朝倉天正色葉鏡

第123話 第二次西上作戦

朝倉天正色葉鏡 西上作戦編 第123話

     ◇

「――朝倉が動きましたぞ!」

 京の本能寺にあった信長の元に急ぎ報告に上がったのは、京都所司代である村井貞勝である。
 貞勝は先の戦で荒れた京の都の復興に当たりながら、丹波方面の朝倉勢の動きにも目を配っており、察知した朝倉方の動きをいち早く信長に伝えに来たのだった。

「光秀からは何も言ってきていないが」

 先の合戦において、織田方は桂川にて朝倉・荒木連合軍に対して勝利したものの、続けて行われた洛中戦において翻弄され、少なくない被害を受けることになったのだった。

 結果的に敵の総大将であった色葉姫が戦場にて負傷したことで、朝倉方は丹波へと撤退。
 丹波亀山城を最前線の拠点とし、これまで防備を固めていたのである。

 一方の織田方は朝倉勢に荒らされた京を復興しつつ、明智光秀を総大将とした織田勢三万余を丹波方面に張り付けて、これの警戒に当たらせていた。

「八上城の松永久秀が一軍を率い、北進を開始したとのこと。この機に丹後国を併呑する目論見かと思われます」
「……こちらが動けないのを見越してか。あの女狐め」

 舌打ちしつつ、しかし信長は思考を巡らした。
 現在、丹波方面の戦線は膠着している。
 信長はこれを無理に打開するつもりはなかった。

 まず単純に、朝倉色葉を侮れぬと認めたことにある。
 京での戦振りを見ても、かなりの難敵であることはもはや疑いようも無い。
 あの戦で鈴鹿がしゃしゃり出てこなかったら、案外信長自身も危うかったかもしれないからだ。

 負傷したというが、健在であるのも間違いなく、あの厄介な姫が亀山城にある内は、無理に仕掛けない方が無難というものである。
 代わりに狙うならば、手薄になった越前国だろう。

 とりあえず今は光秀に命じて丹波方面を威圧し、色葉を引き付けておく。
 その間に柴田勝家に命じて兵を集めさせ、近江より北進して敦賀を突く準備を進めていたのだった。
 丹波の朝倉勢と本国越前を分断するために、若狭国奪還も考えはしたが、やはり効果が最も高いのは敦賀攻略だろう。

 かつて二度も攻め入ったことのある地でもあり、その地理は十分に心得ていることもある。
 ただしその防備が以前とは比べ物にならないという報告もあり、それを突破するための十分な兵を集めさせていたのだった。

 徳川勢を使って飛騨を突かせた計画はすでに失敗していることもあり、慎重を期す必要もある。
 その徳川勢にも連合軍として敦賀攻めに参加させたかったが、武田の動向が不穏であるという報告もあり、迂闊に軍を動かすことはできそうもない。

 その武田には北条という背後の敵が存在するため、気軽に動くことはできないだろうが、仮に動くと由々しきことになってくる。
 そのため万が一に備え、信濃方面にも兵を割いておく必要があった。

 そんな中、朝倉による丹後侵攻である。
 丹後の一色家がそう簡単に屈服するとは思えないが、とにかく朝倉の動きが活発で、予想を超えて何もかもが早い。
 機先を制してきているようで、どうにも愉快ではなかった。

「明智殿は眼前の敵に集中されておりますからな。敵の背後の動きまではなかなか……」

 現在、織田の領国周辺が実に騒がしくなってきている。
 丹波方面は明智光秀に、摂津方面は佐久間信盛に、播磨方面は羽柴秀吉に、越前方面は柴田勝家に、信濃方面は織田信忠に任せ、信長自身は京に居座り全てを統括するため、貞勝に全ての方面軍の情報に加え、周辺諸国の動向についても念入りに探らせていたのだった。

「それと殿、いくつか不穏な動きがありまするぞ」
「また厄介事か。言え」
「はっ。まず甲斐の武田勝頼ですが、大軍を動員しつつあり、遠江侵攻は確実かと」
「飛騨侵攻は藪蛇になったか。それとも最初からそのつもりだったのか……」

 長篠の戦いで一度破った武田家ではあるが、その領国を侵すことができなかったこともあり、数年を経過してその力は戻っていると見て間違いない。

 長篠の敗戦以降、武田はそれまでの仇敵であった上杉と結び、北条家とも同盟関係にあったが、上杉謙信の死を契機に勃発した上杉家のお家騒動に介入し、北条家とは縁を切って上杉景勝につき、これと強固な同盟を結ぶに至っている。

