朝倉天正色葉鏡

第238話 里見家の臣従

朝倉天正色葉鏡 天正政変編 第238話

     /色葉

 天正十年四月十五日。
 新府城にて信濃、甲斐の仕置きを行っていたわたしの元に、相模一国と武蔵をあらかた掌握した徳川家康が訪れていた。

「思いの外早かったな?」
「そうでもありませぬ。未だ下総では北条氏規が抵抗を続けていますゆえ」

 殊勝に頭を下げる家康を、わたしは上座からふんぞり返って見下ろす。
 北条の残党は下総にて再起を図るべく結集しており、家康もこれを壊滅させることができないでいた。
 これは北条氏規が思っていたよりも有能であったことに加え、家康も武蔵の平定で手いっぱいであったためでもある。

 ちなみに鉢形城の北条氏邦は上杉に降伏し、開城。
 景勝はこれの命を助けたらしい。
 ともあれ上野は上杉家によって完全平定され、今や組織だった抵抗を続けているのは氏規のみになった、というわけだった。

「まあじっくり攻めればいい。それに案外残しておいた方が、都合がいいのかもしれないしな?」

 皮肉げな笑みを浮かべつつ、わたしは家康と共に随行したもう一人の人物を見返したのである。
 そこに座していたのは里見義頼。
 安房、上総を支配する安房里見氏の第七代当主だ。
 その里見家の当主自らがわたしの前にいるのには、理由があった。

「義頼、だったか」
「ははっ」
「しかし本当にいいのか? 関東についてはしばらく放っておくつもりだった。何も好んで臣従を申し出る必要も無かっただろうに」

 そう。
 里見家はこれまで北条家と争い続けてきたが、後に氏政と和睦し、自身の所領を守ってきたのである。
 しかし北条家が滅亡の危機に瀕していることでこれを見限り、家康を通してわたしへの従属を申し入れてきた、というわけだった。

「安房と上総の安堵さえ認めていただければ、喜んで朝倉様にこの身を委ねたく存じます」
「……ん、そうだな」

 里見義頼といえば、史実において北条家に対抗するために、常陸の佐竹義重や甲斐の武田勝頼と同盟して包囲網を結成したものの、武田家が滅亡して同盟は破綻。
 義頼は北条から攻め込まれるもののこれを撃退し、同時に秀吉と結んで連携するなど所領を外交的に守った人物である。
 今回も即座に動くあたり、鼻の利く輩なのだろう。

「まぁいいだろう。この朝倉に臣下の礼をとった大名は、お前が初めてだ。優遇するぞ?」
「ありがたき幸せにて!」

 実際、里見家が戦国大名として最初に朝倉家にひれ伏した勢力となる。
 この動きを見れば、奥州の連中とて朝倉を無視できなくなるだろう。
 そういった意味では里見家の臣従の意義は大きいか。

「――つきましては我が次男・弥九郎をお納めいただきたく」
「人質か? 別にそんなものはいらないが」

 わたしの言葉に義頼はきょとんとなった。
 あまりに意外な言葉に思えたのだろう。

「いずれ逆らいたくなったら逆らえばいい。ただしわたし自身はどうも裏切りを許せない性質のようでな? その時は肉片も残さず一族は滅ぶと心得ておけ」

 今回の武田のことで自覚したのだが、裏切りに対してはついつい反応が過剰になるきらいがある。
 それでいて家康や信忠の謀反に加担しているのだから、わたしも大概ではあるが。

「で、ですが」
「何だ。不満なのか?」

 言い募ろうとする義頼を、胡乱げにわたしは見返す。
 そして何となく察しがついた。

「ああ。なるほど。人質を出しておかないと逆に心配なわけか」

 人質となるのは身内であり、誰しもそんなものを他家に送り込みたくはないだろう。
 しかし人質は同時に忠誠の証ともなる。
 そういった明らかなものが無いと安心できない心境は、まあ分からないでもない。

「そういうことなら別に構わんぞ? 好きにすればいい」
「ははっ!」

 義頼もどこか安堵したように頭を下げた。

「あと、義頼」
「は」
「わたしへの挨拶はこれで十分だが、一度晴景様にも挨拶に行け。話は通しておく」
「承知いたしました」

 この朝倉家の当主はあくまで晴景である。
 その晴景が認めて初めて両家の関係は成立するというものだ。

「ところで朝倉晴景様は、今いずこに……?」
「三河にいる」

 信忠の謀反により信長は死んだ。
 それはいい。
 織田家中も大半は信忠の家督継承を認めざるを得なかったが、唯一反抗の兆しを見せた者がいたのである。

 それが柴田勝家だった。
 勝家は三河や遠江攻略を信長に命じられたままで、現在ここに割拠しているのである。

「……信長殿のことは、驚きました」

 ぽつりとそう洩らすのは家康である。
 片や謀反を成功させてお家再興を果たし、片や謀反されて命を落としたのである。
 その両方にわたしは関わっていたのだから、家康としては複雑な思いもあるのだろう。

「お前と信長は義兄弟、だったか?」
「そのようなものでした」
「ふぅん。しかし勝頼にお家を滅ぼされた時、信長でなく氏政を頼ったのは腹に一物あってのことだったと思うんだが……どうなんだ?」

 家康が織田家でなく北条家を頼ったのは、やや不自然にも思える。
 まるでこうなることを見越していたのではないかと、邪推してしまう。

「たまたま時の流れなれば」
「……まあ、そういうことにしておいてやろう」

 実際、家康はうまくやったはずである。
 もし織田についていたら、今回の内乱に巻き込まれてどうなっていたやら分からない。
 信忠あたりならば、真っ先に家康の排除を狙ったかもしれないからだ。

