。
 急ごしらえの西国同盟はどうにか形にはなったものの、連携は今のところまず不可能だ。

 最終的には各個撃破されて終わることだろう。
 ならば、あの男の思惑に乗ってみるしか活路は無いのではないだろうか。

 そう結論づけていた隆景は、全身全霊をもって元春をはじめとする主戦派を説得。
 ついには承諾を取り付け、恵瓊を使者として高松城に送り、宗治に開城を説いて、宗治もこれを受け入れたのだった。

 六月四日の正午までに、宗治は自刃。

 これを見届けた秀吉は、ただちに兵の引き揚げを開始することになる。

     ◇

 一方、時を遡って本能寺の変のあった当日。
 堺より京目指して上洛の途にあった家康一行は、河内国飯盛山にてその悲報に接することになった。

「色葉殿が亡くなられただと……?」

 茫然自失となる家康に一報を届けたのは、京の豪商・茶屋四郎次郎こと茶屋清延である。

「馬鹿な、あり得ん。あの色葉殿だぞ? そのようなたわけたこと、誰が信じられるものか!」

 家康に限らず、随行していた家康家臣で色葉を知る者ならば、誰もが家康と同じ心境であったのだろう。
 あの狐姫が、と。

 しかしそんな中にあって、にわかに血色を良くした者がいた。
 穴山梅雪である。

「いや、これぞ天の与えたもうた好機ではござらぬか。家康殿、何を恐れることがあろう。今こそ明智殿と結び、甲斐、信濃を回復して武田家再興を果たす時ですぞ!」
「梅雪殿、何を仰せられるか」
「あの狐姫は人ならざる者。明智殿はこれを討って天の筋道を示されたのです。急ぎ――」

 梅雪は、最後まで言葉を口にすることができなかった。

「……は?」

 気づけば、胸元から手が生えている。
 真っ白で美しい指先だったが、今は真っ赤に染まっていた。

「――これ以上、生きていなくて結構です」

 世にも冷たい声。

 そんなものが響いたと思った次の瞬間には、梅雪の頭はその身体からむしり取られていた。
 噴き出す鮮血の中、ごみのように頭部が打ち捨てられる。

「ゆ、雪葉殿……!?」
「……姫様のおっしゃるように、もっと早くに殺しておけば良かった。そうすればこんな不愉快な言を聞かすにすんだのに……。それに梅雪、などと……」

 執拗に梅雪の身体を損壊させる雪葉の鬼の所業に、勇猛揃いで知られる家康家臣の誰もが何も言えず、何もできなかった。

 雪葉はその場で梅雪に随行していた家臣を皆殺しにすると、どこか虚ろな瞳で京を見やる。
 もう全てが間に合わない。

 自身が色葉の傍を離れていたこの瞬間に、悲劇は起こった。
 ただただ後悔するのみで、それ以上の思考が浮かばない。

 やがて嗚咽を漏らし、崩れ落ちる雪葉であったが、周囲の多くはその所業を恐れ、近づくことも叶わなかった。

 そんな中、意を決して進み出たのが大久保忠隣である。

「――雪葉殿、立たれよ」

 雪葉は応えない。
 しかし忠隣は根気よく、語りかけた。

「……かつて貴殿に命を助けられた恩、それがしも万千代も、そして殿も忘れてはおらぬ。そして徳川の家の再興に尽力下さった、姉殿のことも」
「…………」
「我らは必ず恩を返す。されどそのためにはこの窮地を逃れなくては始まらぬ。雪葉殿、そのお力、我らに貸してはいただけぬか」
「……わたくしは、京に、向かわねばなりません」
「無謀である。京には明智の兵があふれておるぞ。いかな雪葉殿といえど、万の兵を相手にはできはせぬのだ」
「ですが、わたくしは姫様をお捜しせねばなりません!」

