朝倉天正色葉鏡

第165話 不穏な噂(前編)

朝倉天正色葉鏡 大坂独立編 第165話

     /色葉

 天正八年六月二十日。

 先日まで一乗谷にいたわたしは晴景の呼び出しを受け、北ノ庄城へと入り、本丸御殿にある自身の居室へと入っていた。
 出迎えてくれたのが晴景である。

「すまんな、色葉。養生中だというのに」
「ん、構わんぞ。だいぶ良くなった」

 晴景の労いを受けて、わたしは鷹揚に頷いてみせる。

「家臣どもは揃っているのか?」
「明日には揃う予定だ。その前にそなたに相談しておきたくてな」

 晴景がわたしを呼んだ理由は察しがついている。
 恐らくは秀吉の謀反の件だろう。

 基本的に一乗谷に引きこもっているわたしであるが、貞宗を通して独自の情報網があり、変事はそれなりに早く耳に入る。
 もっとも他国からなどの正式な使者は北ノ庄へと向かうため、公式な情報はやや遅れることは否めない。

「身体の調子はどうだ?」
「悪くない」

 言葉通り、一乗谷ではじっくりと身体を休めることに専念した甲斐あって、不調はかなり改善されている。
 無理をすれば戦場を駆けることもできるだろう。

 とはいえやはり妖気の回復は見込めず、今のわたしは常人に毛が生えた程度の力しか振るえない。
 そこらの木っ端武者程度ならば十分に相手もできようが、以前のように縦横無尽に暴れることは難しいといったところか。

 そんな感じなので朱葉がしょげていたが、気にするなと言っておいた。
 元々は人の身。
 元に戻っただけのことである。

 それにわたしには雪葉や乙葉がいる。
 それだけで過剰といえる力だろう。

「小太郎と朱葉は?」
「小太郎はよく洩らしてよく泣きわめく。もう少し大人になったら折檻してやるつもりだ」
「い、いや、それは……」
「ふふ、冗談だ」

 わたしはひとの悪い笑みを浮かべてみせたが、わたしの普段の所業を知っている晴景にしてみれば、冗談とも思えなかったのだろう。

「とはいえ乙葉が少し甘やかしすぎるのでな。物心つく前に、下地だけは作っておく」
「……具体的には聞かない方が良いのだろうな……」
「別に無道なことはしないぞ?」

 まったく何を想像したのやら知らないが、小太郎はいずれ晴景の後を継ぐ者であるし、教育に手を抜くつもりはない。
 もっとも今の小太郎は生まれてまだ半年程度。
 教育とかいう段階では無いのかもしれないが。

「朱葉はどうだ?」
「……見ればびっくりするぞ?」

 そう。
 朱葉も小太郎と同じで生まれて半年。
 しかし明らかに成長が早かった。
 理由は朱葉自身によるものだが、適当な言い訳を拵えておく必要がある。

「あれはわたしの血を濃く継いでいるのだろう。そういうわけだから、人の子と同じに考えない方がいい」
「む? 尻尾でも生えてきたのか?」
「今は無いな。そのうち出て来るのかもしれないが」
「では何だと言うのだ?」
「成長が早い。片言だがこの前言葉をしゃべった」

 見てくれの成長も小太郎に比べれば明らかに早く、言葉もすでに話し始めている。
 まあ中身はアレなので、言語自体はすでにぺらぺらであるが、肉体が未熟なこともあってうまく話せないといったところだろう。
 無理するなと言っているのだが、わたしの身体を慮って少しでも早く成長しようとしているらしい。

「ほう。妖……といって良いのかどうかは分からんが、そういうものなのか」
「動物などは人とは違い、成長が早いからな。中には生まれてすぐに立ち上がるものもいる。そういうものなのだろう」
「ふむう」
「晴景様も忙しいのだろうが、たまには一乗谷に来い。でないと親の顔を忘れられるぞ」
「そ、それは困るぞ」

 慌てる晴景に、わたしはまた笑ってやった。

「さて。内輪の話はここまでにして、行くとするか」

 自身の居室を出たわたしは、晴景と共に今度はその居室に向かう。
 別にわたしの部屋で話しても良かったのだが、他の家臣どもが憚って来ず、結局晴景の部屋で話すことになったのである。

