朝倉天正色葉鏡

第119話 押小路烏丸殿の戦い(前編)

朝倉天正色葉鏡 西上作戦編 第119話

 信長にしてみれば、この朝倉別動隊の動きは思っていたよりも早いものだったことには違いなく、恐れていた事態でもあった。
 もちろん色葉にしてみれば、信長の動きが予想外に早かったことで挟撃の好機を失っているので、ある意味お互い様ではある。

「二条城周辺ではすでに火の手が上がっている様子にて、村井様が救援を求められています!」
「……あの狐め。初手から火を放つとはやってくれる」

 軍勢を急がせながら、信長は次々にもたらされる報告に舌打ちした。
 桂川に織田の主力を集中していたこともあって、洛中を守備する兵力は少ない。
 しかも朝倉別動隊は東からの進軍を想定していたこともあって、北側は更に手薄だったこともある。

 また京の守備の要である坂本城が未だ健在であったことも、織田方の油断を誘った。
 だが実際には朝倉の別動隊は坂本城攻略を行わずに進路を変えて、途中峠を越えて大原へと進み、そこから南進してきたのである。

 それにどうやら朝倉勢はその一軍だけでなく、更に別動隊があってこれもすでに京を侵しているとの報告もあった。

 つまり元々は桂川の朝倉主力部隊と、色葉の率いる別動隊、さらにもう一部隊をもって、この京を三手から挟撃する腹積もりだったのだろう。
 それが実現していてはかなり由々しき事態になっていたであろうが、とりあえず朝倉の主力は叩いているので、最悪の事態は避けられたことは間違いない。

 とはいえそれでもすでに洛中に侵入を許してしまっている時点で、厳しい戦いになることは容易に想像できた。

 その朝倉勢が真っ先に向かったのが、二条城である。
 現在、洛中にこれといった城は存在しない。
 二条城があるが、この時期の二条城は城館の類だ。

 かつて足利義昭が室町幕府将軍として京にあった頃、信長は二条城を普請してこれを与えていたが、のちに義昭は信長に対して反旗を翻し、二条城や槇島城にて挙兵するも敗れ、義昭は追放。室町幕府は滅亡した。

 この時に二条城は破却されており、現在の二条城はそれとは別物である。
 現在の二条城は信長が公家の二条家の邸宅であった二条邸――いわゆる押小路烏丸殿を気に入り、自身の京滞在の際の宿所とするためにこれを譲り受け、大改修を行い、城館としたものだ。

 もっともこの年の秋に、皇太子である誠仁親王に献上する予定となっていたこともあって、信長はすでに新たな宿所として本能寺に移っている。

 とはいえ洛中にあって防御力に最も優れた城館には違いなく、洛中守備を任されていた村井貞勝はこの二条城に立て籠もり、また朝倉勢はこれを落とすべく真っ先に殺到したのだろう。

「殿!」

 進軍を急がせる信長の元へと、明智光秀が馬を走らせ駆け寄ってくる。

「洛中にはすでに朝倉の兵が入っておりまする! このまま進むは如何にも危険ですぞ!」
「罠があると申すか」
「恐らくは」
「されどこのままでは二条城は落ちる。貞勝が率いる手勢は僅か数百だ。半日と持つまい」
「しかし敵情を探らず進むは危険かと具申申し上げますぞ! 相手は十中八九、あの朝倉の姫なれば、何をしでかすか知れたものではありませぬ!」

 光秀自身、北ノ庄にて色葉と相対した経験から油断できぬ姫であると、常々思っていたのである。
 現に朝倉家の上洛を承諾した色葉は、若狭や丹波、そしてこの京を席巻しつつある。

 色葉が松永久秀を調略していたことはもはや疑いようも無く、光秀があれほど手こずった丹波攻略をあっさりとやってのけてしまったことは、もはや呆れるしかない手際の良さである。
 これでは瞬く間に北陸を統一し、上杉を風下に置く勢いというのも頷けるというものだ。

 そんな不気味な姫の率いる朝倉勢に真正面から飛び込むことは、光秀には愚策にしか思えなかったのである。

「であろうな。されど兵数はこちらが上。先の戦勝により士気は高く、勢いをもって押し潰すには今しかなかろう。第一、ここで京を失えば織田の名声は著しく低下するぞ。摂津方面についても手が付けられなくなる」
「それは……わかりまするが……」

 光秀にしても、信長の言はよく分かっている。
 先々を見通すならば、ここで退くのはそれこそ愚策なのである。
 しかしここで信長自身に万が一でもあれば、それこそ終わりではないのだろうか。

「……承知いたしました。死中に活を見出すのは、如何にも殿らしくはあります」
「ふん、たわけ」
「さすれば私は戻りますゆえ、ご武運を」
「貴様もな、光秀」

 信長率いる織田勢は、脇目も振らずに二条城に向けて進軍。
 二条城周辺の町屋はすでに火の手が上がっており、黒煙が視界を奪う。
 そんな中、大軍を進ませるにはいかにも狭い道中にて、信長は真横から奇襲を受けることとなった。

