朝倉天正色葉鏡

第169話 動乱の兆し

朝倉天正色葉鏡 大坂独立編 第169話

     ◇

 武田の大敗と勝頼の死は、各方面に大きな影響を与えた。
 まず北条家においてはこの機に武田領を侵すべきとの主戦論が強まり、氏政はこれを決断。

 また同盟国である織田家に使者を遣わせて、事の次第を報告。
 北条は駿河を、織田は三河と同時に攻めようと共同作戦を持ち掛けたのである。

 信長がこの報告を受けたのは、山崎にて明智、羽柴両軍が激突したすぐ後のことであった。

「勝頼が死んだか」

 呆気ないものだと信長は思ったが、しかし世の中そんなものである。
 関東に侵攻した武田勢は、勝頼の死によって壊滅したという。

桶狭間を思い出すな」

 あの時の織田家は窮地にあったが、今川義元の討死で今川勢は一気に瓦解し、後の戦局に大きく影響した。
 今回も同じことが起こるだろう。

「さてどうしたものか」

 恐らく武田家では大混乱に陥っているはずで、この機を逃さす三河に侵攻できれば確かに勝機は高い。
 とはいえ織田家にも懸念事項は少なくない。

 まず大坂での羽柴秀吉謀反。
 これはあまりの想定外だった。

 京への侵攻は光秀が阻止したものの、秀吉に同調する諸大名は多く、これを征伐するには多大な労力を伴うことだろう。
 堺を失ったことも痛かった。

 また朝倉家との和睦もある。
 武田の侵攻を恐れて朝倉と休戦協定を結んだが、武田に侵攻すれば当然その同盟国である朝倉も動くだろう。
 つまり三河侵攻を行うならば、朝倉の南下にも備えておく必要がある。

「三方面、か。難しいが放っておいては北条にばかり食われてしまうな」

 万が一北条家が東海道や甲斐、上野などを得てしまうと、その勢力は強大になってしまう。
 織田家としては、それは面白くない。

「殿? 何でしたらわたくしが色葉様のご機嫌を窺ってきましょうか」

 などとのんびり言うのは鈴鹿である。

「越前に行くと申すのか」
「はい。以前、お茶の約束を致しましたことですし」
「危険であろうに」
「和睦中でありますれば、そのようなことはありませんわ。それに色葉様はとてもお優しい方なのです」

 鈴鹿はそんな風に言うが、信長にはとてもそうは思えなかった。
 あれこそ鬼の類であろう。
 とはいえ本物の鬼である鈴鹿からすれば、何ほどでもないのかもしれないが。

「行ってどうする」
「ですからお茶を」
「戯言を」
「では……駄目ですの?」

 鈴鹿に見つめられ、信長は溜息をついた。

「駄目と言っても行くのだろう」
「そんなことはありませんわ。ですが……ちょっと拗ねてみせるくらいのことは、させていただきますけれど」

 その拗ねた結果、どんな弊害が起こるか分かったものではないのが、この鈴鹿という娘である。
 妖なればこそかもしれないが、人知の及ばないところは確かにあるのだ。

「……好きにせよ」
「ありがとうございます」

 くすりとほほ笑む鈴鹿。

「せっかくなのですから、土産話を持っていきたいですわ。武田勝頼様が亡くなられたというのは、お話しても構いませんわね?」
「すぐに伝わる。どうせなら朝倉がどのように動くか、探ってまいれ」
「承りましたわ。……あと、お話だけでは不足かと思いますので、茶器などお持ちしてもよろしいでしょうか? せっかくお茶をするのですし」
「好きに選んで持っていけ」

 やれやれと首を振るに信長に、鈴鹿は微笑を拵える。

「では、そのように致しますわ」

 嬉しそうに立ち上がり、旅支度のためにかその場を辞す鈴鹿を見送りつつ、信長はもう一度息を吐き出した。

「あれでは狐姫を殺せと命じても、ひどく機嫌を損ねるだけであろうな」

 信長にその気は無かったが、鈴鹿の色葉に対する執着を見ていると、そんな風に思ってしまう。
 命じれば実行はするだろう。
 しかしその代償は、信玄の時の比では無いような気がしてならない。

