朝倉天正色葉鏡

第108話 若狭武田氏

朝倉天正色葉鏡 色葉上洛編 第108話

     ◇

 若狭武田氏。

 この一門は源氏の血統を伝える名門である。
 室町幕府において、要職を歴任したことからもうかがえる。

 その武田氏が治める若狭国は、その国土こそ広いとはいえないものの、非常に重要な地だ。
 まず中央である京に近いこと。
 そして海に面しているため、海と京を繋ぐ玄関口の役割を果たしていたことも大きい。

 が、それだけに中央の影響を逆に受けることにもなった。
 また若狭進出を狙う三好家の侵攻や、家臣であった逸見昌経の反乱などにより衰退していった武田家は越前の朝倉家を頼り、三好家が若狭から手を引いた後は朝倉家からの干渉や侵攻を受けることになる。

 そして第九代当主である武田元明の時にはとうとう若狭を失い、朝倉家によって併呑されてしまう。
 元明は一乗谷に連れ去られ、軟禁されたのだった。
 ちなみにこの時、元明の年齢は十にも満たない幼子であったという。

 若狭侵攻を行った朝倉義景が元明を殺さなかった理由は色々考えられるが、やはり甲斐武田家と若狭武田家が同族であったことが一つとして挙げられる。
 実際に信玄も、義景が元明を殺さなかったことに対して感謝したとかどうとか。

 ともあれそんな義景も、信長に滅ぼされて朝倉家は滅亡。
 元明は助け出されて若狭に戻るも、若狭国は織田家臣である丹羽長秀に与えられ、復権することは叶わずに今に至るわけである。

 そんな元明は現在、若狭神宮寺にいるという。
 わたしはこれに会うべく、正信と共に神宮寺へと赴いたのだった。

「何と……。私を若狭の国主に戻すと仰せられるのか?」

 信じられないとばかりに、その若者はわたしを驚きをもって見返していた。
 当然ではあるが、晴景よりも若い。

「お前が朝倉に忠誠を尽くすのであれば、だがな」

 ふんぞり返ってぞんざいに言ってやると、横から正信が口を挟みだす。

「姫はこのように仰せではありますが、若狭武田家は姫の夫であられる朝倉晴景様のご実家、甲斐武田家と同じ源氏の一族。これが滅びるのを見るのは忍びないとお考えなのです」

 何か色々と意訳して、正信が言う。

「確かにそのようには窺っていますが……」
「つまり今の朝倉家とは縁続き。何を遠慮されることも無いでしょう」

 正信の言は実は正鵠を射ていた。
 そもそもにして朝倉家と若狭武田家はすでに縁がある。

 これは義景の父親であった朝倉孝景の正室に、若狭武田家五代当主であった、武田元信の娘が嫁いでいるからである。
 つまり義景は武田家の血筋も入っているということになるわけだ。

 当然、その娘を自称しているわたしにも、ということになるのだが、実際にはわたしは朝倉家とは何の縁もないので、元明とは赤の他人、ということになる。
 しかし晴景を夫に迎えたことは事実なので、やはり縁続き、ということになるわけだ。

「若狭を治めていた武田氏は、落ちぶれたとはいえ名門の出であるし、若狭の民にも慕われているようだからな。それを利用してやろうと思ったまでのこと」

 ふん、と鼻を鳴らしてわたしは言う。
 可愛くないことこの上無い発言である。

「姫は御覧の通り、見た目はお美しくあられるが、口が悲劇的に悪うございましてな。天は二物を与えぬとはよく言ったものです」
「……正信、喧嘩を売っているのか?」
「まさか。空耳戯言……。聞き流して下されば幸いですな」

 まったく。
 口の達者な正信にはよく交渉事を任せるのであるが、わたしのいない所でわたしを出汁にして、いったいどんな交渉を行っているのやらって思ってしまう。

 それはともかく、元明の武田家当主という肩書を使って若狭を手っ取り早く支配してしまおう、というのが前々からのわたしの考えでもあった。
 この若狭武田家は不思議なもので、やはりその名門としての威光からなのか何なのか、戦国時代に入っても他国であったような下克上に至ることは無かった。

 粟屋や逸見といった家臣どもは反乱してそれぞれの地に割拠するものの、しかし武田氏を追い落として若狭の国主になろうという動きまでは見せていない。
 ちなみに越前の朝倉氏は、まさに下克上の代表といっても過言ではない朝倉敏景がいたりするのであるが。

 ともあれ元明を旗頭にすることで、若狭侵攻の大義名分は立つ。
 また元明はまだ若いから、これからの教育次第では成長し、使えるようにもなるだろう。

「どうだ? と言っても選択肢はあまり無いが」
「……お断りしたらどうなるのです?」
「ん? 当然お前の存在は邪魔になるから、この場で食い殺してやる」
「姫、寺で殺生はなりませぬ。武田殿、姫はこう仰っておられるが、ただの奥ゆかしい比喩表現というもの。お断りになるのであれば、このまま仏門に入っていただくことになるでしょう。もしくは身の安全のために、甲斐にお送りすることになるやもしれませぬ」