 見返りは上野国であり、北関東の要衝である沼田城へと武田家重臣である内藤昌豊と、真田昌輝が侵攻してこれを攻略。
 以降、上野国を巡って武田家と北条家は小競り合いを続けていた。

「……武田の上野侵攻は、朝倉の上洛に呼応したものだろう。朝倉と裏で繋がっているのは明白であり、此度の遠江侵攻も我らが動けないことを見越してだろうが……。しかし北条は何をしている? 勝頼が大軍を東海道に向けるのならば、上野奪還の好機だろうに」
「いえ、北条氏政も動きをみせておりまする。氏政は北条氏直に命じて、沼田城攻略の軍を上げたとか」
「それでも徳川へ攻め入るのか」
「恐らくですが、上杉の援軍を当てにしているのではと」

 貞勝の言う通りだろうと、信長も頷くしかない。
 先の御館の乱において、上杉景勝は武田家や朝倉家に借りがあり、特に朝倉家は直接北条を相手に戦ってもおり、その借りは大きい。

 その朝倉からの要請があれば、景勝も軍を動かさないわけにはいかないだろう。
 例え疲弊して余力が無かったとしても、だ。

「となれば上野攻略は難しいか……。勝頼め、満を持してあの甲斐の山奥から出てきたというわけだな。こうなると家康は難儀するか」

 問題は武田勝頼がどれほどの兵力をもって攻め寄せてくるか、である。
 徳川勢は飛騨で武藤昌幸とやらに敗れ、その士気は振るわない。

 そもそもにして飛騨侵攻の際、武田も朝倉も飛騨に援軍を送ろうとした形跡は無く、今考えれば不思議なことでもあった。
 結果として昌幸は飛騨衆のみで徳川勢を破ってはいるものの、決して楽観視していいような戦ではなかったはずだ。

 しかし朝倉などはこれに見向きもせずに京周辺で跳梁跋扈し、武田などはこれを機に遠江侵攻の準備を進めていたとすら思える。

 端から飛騨を捨て石にするつもりだったのか、それともこれを守る武藤昌幸を信頼していたのかは分からないが……。

「貞勝はどう見る? 武田の今回の侵攻を」
「……危ういかと、存じます」
「それは徳川が、ということか」
「はっ。はっきりとは分かりませぬが、情報では武田勝頼は二万から三万の兵を集めている様子」
「長篠の時の倍か」

 信長は唸る。

「信玄が京を目指して来た時と同じ規模だな」

 かつて元亀三年、甲斐の武田信玄は三万余の軍勢を率いて遠江国、三河国、美濃国に対して同時侵攻を行った。
 上洛を目指したとされる、いわゆる西上作戦である。

 この兵力は当時の武田家における最大動員数でもあり、武田信玄にとって一世一代となる大遠征計画だった。
 徳川領は蹂躙され、信長にとっても窮地に陥りかけた苦い記憶でもある。

「万が一の場合は援軍を送らねばならんだろう。信忠に命じて準備をさせておけ」
「はっ」
「……しかしこうなると、濃尾の兵力は権六の方には回せんから、越前攻略を思っていたよりも少ない兵力で行うしかないというわけか」

 それでも信長は三万以上の兵力を、越前侵攻に割り当てる心づもりだった。
 朝倉主力が丹波にある以上、やはり越前侵攻の好機には違いないからである。

「それと殿。もう一つご報告したき儀が」
「なんだ。まだあるのか?」
「……伊勢の信意様なのですが」
「どうかしたのか?」

 北畠信意。
 信長の次男であり、伊勢の北畠家の家督を相続し、その支配を確立しつつあった人物である。

「何やら兵を集めているご様子なれば」
「何だと?」
「恐らく昨年の丸山城絡みの事とは思うのですが……」
「この時期に余計な騒ぎは起こさすな。自重させておけ」
「……承りました」

 このように周辺諸国が騒がしくなる中、丹波の朝倉勢が丹後攻略を開始すると時を同じくして、甲斐の武田勝頼が挙兵。
 父・信玄が果たせなかった西上作戦を改めて敢行すべき時が来たと宣言し、遠江国と三河国に同時侵攻を開始した。

 天正七年八月十七日。
 徳川家の命運を左右する、第二次西上作戦が始まったのである。


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