朝倉天正色葉鏡

第159話 出兵の是非

朝倉天正色葉鏡 大坂独立編 第159話

     ◇

 四月六日。
 北ノ庄で諸々の諸事を終えたわたしは、ようやく一乗谷に引っ込むことができていた。

「おい華渓。小太郎が洩らしたぞ?」
「ひ、姫様、御召し物が……っ!」

 慌てて飛んできた華渓に小太郎を渡すと、わたしはやれやれと腰を落ち着けた。

 子育てとはなかなか大変である。
 朱葉の方は静かなものであるが、小太郎は普通の赤子であり、泣くわ叫ぶわ洩らすわで周囲の者は振り回されっぱなしだった。

 わたしはよく分からないので任せっぱなしである。

「あはは。さすがの姉様もこればかりは形無しよね」

 朱葉をあやしながら、隣にいる乙葉が笑う。

「正直どうすればいいのかさっぱりわからん」

 本音である。
 とりあえず子育てにおいて、わたしは無能者だったらしい。

「雪葉いないしね」
「少し想定外だった」

 雪葉はわたしの命で、安田顕元と共に越後に発ったばかりだ。
 あれもこうなることを心配していたが、まさに的中、である。

「はい、姉様。朱葉なら漏らしたりしないから」
『当然です』

 どこからともなく声が聞こえてくる。

「しかしこっちは可愛げのない赤子だ」
『……泣いた方がよろしいのでしょうか?』
「やめてくれ」

 本気でそう思う。
 朱葉の方は中身が元アカシアということもあって、静かなものである。
 外見上は常に寝てばかりだからだ。
 ぐずることもないし、粗相もない。

 楽と言えば楽であるが、しかしやはり可愛げというものがない気がする。
 あまり言うと朱葉が拗ねるので言わないが。

「……姉上も大変ですね」

 しみじみそう言うのは諏訪景頼。
 景鏡の長子で、わたしの義弟でもある。

「わたしは何もしていないがな」

 わたしは肩をすくめて景頼を見返した。
 景頼は今年で十八。
 武田勝頼の妹の松姫を正室に迎えて武田一門となり、諏訪家を継いで今では高遠城主となっている。

 晴景が朝倉に入った代わりに景頼は武田に送られたわけで、いわゆる政略結婚だ。
 とはいえ向こうでそれなりにうまくやっているらしい。

 景頼は今回の晴景の家督継承の祝いの使者として、武田信豊と共に朝倉を訪れていたのだった。
 わたしも会うのは実に数年振りになる。
 ずいぶん成長したことは間違いない。

「昨年は初陣だったそうだな」
「はい。ですが功無く……」
「織田信忠の軍勢を引き付け、時間を稼いだのだろう? 結果として武田は徳川を制した。これを功と呼ばずして何と言うんだ?」
「ははは。どうも景頼殿は岩村城を落としたかったようだが、わしが止め申したのでな。非あらばわしを責められよ」

 などと言うのは景頼に一緒になってついて来た、馬場信春である。
 越前に来るのは初めてだったはずだ。

「城などそう容易に落とせるものでもないからな。目付ご苦労。……しかし信春、隠居したというのは本当か?」
「わしももう齢六十五。とうにくたばっていてもおかしくない歳であるしな。此度首尾よく三河と遠江を得たゆえ、これを最後に身を引くことにしたわけじゃ。愚息の昌房は病弱にて頼りないが、いつまでも親が出張っていても仕方あるまいて」