 そんなわけで、晴景はわざわざわたしを出迎えてくれたのだった。
 当主になってからも、相変わらずわたしを立ててくれている、というわけである。

「姫様、ご機嫌麗しく」

 部屋に入ると二人ばかりの家臣が待っていた。
 一人は本多正信。
 わたしの側近の一人で、今は長浜城にいるはずである。

「戻っていたのか」
「火急の要件にて」
「そうか」

 わたしは晴景と共に上座につき、腰を落ち着けさせる。

「で、なんでお前もいる?」
「ははは。お言葉ですな」

 からから笑ってみせたのは、松永久秀その人だった。

「丹波はどうした」
「あれは久通に任せてありますゆえ、心配には及びますまい」

 いけしゃあしゃあと、久秀は答えてみせる。
 確かに久秀はすでに隠居の身。
 実権は未だのその手で握っているが、身は軽いのだろう。
 すでにいい歳だというのに、元気なものである。

「いや、実を申せば清にせがまれましてな。城にいてばかりでは息がつまるというので、領内を散策しておったらいつの間にか越前へと入っていた次第。そういうこともあるというものですじゃ」

 いや、無いだろう。
 突っ込もうかと思ったが、やめておいた。

 ちなみに久秀が飼っている清という妖のことは、朝倉家中でもちょっとした話題になったものである。
 何せ朝倉の家臣どもは妖に免疫があるため、忌避するよりも興味を抱く者の方が多いのだ。

 その容姿も麗しく、しかも久秀自身がいい意味でも悪い意味でも知名度があったこともあり、先の家督継承の際に越前へと入った折には、清姫共々各方面で新たな誼を通じたという。

 まあ好きにしてくれといった感じではあるが、あれやこれやと悪評の尽きない久秀も、孫娘のような清姫には存外甘いらしい。

 ちなみに乙葉と清姫の相性は最悪で、乙葉は事あるごとにいがみ合い、暗殺をわたしに進言してくるほどである。
 が、わたしはもちろん雪葉の見立てでも、あの妖は厄介な部類の存在だ。
 あの鈴鹿ほどの妖ではないとはいえ、相当な妖気を秘めている。
 朱葉もやや警戒していたか。

 まあ久秀に任せておけば、差し当たっては問題も無いだろう。

「……松永殿、そろそろ本題を」
「うむ? 四方山話こそ、年寄りの神髄であろうにのう。いや若者はせっかちでいかん」

 正信にさりげなくたしなめられて、しかし悪びれる様子も無く、久秀は笑ってみせた。

 そういえば正信と久秀の組み合わせは珍しい……とか思いはしたが、確かこの二人は元々主従の関係だったか。
 巡り巡ってこの朝倉でまた同じになった、というわけだ。
 世間は狭いものである。

「とはいえ今からお話することも、四方山話の類ですぞ」
「羽柴秀吉の件か」
「ほう。すでにお耳に入っておられたか。ならば話は早いというもの」

 にわかに表情を改めて、久秀は姿勢を正す。

「色葉よ。知っておったか」

 晴景に聞かれ、わたしは頷いてみせる。

「城下にもすでに噂が広まっているみたいだからな。わたしが呼ばれた時点で真偽の程は知れようというもの」

 知っているも何も、事前に秀吉らと接触していたわたしが知らぬはずもない。
 とはいえそれを口にするつもりもなく、成り行きに従うことにする。

 わたしが秀吉の謀反を事前に伝えたのは貞宗だけであるし、他には乙葉や雪葉あたりしか知らないことだ。
 わたしが関わっていたと知られると、どうせわたしが唆したとでも思われるに決まっているし、ここは黙っておくに越したことはない。

「少し前には掴んでいたのだが、情報が錯綜していてな。正直よくわからなかった。そこで丹波にひとをやり、久通に命じて事の次第を調査させておったのだが……」
「その報告に、久秀がやってきたと。そういうことだな?」
「ご明察ですじゃ」

 それこそ物見遊山のついでに、といったところだろう。

「で、どうなっている?」

 わたしも秀吉がすでに謀反を起こしたことは、貞宗を通じて知り得ている。
 ただしその後の動向がはっきりしない。

「一戦に及びましたぞ」
「やりやったのか」

 どうやらすでに秀吉は、信長と矛を交えたらしい。


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