朝倉天正色葉鏡

第199話 家康撤収

朝倉天正色葉鏡 甲州征伐編 第199話

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「――殿、軍議は如何相成りましたか」

 やれやれといった雰囲気を全身から滲み出している主君を見つけ、石川数正は足早に駆け寄った。

 甲斐新府城。

 これを落とした北条方はこれを接収し、次なる侵攻の拠点として新たな軍議を開いていたのである。
 北条の将としてこれに参加していた徳川家康であったが、数正が見るにどうも機嫌がよろしくない。

「数正、江戸に引き揚げだ」
「なんと」

 思わぬ言葉に数正は驚いた。
 駿河、遠江、甲斐と手中に収めながら、ここで撤退とは如何なることなのか。

 北条家に身を寄せてよりの家康の戦功は、まさに華々しかった。
 まずは押し寄せた武田勝頼の軍勢に対し、その軍略をもって壊滅せしめ、勝頼の首級をとるという大手柄をあげたのが始まりである。

 続いて駿河に侵攻し、武田家重臣・穴山梅雪を調略。
 労せずして駿河国を手に入れることができた。

 更に遠江へと侵攻。
 高天神城では徹底抗戦の構えをみせた岡部元信に対し、これを落城せしめ、遠江半国を平定するに至る。

 そして武田の本拠、甲斐国へと侵攻。
 新府城に一番乗りを果たし、逃亡を図った武田信勝を天目山に追い詰め、ついにはこれを滅ぼしたのである。

 まさに目を見張る戦功であった。
 とはいえ甲州征伐はこれで終了したわけではない。
 南信濃や甲斐は平定したものの、北信や上野方面は未だ武田の残党がおり、これらを服従させねばならない。

 また高遠城では諏訪景頼が徹底抗戦の構えを見せ、織田方の足を止めてしまっている。
 また深志城には朝倉の大軍が、すでに援軍とした到着しているという。

 すでに瓦解しつつあった武田の抵抗よりも、朝倉の援軍の報がよほど恐ろしいと家康は考えていた。
 このような情勢下において、次なる方針を定めるための軍議であったのだが、その軍議は紛糾したという。

「――では、この先に兵は進めぬと……?」
「いや、進軍は続ける。帰るの我らだけだ」

 軍議の席で、家康はまず高遠城の奪取を最優先すべきであると主張した。
 まず高遠城を落とし、侵攻している織田方と協力して、朝倉勢に当たろうという考えである。

 しかし北条の諸将は敢えて火中の栗を拾う必要は無しと、北進を主張。
 幸いなことに小諸城の下曾根浄喜が北条家に対して帰順を申し出ており、すでに武田信豊を討ち取ったともいう。

 北条氏照はまさにこれを僥倖として、一気に佐久や小県を制圧し、上野に兵を進めて北条氏邦と協力し、武田の残党を殲滅すべきであるとした。
 織田が足踏みしている間に、信濃や上野を手中に収めてしまおうという算段である。

 この案に関して、それはそれで一理あるとも家康は考える。
 むしろ合理的で上策に思える。

 しかしそのようなことは敵――この場合は武田でなく朝倉だが――も思い至るに違いない。
 とすれば、北条の動きを放っておくだろうか。

 家康はその点を懸念として伝えたが、一蹴された。
 高遠城には朝倉家当主・朝倉晴景がすでに援軍として入っており、しかし数の上では未だ劣勢。
 しかも高遠城の諏訪景頼は、晴景の義弟でもある。
 そして噂に聞く朝倉の姫であっても、これを見捨てるはずはなく、まずは高遠城の援軍に向かうであろうというのが大方の読みであった。

 これも一見、間違っているとは思えない。
 常識的な判断である。

 そして朝倉と織田は積年の宿敵同士。
 相争うは当然のことで、自然な流れであろう。

 その間に、北条は漁夫の利を得る。
 結局今後の方針は、そのように定まったのであった。

「しかし解せませぬ。何故我らのみ撤収に及ぶのです……?」

 家康の話によると、徳川隊のみが兵を退くことになった。
 数正にしてみれば、首をひねる道理である。

「下手を打ったといえば、そうなのだろうな。功を挙げすぎて北条諸将の妬みを買ってしまったようだ」
「それは北条どもが無能揃いだからではありませぬか!」
「これ以上、功を挙げられてはたまらん、といったところだろう。それに氏照殿の勘気を被ったこともまずかった」
「勘気、ですと?」
「天目山にて氏照殿の妹君が自害されたことを、恨みに思っているのだろう」

 武田勝頼には側室として、北条氏康の六女・桂林院が嫁いでいた。

 御館の乱の際に、勝頼は桂林院の兄である上杉景虎ではなく、上杉景勝に加担。
 これにより甲相同盟は破綻した。

 この時点で桂林院は相模に戻されてしかるべきであったのだが、桂林院は兄である景虎を救えなかったことを恥じて、実家に顔向けできぬとし、甲斐に留まったのである。

 また勝頼との仲は睦まじかったともいわれている。
 桂林院は信勝に最期まで付き添い、共に天目山にて自害して果てたのだった。
 享年十八であったという。

 天目山を攻めたのは徳川隊であり、この結果に氏照は酷く立腹したのだ。

「されど、このようなことは世の倣いなれば、殿を恨むは筋違いでありましょう」
「ではあるが、ひとの情などままならぬものであるしな。とにかく、このまま陣中に居座るのは危うい。そこで諸将の妬みを逆手にとって、我らのみ撤退できるように話を誘導したのだ。ほとぼりが冷めるのを待つか、あるいは……」
「殿?」
「いや、何でもない」

 家康はそれきり黙して語らず、兵をまとめ、足早に甲斐より撤収に至った。
 こうして北条勢は一路、小諸城目指して進軍することになったのである。


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