 確かに信春はすでにそれなりの高齢である。
 今回隠居した景鏡よりも十は年上だ。

「……景頼はよく学んでいるか?」
「やや気負い過ぎているようではあるが、よく精進しておる」
「気負う?」
「そちのせいじゃ。姉殿」
「?」

 信春の言葉に、景頼は困ったように顔を伏せる。
 わたしはというと、よく分からない。

「それは姉上があまりに優れているからです」

 などと言ったのは、景頼の横に控えている少年。
 名を朝倉孫十郎という。
 景頼の実弟で、わたしの義弟の一人でもある。

 歳は今年で十二であり、未だ元服を果たしてはいない。
 いないがすでに婚約はすませており、その舅である武藤昌幸もやれやれといった感じで同席していた。

 孫十郎は基本的には一乗谷にいてわたしが教育していたが、わたし自身が越前を不在にすることも多く、その間などは昌幸の元にやって勉学に励ませたりしていた。

 昌幸には男子が何人かいるが、歳が近いこともあって仲はいいらしい。
 ちなみに昌幸の子のうち次男の方は、わたしの最近まで唯一の小姓を務めていた。

 わたしがあまりに飛騨支配の支援を惜しまないものだから気味悪がって、何も言わないのに差し出してきたのだ。
 小姓とはしているが、まあ人質のようなものである。

 孫十郎の元服と同時に昌幸の娘である村松姫が正式に嫁ぐことになっているので、事前に武藤の者を入れておこうという昌幸なりの娘への配慮か、親馬鹿かは知らないが、そんなところだろう。

 余談ではあるが、最近では小姓の数が一気に増えてしまった。
 武藤信繁を初め、大野治長、丹羽長重らである。

 これらはわたしの小姓という扱いにはなっているものの、歳が近いこともあって孫十郎の取り巻きでもあった。
 将来的には孫十郎に与えてもいいかもしれない。

「ふうん? そういうもの、なのか」
「というより色葉様、家臣一同似たような気分であると思いますぞ」

 などと言うのは昌幸である。
 昌幸の方がわたしなどよりもよほど戦上手だとは思うが……まあいいか。

「ところで色葉様。朝倉の大殿は如何なさるのです?」
「ん、父上のことか?」
「ええ」
「亥山城に引っ込むことになった」

 亥山城はもともと大野郡司だった景鏡の居城である。
 景鏡が北ノ庄に移ってからは大日方貞宗を城主として、その後、島左近が入っていた。

「此度の美濃侵攻で郡上を得たからな。これを貞宗に加増し、亥山城を与えていた島左近を移した。父上は空いた亥山城で隠居だ」

 大野の地は景鏡が長年治めていた地であるし、平泉寺の連中とも仲がいい。
 さらにいえば、大野郡は一乗谷よりなお奥地であるため、新たに当主となった晴景に対して余計な存在感を誇示せずにすむ。
 隠居地としては悪くないだろう。

「では国政には参加されぬのか」

 尋ねてきた信春に、わたしは頷いた。

「本人はそのつもりらしい。わたしとしてはもう少し働いてほしかったが、な」

 本音ではあるが、認めてしまった以上は仕方が無い。
 とりあえずはわたしの膝元で、どんと構えていてもらえばいい。

「そういえば昌幸、郡上八幡城攻めは見事な手並みだったと聞くが」
「それがしの手柄というよりは、左近殿の功であるな」

 確かに郡上八幡城攻めでは左近が先鋒を務め、これを落としている。

「それほどのものだったのか?」

 史実での島左近の武功は知り得ているが、ここではまだどんなものか分からない。
 左近自身は功を誇らないし、その上役である貞宗などはもっとなものだから、さっぱりなのである。
 ただ従軍した平泉寺衆の連中が褒め称えていたから、わたしの耳にも届いた、といった程度だった。

「武田にもあれほどの人材はそういないでしょう。左近殿が郡上八幡城に居座れば、織田としては如何にも厄介極まりないと感じるであろうし、飛騨の我らにしてみては心強いことこの上無いですな」

 これまで朝倉と武田を直接結ぶ街道は、加賀国白峰経由、もしくは越中国から南下して飛騨に入る道しか無かったが、これはどちらも難所続きであり、郡上八幡を得たことで美濃経由の道も新たに確保できたのである。
 これは昌幸の言うように、心強く感じるところがあるだろう。