 一方で北条を頼ったことで、今や相模と武蔵二ヶ国の主である。
 単純に運がいいだけとは思えない。

「今回の柴田勝家は、もしかしたらあり得たかもしれないお前自身だ。そう思わないか?」

 もし家康が信長を頼っていたら、三河侵攻の軍勢を家康に任したかもしれない。
 そして今回の変事。

 かつての桶狭間同様、これを機に家康は独立を三河の地で図ったであろう公算は高い。
 そうなっていたら、これ幸いとわたしは徳川を攻め滅ぼしていたことだろう。

「もしもの話など、戯言でございます」
「そう警戒するな? お前の処世を褒めているだけだ」
「処世……でございますか」
「わたしはそう思うがな。まあいい。話を戻すが柴田勝家のことだ。あれはお前と違って野心でというわけではなく、単に今回の件に納得がいかないだけだろう。このまま三河で割拠し続けるとも思えない」

 勝家の態度は今のところ曖昧であるが、信忠の行動に疑問や不満も持つ織田家中の者が、密かに勝家の元に走っていることは明々白々である。

「三河だけでなく、遠江半国も加えればそれなりの力になる。信忠にしてみれば頭が痛いだろう」
「だからこそ、こうも早く朝倉殿が動かれたのでは?」
「わたしというか、晴景様がな」

 今回の件で真っ先に行動したのは実は晴景だった。
 わたしなどはこの機に三河に攻め入って、遠江と三河も抑えてやろうかとも思ったのだけど、まるでそんなこちらの心境を察して機先を制するかのように、晴景が言ってきたのである。
 柴田殿を説得したい、と。

「どうも晴景様は勝家のことを評価しているらしい。放っておいてはわたしに踏み潰されて無残なことになるだろうと、心配したのだろう」
「つまり、晴景殿は勝家殿の説得のために三河に向かわれた、と?」
「そういうことだ」

 晴景と勝家は疋壇城にて激戦を繰り広げたことがあった。
 どうやらその時に、何やら感じるものがあったらしい。

「……それでよろしかったので?」
「晴景様が決めたことならば否やはない。お前たちがわたしのことをどう思っているのかは知らないが、当然晴景様のことは尊重するぞ?」

 本音である。
 それに戦はいい加減疲れたので、そろそろ帰還したくはあったのだ。
 これ以上、東海道などに関わっていたくない、という気持ちもある。
 しかし、だ。

「三河のことは、まあどう転んでもいい。晴景様が不始末をすれば、後はわたしが適当に片付ける。問題は駿河だ」

 駿河というより、穴山梅雪である。
 梅雪は小田原の変に呼応し、伊豆を奪取してこれを併呑した。

 それはいいが、問題なのは今この場にいないことである。
 里見義頼がいて穴山梅雪がいないものだから、余計にわたしの心証を悪くしたことは言うまでもない。

「穴山梅雪の首を持ってこい」
「――――っ」

 わたしの一言に、家康は息を呑んだ。

「それと引き換えに、駿河をくれてやる」

 武田家の裏切り者である梅雪を、わたしは許すつもりはない。
 一族郎党皆殺し。
 これが基本方針である。

 が、梅雪が謀反に至ったのは家康の調略があったからであり、家康がこれを御せるのであれば、とりあえずは見逃すつもりでいた。
 しかし今回、家康と共にわたしへの挨拶を行わず、領国に引きこもったとなれば、もはや生かしておく道理もない。

「お、お待ちを」

 さすがに慌てたように、家康がわたしを押しとどめた。

「穴山殿は病床にあり、参ずることができなかったのです……。何とぞ、御寛恕を」
「病だと?」

 どうせ口実だろう。
 例え本当に病であったとしても、それならそれで単に運が悪かった、というだけである。

「……何とぞ」

 頭を下げる家康に、わたしは嘆息する。
 家康にしても梅雪を引き入れた手前、これを見殺しにするのは忍びないのだろう。
 そして家康の名にも影響するから、これは当然助命を請うてくるというわけだ。

「ふん。ならお前の顔をとりあえずは立ててやる。しかしわたしに逆らったのだから、相応の代償は覚悟しろ。まず梅雪が自ら切り取った伊豆の領有は認めるが、駿河は放棄させろ。これを呑むのなら目こぼししよう。ただし、お前に駿河をくれてやる話は無しだ」

 駿河を捨てて梅雪を助けるか、梅雪を切って駿河を得るか、という話である。

「……感謝いたす」

 結局家康は梅雪を説得する道を選んだ。
 北条氏政を裏切っただけでなく、穴山梅雪まで見捨てたとなれば、あまりに体裁が悪いと考えたのだろう。

 一国よりも名声をとったというわけだ。
 まあそれならそれでもいい。

「して、色葉様はいつまでこの甲斐にご滞在を?」
「帰りたいが、やはり仕置きには時がかかる。東海のことや、織田との折衝もあるからな。落ち着くまでは甲斐や信濃にいるだろう。やれやれといったところだ」

 三河方面が落ち着き次第、遠征軍は順次帰国させる予定である。
 わたしが帰るのは最後になるのだろうけど、甲斐国は思っていたよりも疲弊しているので、民の慰撫を含め、後任の人事などやることは多い。

 何なんだこの多忙さは、と天を仰ぎたい気分である。
 とりあえず晴景には先に戻ってもらうか。
 一年も越前を留守にしていては、さすがによろしくない。
 そういえば乙葉ともずっと会っていないな……。

 あぁ、帰りたい。
 帰って一乗谷でごろごろしたい。
 そして一年くらいはゆっくりしたいぞ……。

「家康」
「は」
「関東のことは任せる。うまくやれ」

 さて、これでどうなるのか。
 しばらくは静観だな。


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