朝倉天正色葉鏡

第179話 畿内平定

朝倉天正色葉鏡 大坂独立編 第179話

     ◇

 陥落した佐和山城へと入ると、未だに城内は荒れており、そこかしこに死体が転がっていた。
 そんな中、場違いなほど得意げな笑みをみせて、乙葉が駆け寄ってくる。

「一日に二つも城を落とすとはな。よくやった」
「えへへ」

 頭を撫でてやれば、嬉しそうに乙葉は身をよじらせた。

「元明。お前も意外にやるじゃないか。評価を上げたぞ?」
「恐悦至極に……ございます」

 城攻めの総大将の任にあった武田元明は、傍目にも分かるくらい疲労困憊となっており、今にも倒れそうな有様である。
 そんな様子にわたしは苦笑した。

「許すから休め。掃除はこちらで引き受けよう」
「はっ……。申し訳……」

 そこで気力が尽きたのだろう。
 元明はひっくり返って気を失った。

「なによ。だらしないの」
「ふふ。そう言うな」

 元明は若い上に、出陣の経験自体がわたしの配下になってからしかない。
 乙葉に付き合って無理をしたのだから、当然の結果だ。
 むしろ頑張ったと褒めてやるべきか。
 まあいい。

 ちなみに佐和山城での生存者は無し。
 わたしの命を守った乙葉が、一人残らず討ち取ったからである。

 本丸に入り、取り急ぎ片付けさせて仮設の本陣とすると、わたしは戦果の確認と情報収集に努めた。
 まずこの佐和山城を奪取。
 安土城も落としたが、あそこは放置したので占領には至っていない。
 というかまだ燃えている。

 また合戦自体に関して言えば、とりあえず朝倉方の勝利は間違いない。
 が、こちらも少なからず被害を受けている。

 まず城攻めを強行したため、それなりの負傷者を出していること。
 また景建に任せた別動隊の内、三分の二は死傷し、ほぼ壊滅状態にあるということ。
 辛うじて三~四千程度が塩津に逃れることができただけで、後は手酷くやられる結果となった。

 また景建や員昌といった人材を失ったことも痛い。
 さらに言えば、長浜城も焼失した。
 湖北の支配拠点であった長浜城を失ったのは、想定していたとはいえ決して望んだ結果というわけでもないのである。

 ともあれ勝利は勝利だ。
 そして織田方の被害は甚大。
 これも疑いようのないことである。

「色葉様。これから如何なさるおつもりで?」

 久秀に尋ねられ、しばし考え込む。

「とりあえず、この機に乗じて近江から織田を駆逐する」
「それには京の明智光秀が邪魔かと心得ますが」

 今度は久通にそう言われ、分かっているとばかりにわたしは頷いた。

「百も承知だ。秀吉に使者を送り、兵を進ませろ」
「はっ」
「それから伊賀にいる六角承禎にも使者を送れ」

 六角承禎とは以前、わたしが上洛した際より多少の誼がある。
 そもそも六角氏は近江国の南部に勢力を誇っていた一族であるが、浅井氏の台頭や織田信長との抗戦により勢力を失い、隣国の伊賀国にて潜伏していた経緯があった。
 信長が築城した安土城のすぐ近くにあった観音寺城は、元々は六角氏の本拠だ。

「伊賀の国人どもを糾合し、こちらに協力しろとな。わたしを満足させられる戦果を出せたならば、お家再興と旧領をくれてやると伝えろ」
「ほう。それならば飛びつきますな」

 久秀がふむふむと頷く。

「……ちなみに大和はどうなりますかな?」

 そんな久秀の問いに、わたしは笑う。

「なんだ。気になるのか」
「いやいや……。まあ、気にならぬと言えば、嘘になりますがのう」
「そこまでは手が回らん。恐らくだが秀吉が狙ってくるはずだ」
「やはりそうなりますか」

 やや残念そうに、久秀は頷いた。

「久秀。京を取ったらお前に統治を任す。それで我慢しろ」
「ほう……? 京をいただけるので?」
「そのためには秀吉よりも早く、京に入らねばならんがな」

 戦に勝利した以上、ここは畳みかけて近江や畿内から織田を駆逐する。
 これがうまくいけば、信長の支配域は美濃、尾張、伊勢、そして新たに手に入った三河と、これまでに比べれば大幅にその勢力を減じることになる。
 とはいえ美濃や尾張は国力が高く、またこれまでに蓄えた金銭もあるだろうから、これを簡単に滅ぼすことは難しいだろうが。

「北ノ庄の晴景様にも伝令を飛ばせ。兵の一部を郡上まで進ませて、岐阜の織田勢を牽制しろとな。その間にこちらは近江と京を押さえると伝えろ」

 これで信長は、近江奪還の兵を不用意に動かせなくなる。
 そもそも敗戦の傷痕も大きいはず。
 まさに動くならば今が好機だ。

 こうしてわたしは休む間も無く、次なる行動に移った。
 まず戦死した景建の嫡男・景道への家督継承を認め、景建に代わって金ヶ崎城主を任じ、また疋壇城は員昌の嫡男・行信に任せた。

 また長浜城を失ったこともあり、その城代であった江口正吉には暫定的に佐和山城代としてこれを守らせ、美濃方面への守備を担わせると同時に、伊賀の六角承禎と結んで湖東や湖南方面の平定を行わせる。
 これにはわたしが連れてきた越前衆と、若狭衆を援軍として残し、元明に協力させた。

 一方のわたしは丹波衆を従え、船でもって一気に坂本城を強襲。
 残っていた砲弾で吹き飛ばしてやった。

 ここは京の入口でもあり、明智光秀の居城でもある。
 城代を務めていた明智秀満はさすがに抗し得ないと判断してか、こちらが上陸する前に城を脱出し、京の光秀のもとに向かった。
 上陸した朝倉勢は湖西一帯を掌握し、その間に秀吉の進出を待つことになる。

 九月に入り、果たして秀吉は再び大坂を出て山城国境に進出。
 これに対して光秀は徹底抗戦の構えをみせたものの、気づけば大和国へと脱出し、残る織田の諸将を集めると、そのまま伊勢に向けて進軍。
 要は京と大和を放棄したのである。

 これは恐らく信長の指示なのだろう。
 このまま京や大和を死守したところで信長に援軍を送ることはできず、ただの消耗戦になるくらいならばと思い切って脱出を図ったと思われる。
 近江を押さえられているせいでろくな道中ではなかっただろうが、それでも強行せざるを得なかった、ということだ。

 その動きを察知したわたしは、即座に京へと侵攻。
 九月半ばには再び上洛を果たし、これを制圧した。

 また秀吉は矛先を変え、大和平定を開始。
 これも時をかけずに終了して、十月の時点で織田家は完全に畿内から駆逐されたのである。


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