 悲痛な声に、忠隣も押し黙った。

「……もし姉殿が無事脱出されたのであれば、もはや京にはおらぬはず。このような時こそ、冷静に事を考えるのだ」

 辛抱強く、忠隣は説得する。
 雪葉の人並外れた力は恐ろしく、しかしかつて助けられたことのあった忠隣はそれを肌身で知ってもいた。

 まずは早々にこの地を立ち去らねばならない。
 光秀は家康一行が堺に向かったことを知り得ているはずで、今後の展開を睨むのならば、これを捕らえるなりして味方に引き込むか、あるいは討ち取って憂いを無くそうとするはずである。

 しかしこの地からの脱出は至難を極めるだろう。
 だが雪葉の助力があれば、希望もある。

 そして何より、これこそが重要なことであったが――この雪葉なる者を、決して敵としてはいけない、と忠隣は判断していた。

「何も江戸まで同行して欲しいと頼むのではない。せめて伊勢にて船に乗り込むまで、お供いただきたい。そしてその後、それがしも北ノ庄まで同行いたして微力ながらお力添えを致す所存。今は何とぞ、お力を貸してはいただけぬか」

 それが雪葉にとって最善であるのかどうか、その時の彼女には正直分からなかった。

 このまま京を迂回することは、色葉を置いて逃げることになるのではないか。

 しかし色葉が無事であるのならば、確かにすでに京にはおらず、越前を目指していることだろう。
 だが色葉の死は確報であるともいう。

 ならば、どうすればいいのか……。
 わからない。

 ともあれ情報を集めねばならない。
 先を急ぐのならば家康一行など足手まといでしかないが、しかし情報収集という点において、やはり組織力を持った家康に雪葉は大きく劣ってしまう。

 乙葉のように、子飼いの妖でもいれば別であるが、雪葉は常に一人で色葉に仕えてきたのである。

「……どこまでご同行できるかわかりませぬが」
「おお、承知していただけるか!」

 喜色を表す忠隣とは対照的に、雪葉は氷のような瞳になって、先を見据えた。
 まだだ、という思いを胸に秘めて。

 雪葉は家康らと共に、一路東を目指す。

 これが後の世にいう、伊賀越えとなるのであった。

     ◇

 一方、秀吉は全軍に鞭打って、大強行軍を敢行していた。
 目指すは京である。

 急遽毛利家との講和を取りまとめ、撤退に及んだ秀吉であったが、念のために毛利への備えとして備前に宇喜多勢一万を残し、残りの手勢にて東へ向けて急いだ。

 街道を封鎖し、少しでも情報が毛利に伝わるのを送らせつつ、一方で京にて変事はあったものの、朝倉晴景や信忠は無事に脱出し、命存えているとの虚偽情報も同時に流す算段もしていた。

 結局毛利には翌日に本能寺の変を知ることになるが、情報が錯綜していたこともあって、次の一手に遅れることになる。

 吉川元春などは秀吉の和睦の意図を知り、地団駄踏んで追撃を主張。
 しかし小早川隆景は一度結ばれた講和を無視することはできないとして、反戦を主張。

 結局、毛利は動くことができなかったのである。

 羽柴勢は六月七日には播磨姫路城に到着。
 ここでいったん休憩し、六月九日には姫路城を出発。
 翌十日には兵庫、十一日には尼崎へと至り、十二日には富田に到着して軍議となった。

 対する光秀は、近江の平定を急ぎつつ周辺の諸将に加勢を求め、毛利征伐に従軍していた羽柴秀長に代わって大和郡山城の留守居を任されていた横浜一庵などの調略にも取り掛かっていたが、十日には秀吉が畿内に向けて進軍していることを知り、迎撃態勢を整えることになる。

 少なくともここで、光秀は秀吉が決して味方でなかったことを悟ったと言えるだろう。
 しかし光秀は何の恨み言を残すでもなく、淡々として迎え撃つ準備したという。

 そして十三日には山崎に到着。
 ここで秀吉は織田信孝を名目上の総大将に仕立て上げつつも、全軍の指揮権は秀吉が堅持し、明智勢と相対することになる。

 信孝は摂津にあって、もっとも京にも近く、まとまった軍勢もその手にあったのであるが、兄・信忠の横死の噂を聞いた兵たちは我先にと逃亡し、結局動くことができなかったのであった。
 そのため秀吉に主導権を取られ、織田家でもひとかどの人物であった信孝がこの時に活躍できなかったことは、のちのちまで影響することになる。