「さて、益体も無いことを考えたか」

 結局信長は陣触れをした。
 各地に動員がかけられ、尾張へと兵を集中させる。

 一方で嫡男の信忠に命じ、朝倉家との国境守備を強化。
 美濃にも一定数の兵を配置し、不測の事態に備えた。

 畿内方面は光秀に一任し、現状維持を指示。
 信長自身はやはり安土を動かず、柴田勝家に命じて三河侵攻を行わせたのだった。

     /色葉

 天正八年六月二十七日。

 一乗谷へと悲報がもたらされる。
 すなわち武田勝頼の戦死が確定したのだ。

 事前情報にてある程度覚悟していたとはいえ、わたしは渋面を作って書状を放り投げていた。

「……姉様?」

 不機嫌極まりなくなったわたしへと、やや恐る恐るといった雰囲気で乙葉が様子をうかがってくる。

「やはり勝頼が死んだ。武田は大敗。家臣どももたいぶ討たれている」

 尻尾が揺れる。
 以前であれば、そこかしこに八つ当たりをして周囲を破壊していたかもしれない心境だった。

「勝頼が? 本当に?」
「景頼からの報せにそうある。六月三日に三増峠にて一戦に及び、包囲殲滅されたそうだ」

 一ヶ月近く前のことである。
 武田からの報せにこれほど時がかかったのは、それだけ武田家が混乱している証左だ。
 正式な使者は明日にも北ノ庄に入るだろうが、景頼が先駆けてこの報せをわたしに送って寄越したのである。

「勝頼め。早まったな」

 どういう状況だったのかは不明であるけれど、大敗というのは穏やかではない。
 勝頼だけでなく、側近であった跡部勝資なども戦死している。
 その他にも多数の家臣が討死したとのことだった。

 想定していた以上の負けっぷりに、わたしは苛々と尻尾を揺らした。
 ここで武田が崩れるのは、あまりに想定外であったからだ。

「ね、姉様……? これからどうなるの……?」
「信長の動きからしても、すでに勝頼の死を知って三河か信濃に食いつく気だろう。北条も同様のはずだ。北条がどこに向かうかは分からんが……」

 とにかく状況は良くなかった。
 勝頼が死したとはいえ、即座に武田家が滅亡するわけでもない。
 勝頼には嫡男がいるからだ。

 とはいえまだ幼かったはず。
 せいぜい孫十郎くらいの年齢で、しかし昨年の内にすでに元服をすませ、武田信勝と名乗ったと聞いていた。
 当然、そんな輩が即座にこの状況に対処できるとは思えない。

「となると、景頼を担ぎ出す輩が出てきても不思議じゃないな」

 武田信勝は幼少。
 一方で一門の諏訪景頼も若輩ではあるが、一戦を経験し、何より朝倉家との関係が深い。

 わたしの存在のせいもあって、武田家中には朝倉家よりの家臣も少なくなく、この状況に対処するために、景頼に家督継承を望む声も出て来ることだろう。

「え、駄目なの? 景頼は姉様の義弟だし、武田家を乗っ取る好機だと妾は思うけど」

 確かに景頼はわたしの義理の弟で、わたしの影響力を行使できる相手でもある。

「たわけ。この状況下でお家騒動など起こされてみろ。上杉の二の舞になるぞ」
「あ、そうか。妾と戦った時はあれだけ強かったのに、今じゃ形無しだものね」

 乗っ取り自体は一向に構わないのだが、それはこの危急を凌いだ後の話だ。

「じゃあ助けに行くの?」
「……直接援軍を出すことは難しい」

 現状、朝倉領と武田領は飛騨をもって隣接しているが、とにかく道が悪い。
 大軍の移動には時がかかり過ぎてしまう。

「状況によっては出さざるを得ないだろうが、その前に織田の動きだ。信長が侵攻するのかどうか。侵攻するのならばこちらも織田領を侵し、間接的に援護した方が効率がいい」
「なるほど……」
「あと北条の動きだが、上野方面に進出するのならば、景勝に援軍を出させる。これである程度は抑えがきく」

 上野を守っているのは名将の内藤昌豊であるし、そう簡単に敗れはしないだろう。

「だが駿河や甲斐に直接乗り込んできた場合は、当面は自力で凌いでもらう他無い」

 北条が上野の奪還に固執しないのであれば、やはり駿河あたりを突いてくるだろう。
 東海道を東西から攻め立てれば、これを同時に守り切ることは難しい。

「くそ……。やはり信濃に援軍を出す必要があるか。しかしそうなると、織田領を攻める兵力に不都合が出て来るな……」

 情報によれば、信長は安土を動いていない。
 そして京には明智光秀。
 やはり敵の本丸たる安土を一挙に狙うのが一番だが、京の明智勢と合力されると、ある程度の兵力が無いと返り討ちは必至だろう。

「貸しを作るどころか、借りを作る羽目になるとはな」

 思い付くのはやはり大坂の秀吉の存在だ。
 あれに畿内を脅かさせ、光秀の動きを牽制する。
 そうすれば安土を狙い易くもなる。
 しかしそれをこちらから持ち掛ければ、当然借りとなってしまう。

 もはや漁夫の利どころではなくなったことに、わたしは甚だ不愉快になっていった。


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