朝倉天正色葉鏡

第257話 山中温泉

朝倉天正色葉鏡 本能寺之編 第257話

     ◇

 数日間の逗留を終え、金沢を出たわたしは越前国に帰国する道中、加賀山中に立ち寄っていた。

 ここには温泉があり、開湯されて数百年、とか。
 文字通り山の中にあるのだが、すぐ近くに街は大聖寺川の渓谷があり、この脇に走る街道を使えば一乗谷まで距離を短縮することができる。

 まあ、山あり谷ありの道なので、楽とはいえないが。
 一応、大聖寺城と吉崎御坊にも寄っていくつもりだったから、結局北国街道を使うことになるのだろうけど。

 ちなみに現代……というか、未来になれば、越前国でも温泉が発見されることになるのだが、それには明治まで待たなくてはならない。
 いわゆる芦原温泉である。

 場所は分かっているんだし、掘ってみようかな。
 比較的近いとはいえ、山中温泉まで行くのも疲れるし。

 などとのんびり考えながら。
 一日目は温泉につかって疲れを癒すことに専念した。

「ん……。湯治はいいな」
「あははー」

 のんびり湯に浸かっている目の前で、何やら元気になった乙葉が泳いでいた。

「乙葉、泳がないで下さい」

 などと言うのはわたしに抱えられて湯に浸かっている、朱葉である。
 だいぶ大きくなったのではあるが、ここぞとばかりに甘えてくるのが朱葉である。

 見た目は六歳ほどだが中身は三歳児。
 まあこんなものなのかな。

「えー、なんで? 楽しいよ」

 楽しいかもしれないが、こういう場所で泳いではいけない。
 普段なら雪葉が注意しそうなものなのだが、その雪葉がだんまりなので乙葉もやりたい放題だ。

 そしてその雪葉はというと……。

「おい雪葉。大丈夫か?」

 わたしたちから少し離れて、雪葉も湯に浸かっている。
 返事は無い。

 雪葉は雪女の妖なので、基本、暑さには弱い。
 弱いが、それはわたしに出会う前までの話であり、一般的な雪女であれば、だ。

 湯の中に雪を放り込むようなもので、最初は心配したのであるが、雪葉ほどの妖気を持っているとこの程度の湯、何でもないらしい。

 朱葉も大丈夫だと言っていたので一緒に入ったが、しかし改めて考えてみると、雪葉と湯治を共にするのは初めてのような気が……。

「おーい、雪葉?」

 やっぱり返事が無い。
 わたしは抱えている朱葉と顔を見合わせた後、さすがに気になって雪葉の方に寄ってみる。

「あははー」
「乙葉、静かにしろ」

 はしゃぐ乙葉を窘めつつ、雪葉の近くまで行ったわたしは仰天した。

「ゆ、雪葉……?」

 もくもくと湯けむりが立ち込める中、確かに雪葉はいた。
 いたのだけど……。

「はあ……姫姉様……? どうかしたんですか……?」

 そこにはいつものしゃきっとした冷徹な雪葉はおらず、ふにゃけた雰囲気のお子様がいたのである。
 というか身体、縮んでないかこれ……?

「お、おい。雪葉、どうしたんだ……?」
「ええと……なんでしょう……?」

 慌てるわたしとは対照的に、雪葉は酔ったように意識も曖昧なようだ。
 いや、どう見ても完全に酔っているぞ、これ。

「朱葉、どういうことだ?」
「…………なるほど」
「なるほど、じゃなくて説明しろ」
「雪葉がその気になれば、この程度の熱さなど造作も無く凌げますが、しかしそれをすると、ここら一帯は冷水になってしまうと判断したのだと思います」

 冷水。
 それはちょっと困る。
 わたしはどちらかというと、寒いのは苦手だし。

「ですから敢えて妖気を抑えたのでしょう。結果、縮んでしまったようです」
「縮むものなのか……?」
「現に縮んでいますし」
「それはそうだが」

 ああ……これってあれだな。
 初めて出会った頃の雪葉そのままだ。

「あー、雪葉ったらちんちくりんになってる!」

 どかっと飛沫を上げて、乙葉が雪葉をのぞき込む。

「……乙葉姉様、もっと静かに恥じらいをもって、行動して下さい」

 あ、こういうところは同じなのか。
 小さくなっても雪葉は乙葉に説教を始める。
 だがそんな雪葉に乙葉は愕然となったのだった。

「い、いま、今! なんて言ったの!?」

 がしっとその細い肩を掴み、乙葉が急接近する。

「い、痛いです。乙葉姉様、離して……」
「姉様! 雪葉が妾のこと、姉様って呼んだの!」
「……む?」

 そういえばわたしのことも、姫姉様とか呼んでいたな。
 雪葉は普段、わたしのことは姫様と呼ぶし、乙葉のことは乙葉様と呼ぶ。

 それはわたしたちが義姉妹になった後も、変わらなかったのだが。

「うわー! ねえ雪葉、もう一度呼んで! もっと呼んで! いっぱい呼んで!」

 あ、なんか乙葉の奴が壊れたな。
 よほど青天の霹靂だったらしい。

 しかしそんな雪葉は乙葉の魔の手から逃れると、そのままわたしの方へとやってくる。

「朱葉、どいて下さい。次はわたしの番です」

 あ、今度は朱葉を呼び捨てにしたぞ。
 どうも雪葉の本音というか、そういうのを垣間見た瞬間だな、これは。

 言うが早いか、雪葉はわたしに抱き着いてくる。
 ひしっと抱き着くその様子は、それこそあの時のようだ。

「あー! 雪葉、ずるい! 妾より小さくなったのは褒めてあげるけど、それを利用して姉様にくっつくのは卑怯よ!」

 そういうものなのだろうか。
 わたしとしてはなされるがままで、ちなみに朱葉も自分の立ち位置を譲る気は無いようで、わたしから離れる様子はない。

 そんな騒ぎがしばらく続き、わたしは湯治で疲れを癒すどころか、逆に疲労が増えてしまう羽目になった。
 やれやれ、である。

 しかし酒ではまったく酔わない雪葉なのに、温泉では酔ってしまうのか。
 そして酔ってしまった雪葉は初めて会った頃の子供のように、見た目も精神も幼いものになってしまうらしい。

 本当、湯をかけて縮んだ雪だるまのようだ。
 さすがは雪女。

 もっともこれはこれで可愛かったのだが……あまりに愛くるしいのでわたしが思わず構ってやっていたら、乙葉が膨れてしまった。
 しかし乙葉よりも見た目が小さくなってしまうので、普段とは違い、本当に末妹のような雰囲気になり、乙葉もまんざらではなかったりする。

 これはこれで、なかなか得難い経験だったのかもしれない。
 たまにはこういうのもいいものだ。

 だが、そんなのんびりとした雰囲気が一変したのは、翌日の事だった。
 北ノ庄より早馬が到着し、状況の急変を伝えて来たのである。


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