 ともあれ両軍は山崎にて激突した。
 秀吉と光秀が山崎にて戦うのは、実に二度目である。

 この第二次山崎の戦いにおいて、羽柴勢は諸将を糾合して四万の大軍に膨れ上がっていたが、対する明智勢は一万六千程度に留まり、勝敗は誰の目にも明らかであったと言う。
 それでも軍略の才の高い光秀は戦場を山崎という地に設定し、奮戦した。

 山崎はその土地柄からして、大軍を運用できるような地形ではない。
 劣勢の明智勢はここを戦場とすることで、大軍の羽柴勢とどうにか渡り合おうとしたのである。

 しかし光秀の手勢の大半は丹波衆であったこともあり、この時点での士気は著しく低かった。
 丹波衆はかつて、色葉の下で戦ったことがあったからである。

 そして色葉は出産までのしばしの間、丹波亀山城にあった。
 それを討った光秀に対し、心証が良かろうはずもない。

 光秀の用兵も、兵が動かねば用を為さない。
 結果、明智方は徐々に押され、やがて総崩れとなって勝敗は決した。

 光秀は坂本城目指して敗走する道中にて傷を負い、ついには自刃して果てる。

「まさか、殿よりのお誘いがこうも早いとは。叱責は、免れぬな」

 それが、光秀最期の言葉であったという。

     ◇

 六月二日に一報を聞いた家康は、即座に伊賀越えを実施し、三日には伊賀国へと入って伊勢へと抜け、船にて関東に向けて出港した。

 雪葉は途中、尾張にて家康と分かれると、そのまま北進して美濃に入り、油坂峠を越えて一乗谷に直行する。
 近江を使わなかったのは、すでに近江各地に明智の兵が入っており、佐和山城などでは戦となっていたからだ。

 同行した大久保忠隣などは雪葉に追いつくことができず、二日遅れて越前国へと入る始末だった。
 雪葉にしても、他者を気遣う余裕など微塵も無かったといっていい。

 一乗谷に雪葉が到着したのは、六月五日のことである。
 その時にはすでに、それは届けられていた。

 満身創痍となっていた大日方貞宗と、損傷が激しく滅びる寸前となっていた真柄隆基。

 それらが送り届けたものは、紛れも無く雪葉の敬愛する姫のものだった。

 一乗谷には六月三日のうちには本能寺の変の一報が届けられており、その日の夜までには色葉は帰還を果たしていたのである。
 雪葉はいつまでも号泣したという。

     ◇

 すでに夏だというのに、一乗谷はひどく冷え込んでいた。
 未だ泣き止まぬ雪葉の妖気にあてられて、谷全体が凍えてしまっている。

 また、先に色葉だったものと対面していた乙葉はその場で卒倒し、その後回復したもののひとの姿を失って、狐姿のまま居室に閉じこもってしまった。

 そんな中、朱葉のみが表情もみせず、物も言わず、ただただ色葉と共にあったのである。

「……主様。本は燃えてしまったのですね」

 色葉は常にあの黒い本を持ち歩いてくれていた。
 時には周囲に預けることはあったが、それでも基本、自身が肌身離さず身に着けてくれていた。
 だからこそ、朱葉は誰よりも早く色葉の死を知っていたともいえる。

「ほんの少しだけ、お休み下さい。必ずやこの朱葉、その時を見出し、お迎えに上がりますから」

 その囁きは希望か、呪いの類か。

 それがつまびらかになるのはこの天正の世ではなく、慶長の世まで待たなければならない。

 もう少し、先の世のことであった。

     ◇

 語り残したことは多いが、ひとまずは色葉の死をもって終焉とする。
 この先、秀吉は天下の覇権を握り、朝倉家は滅んで豊臣の世が到来することになるのであるが、それはまた別の話である。


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