 またもや正信が都合よく意訳していた。
 しかしどこをどう意訳したらそうなるのかって思ってしまうが。

「これをお断りしては、名門武田の恥ということになるわけですね……。では、迷うことなどありませぬ。ですが、私も共に戦わせていただきたい」
「ふうん?」

 この元明の言には少し驚いた。

「お前、戦場に出た経験は?」
「……お恥ずかしながらありませぬ」

 それもそうか。
 幼子の状態で一乗谷に連れ去られ、幽閉された挙句、若狭に帰国してからは後瀬山城に戻ることも叶わず、この神宮寺で陰鬱たる日々を送っていたのだろうから。

「ではこれが初陣になるか」

 わたしはにやりと笑う。
 思わぬことであったが、案外気骨はあるらしい。
 腐っても戦国大名の嫡男だった、ということか。

「私は一兵卒すら指揮したことはありませぬが……」
「そんなことはどうでもいい。お前が先陣に立つだけで士気が上がる」

 そして相手の士気は下がる。
 現在の若狭情勢であるが、高浜城の逸見昌経はすでに山崎景成によって討ち取られ、城兵は降伏。
 大倉見城の熊谷直之は北条景広の猛攻を受けて落城。直之は降伏。

 残りは粟屋勝久と江口正吉の籠る国吉城を残すのみとなっている。
 丹羽長秀に古くから仕えている江口は徹底抗戦をする可能性は高いが、粟屋勝久は元々武田家臣であり、武田元明の出馬に動揺する可能性は高い。

「正信、お前が元明について指揮を補佐しろ。護衛は乙葉にさせる」
「乙葉殿は国吉城で江口殿に翻弄されて、だいぶお怒りのようでしたが」
「個人の武勇のみでは戦はままならぬ、ということだ」

 国吉城攻めでは景建について暴れ回った乙葉であったらしいが、江口の巧みな戦術と指揮により、手傷を負ったらしい。
 無論、江口勢の被害も甚大になったらしいが、それでもあの乙葉を退かせたのだから大したものである。

 一定の力を持った妖は人に比べて圧倒的ともいえる力の差があるが、それでも無敵というわけでもない。
 刃で裂かれれば傷つくし、特に鉄砲などで狙われて被弾すれば、重傷を負う。銃弾は妖の身体能力をもってしても避け難く、複数で狙われれば致命的だ。

 また人の中には神通力を持った特殊な輩も存在するし、特に武将の中に多いきらいがある。
 上杉謙信などはまさにその筆頭だろう。
 わたしも殺されかけたくらいである。

 結局のところ、如何に個人的武勇に優れていても過信は禁物であるし、またやりようもあるということだ。
 過去の歴史というか、伝承の中においても、猛威を振るった鬼どもなどは、そのことごとくがひとによって討伐されてきたのだから。

 乙葉も千代女に敵わずにずっとこれまで支配されてきたのだから、人の怖さというものは理解しているはずなのだが……まあ、その辺りも今後、諭していかないといけないというわけだ。

「乙葉には元明の傍にいさせてしばらくは大人しくさせていろ。とにかく、国吉城攻めと若狭平定はお前に任すぞ正信」
「姫は如何されるのです?」
「当然、丹羽を迎え撃つ」

 すでに堀江景忠の率いる朝倉本陣も若狭に到着している。
 丹羽勢は西近江路より北進していることがすでに分かっているため、こちらは近江に侵攻して南進し、これを撃退して再び京に進軍する予定なのだ。

 景忠率いる本陣は比較的ゆっくりと進軍させたことや、若狭平定には関わっていないこともあり、将兵に疲労は無い。
 逆に先陣隊はわたしがかなり無理をさせたため、疲労は限界である。
 しかし国吉城を落とすまでは頑張ってもらうつもりであるが。

「北条景広と高広は、今回の若狭平定を功として若狭に所領を与えて元明の与力とする。二人と協力して若狭衆を統率しろ」
「はっ」
「……ちなみにお前が無能ならば、あの二人の傀儡になると覚悟しておけ。父親の高広はそれなりに曲者であるから、十分気を付けるんだな。とはいえいきなりではしんどいだろうから、正信をしばらく貸してやる。その間にできるだけ学び、北条の親子との信頼関係を作っておけ」

 元明が有能になるのであれば、それはそれでよし。
 無能であるのならば、いい様に利用するだけのこと。
 わたしとしてはどちらでもいい。

「景成には国吉城攻めには協力させた後、敦賀に入らせろ。そこで景建の指揮下において、しばらく敦賀防衛の任に回す。……ちっ、仕置きしている暇も無いか」

 運のいい奴である。
 ちなみに後備を率いる長連龍の軍勢は、未だ若狭に到着していないがこれには理由がある。

 連龍の役割は若狭から丹波に続く街道の整備と拡充である。
 つまるとこ、兵站の確保だ。
 急ごしらえにはなるが、丹波の生命線になるので手は抜けない。
 それにまた後で使いどころがある。

「姫は敦賀にも敵が攻め寄せてくるとお考えなのですか?」
「さてな。だが来ると思って備えておいた方がいいだろう」

 正信へと答えたわたしは、その場に立ち上がった。

「元明、すぐに支度しろ。出陣だ」

 この日の夜。
 徳川家康と織田の連合軍が飛騨に侵攻したことが、勝山城の貞宗からもたらされることになる。


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