「敵の総大将とみたり! その首とれば、姫がお喜びになるぞ!」

 声を張り上げ、兵を叱咤して横槍を容れてきたのは長連龍率いる朝倉別動隊である。

「来たか!」

 連龍率いる部隊は信長目指して殺到するかのように見せかけつつ、その実は織田勢の隊列の分断を旨としていたのである。
 複数の小部隊に分かれていた長勢は、隊列が伸び切った織田勢に対して複数個所から横槍を入れて分断、またはこれを誘引し、バラバラに引き裂いたのだった。
 そしてそれは当然、色葉の指示によるものである。

 引き裂かれ、足を止められ、散らされた織田勢は泥沼の市街戦に引きずり込まれることとなった。
 押小路烏丸殿の戦いの始まりである。

     /色葉

「信長め、慌てたな」

 思惑通りに事が進んでいることに、わたしは笑みをこぼしてしまう。
 馬上にあって左隣では雪葉がやれやれといった顔になり、右隣では乙葉が嬉しそうにわたしの顔を見ている。

「良かった。色葉様ご機嫌になったもの」
「ですが、そのようなお顔を常々されていては……」
「何言っているのよ雪葉。戦場なんて、誰しも凄い顔になって切った張ったしてるんだから。ね、色葉様?」
「ん、そうだな」

 軽く答えながら、わたしは現状を整理する。
 桂川で織田勢の急襲があったことを乙葉から知らされたわたしは、大原から即座に軍を動かした。

 また京に向かって進軍中であるはずの連龍の所へと乙葉を使いに出し、これを急がせたのであるが、すでに連龍の所には雪葉が景鏡の命で急報を告げていたこともあり、乙葉が着いた時にはすでに京入りを果たしていたという。

 連龍はわたし以上に手段を選ばない節があるので、兵にはまあ無理をさせたのだろう。
 疲労は溜まっていただろうが、しかしそこに乙葉が到着したことは大きかった。

 というのも能登平定において連龍と共に乙葉は戦っており、そのため連龍の家臣どもは乙葉のことを良く知っている。
 一兵卒に至っても同様である。

 そのためか乙葉は人気があるようで、士気は高揚。
 何というか、偶像――現代でいうところのアイドルのような感じで――いわゆる熱心な愛好家が連龍の手勢には多くいるのだ。

 確かに乙葉は可愛いし、時と場合をわきまえて貞淑を装えるので、男どもが好意を抱くのは分からないでもない。
 普段から横柄で横暴なわたしとは大違いである。
 まあいいけど。

 それはともかく、京を真っ先に急襲したのは連龍の部隊となった。
 織田方にとっては突然の奇襲であり、僅かな兵と共に残留していた村井貞勝らは二条城へと入り、徹底抗戦の構えをみせた。

 わたしの部隊が到着した頃には乙葉を始め、連龍の兵が二条城を囲んで暴れまわっていたのだが、わたしはいったんそれらを下がらせ、自身の兵で再度包囲すると、僅かではあるが連龍らを休ませ、その間に方針を練ったのである。

 京に朝倉勢が侵入したことはすぐにも信長に伝わるだろうし、そうなれば反転してくるのは間違いない。
 敵の数は多いから、いくら急襲に成功したとはいえまともに戦うのはこちらの方が分が悪いだろう。
 となると、朝倉の主力部隊がどうなったかであるが、乙葉から聞いた様子から恐らくは敗退していると踏んでいた。

 下手をすれば大敗を喫しているかもしれないが……そこは家臣どもがどれだけ働いたかによるだろう。
 どちらにせよ、信長が転進してくる速度である程度は計れようというものか。

 まず決めなくてはいけないのは、信長と決戦に及ぶか否か、である。
 数の上では不利。
 主力が敗退している可能性が高い以上、いったん退いて丹波亀山城にて軍の再編をし、改めて決戦に及ぶべきか。

 こういう場合に備えて亀山城を普請したのであり、若狭を併呑した以上、兵站に不安も無く、堅実な策である。
 まあその場合、撤退のついでに京を火の海にしてやる算段ではあったのだが。

 もう一つはこのまま織田勢を迎え撃つというもの。
 とはいえ数で劣る以上、まともに戦う必要はない。
 市街ということを利用して、徹底した遊撃戦を展開する。
 つまりこの周辺の町屋全体を大掛かりな罠とするのだ。

 基本的にはまず敵を分断し、要所要所に誘い込んで徹底殲滅。
 敵の数が多い場合は引きずり回し、主戦場から引き離す。
 つまり細かく分断して各個撃破を基本としつつ、町屋の随所に仕込ませた鉄砲隊により狙撃を行わせ、敵の士気をも挫く。

 問題は準備するにはやや時間が足りないことか。
 京の地理に関しては上洛の際に散々下調べしておいたので、不安は無い。
 簡易的ではあるが、地図まで作ったほどだ。
 後は伸るか反るかだが……。

 はっきり言って、この市街戦に持ち込めれば勝つ自信は十分にあった。
 それでも悩んだのは、それとは別に不安要素があったからである。

 これだけはどうなるか読めなかったが……今後、この不安要素が常につきまとうことは煩わしかったし、ここでそれを解消できるのならばと、わたしは半ば賭けに出たのだった。

 つまり、この地での決戦を挑んだのである。


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