「ほう。そちがそこまで言う輩が朝倉にもおったのか」

 興味深そうに信春が口を開く。
 信春とて今ではさすがに年老いはしたが、鬼美濃だのなんだのと言われた武田屈指の猛将だ。やはり気にはなるのだろう。

「……そういえば信春。聞きたいことがある」
「何かな?」
「武田が北条を攻めるというのは本当か?」
「……そのようだ」

 重々しく、信春は頷いた。

「今回、信濃衆には動員がかかっていない。濃尾方面への備えも必要であるからな」
「一応、織田を警戒はしている、ということか。信春、昌幸。お前達は今回の出兵をどう考えている?」

 わたしの問いに、二人は顔を見合わせる。

「喜兵衛、わしは隠居した身。そちが存念を申せ」
「隠居した身であればこぞ、何を憚ることなく口にして欲しいものですが……」

 やれやれと首を振りつつ、昌幸はわたしを改めて見返し口を開いた。

「好機には違いありますまい」

 まずそう言い切る。

「武田とて両面作戦は不可能ですが、織田を朝倉が抑えてくれている今ならば、東進の好機というもの」
「まあ、そうだな。それはわたしも認める。しかし機があるからといって、それを活かすことのできる戦力はあるのか?」

 問題はそこだった。

「やはり、色葉様ならば致しませんか」
「国内の安定が先だ」

 わたしが勝頼の立場だったならば、この一年は内政と外交を重視して、軍は動かさなかっただろう。
 自身と同等以上の相手と戦うのならば、それなりの準備が必要となる。

 例えば以前に上杉謙信と戦った時、わたしは謙信の死期を知っていたからこそ、越中侵攻を行った。勝てずとも負けない戦を続ければ、いずれ機が来ることが分かっていたからである。

 また先の上洛戦においても、基本的にまともに織田信長と戦うつもりはなかった。
 謀略を駆使して丹波を得ることが最大の目的であり、若狭侵攻も奇襲により成功させた。
 丹後の一色などは、国力で遥かに劣る相手である。

 ちなみに面白くない話ではあるが、謙信の際も信長の際も、まともに戦った合戦では朝倉方が敗北している。
 どちらもわたしがいなかったとはいえ、いたから勝てたとも言い難い。
 疋田防衛戦も辛うじて勝てたに過ぎないのだ。

 やはり国力の差や人材の差は大きく、油断はしてはいけないということ。
 そして北条は武田にとって、同等以上の相手だろう。
 勝頼が負けるとも思えないが、さりとて容易に勝てるとも思えない。

「……まあ、こう思うのはわたしが北条のことをよく知らないからでもあるが」

 北条とは一度矛を交えてはいるものの、やはり遠方であり朝倉とは国境を接していないこともあって、積極的に情報収集を行っているわけでもない。
 今は織田領や、西国の情勢の方に力を注いでいるからだ。

「……確かに色葉様のおっしゃるように、民に不満無しとは言えませぬ。とはいえ朝倉よりの援助と経済の交流により、以前より改善してきていることも確か。ここで一気に北条を降すことができれば、以降の武田領の安定は確実となるでしょうが」
「負ければ?」
「さて……由々しきことになりますな」

 由々しきこと、か。
 まあそうだろうな。

「色葉様は、危ういとお考えか?」
「ん?」
「いや……以前の長篠のことを思い出しましてな」
「ああ……そんなこともあったか」

 ずいぶん前になるが、わたしは長篠の戦いを阻止すべく武田に入り、結局これを防げなかったが同盟を得、今に至っている。

「正直、わからん。単にわたしが関東に攻め入れないことに、ただ不満に思っているだけかもしれないからな。となればただのやっかみの類。聞き流してくれ」
「はは。色葉様ならばあり得ましょうな」

 昌幸が笑い、周囲の者もつられて笑った。

「姉様ってばここしばらく動けなかったものだから、きっとうずうずしているのよ」

 乙葉がそんなことを言い、如何にもと周囲が同意する。

 うん、まあ……そうなのかもしれないな。
 それならそれでいいのだけど。

 とりあえず今は、休養と子育て、そして国内安定に力を注いでおこう。


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