朝倉天正色葉鏡

第98話 色葉上洛

朝倉天正色葉鏡 色葉上洛編 第98話

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 天正七年四月。

 朝倉家の上洛に合わせるかのように、武田家は上野国利根郡にある沼田城へと侵攻を開始した。

 沼田城。
 この城は沼田顕泰によって天文元年に完成をみた丘城で、河岸段丘の台地上に立地することもあって、崖城ともいえる。
 このような要害にあることや、いくつかの支城に囲まれていることもあって、非常に堅牢な城としても知られていた。

 そしてこの沼田の地は北関東の要衝である。
 そのため上杉氏と北条氏の間で争奪戦が繰り広げられていたのであるが、ここしばらくは上杉の支配下に置かれていた。

 ところが天正六年の御館の乱により、越後へと侵攻した北条勢によって沼田城は制圧され、現在は北条の支配するところとなっている。

 しかしこの乱の最中、上杉景勝と同盟した武田勝頼は、その条件の一つとして沼田城攻略を承認させていた。
 切り取り次第ではあるものの、上杉が武田による沼田の領有を認めたのである。
 これに則って、武田家は沼田侵攻の準備を進め、その機会を狙っていた。

 そんな中、朝倉家より畿内方面についての情勢がもたらされ、近く織田家に協力して上洛する運びとなったことを知らせてきたのだ。
 これについて、武田家中ではやや紛糾した。
 織田家は朝倉、武田にとっての敵のはずである。
 その織田と協力するとは言語道断ではないか、という意見だ。

 一方でこれはあの朝倉の姫君の何かしらの策謀ではないか、という意見も多数を占めた。

 何しろあの姫のことである。
 武田がその力を回復させ、東海道の平定の準備を進めているうちに、北陸を平定してしまったのであるから、その手腕には恐れ入るしかない。

 そしてかの上杉家ですらかなり切り崩されているようで、内乱後、もはや朝倉家に頭が上がらない状態になっているという。

 そんなことを為してきた朝倉の姫が、素直に上洛要請など受けるはずも無い、というのが武田家中の意見の大勢として、結果的にまとまった。

 事実、飛騨の武藤昌幸からは、美濃方面の防衛を強化すべきという進言も来ている。
 ともあれ、織田家が畿内の動乱に手を焼いており、手が回らない状態なことは確かであった。

 西の織田が動けないのであれば、これは好機である。
 すでに西上野を支配下に置いていた勝頼は、この機を逃さずとばかりに上野一国の平定へと乗り出すことになった。

 手始めが、沼田城攻略である。
 沼田城には城代として北条家臣である猪俣邦憲と金子泰清らが置かれていたが、金子泰清に対してはすでに武田より調略の手が伸びていたものの、未だ芳しい結果には至っていなかった。

 そこで勝頼は西上野を支配する内藤昌豊と、信濃小県郡に所領を持つ真田昌輝に命じ、沼田侵攻を開始。
 真田一門衆であった矢沢頼綱が特に奮戦し、沼田城の支城である名胡桃城や小川城を降し、沼田城への攻勢を強めた。

 しかしここで北条氏邦が来援。
 内藤勢がこれを押さえている間に真田勢は沼田城への調略を強め、ついには城代であった金子泰清がこれに応じ、無血開城に至った。

 沼田城陥落の報せにより、氏邦はいったん撤退を余儀なくされたものの、この一件により武田家と北条家の関係は険悪なものとなり、その後上野を巡っての攻防戦が頻発することになる。

 このように周辺諸国の動静が慌ただしくなる中の、天正七年四月十八日。
 ついに朝倉勢は上洛を果たし、京へと入ったのであった。

 その数五万三千余。
 信長をして、想像し得なかった大軍であった。

     /色葉

 こちらの上洛の意思を武田に伝えたことで、案の定、勝頼は動いた。
 狙ったのは上野の沼田城である。

 この沼田城は史実において、何かと問題となった城で、武田は放っておいても遅かれ早かれこれを奪取することになるのだけど、この世界ではそれが少し早まったようだった。

 ちなみに史実でこれを落としたのは、武藤昌幸である。
 しかし今の昌幸は真田家を継いでおらず、しかも飛騨にいるので今回の沼田城攻略には参加していない。

 とはいえ代わりに兄の昌輝と、武田四名臣として知られる内藤昌豊が存命であるので、人材的に不足は無く、事はうまく運んだようだった。
 これでしばらく関東方面が騒がしくなることだろう。

 そんな東国のことはよそにして、大動員令を発したわたしは、五万三千と号する大軍を引き連れて京への進軍を開始した。
 これが四月に入ってすぐのことである。

 ここまでの大軍である必要も無かったのではあるが、せっかく上洛するのだからと見栄を張ったのが一つ。

 とはいえ虚栄というわけでもない。
 そこまで無理をして動員したわけでもないからだ。

 それに戦費は織田持ちと決まっているので、こちらの腹は痛まない。
 もっとも全てを織田を当てにしているわけでもなく、例え支援は無くとも十二分に運用できるだけの戦費の用意はあった。

 また朝倉領内には最低限の守備兵も残してある。
 特に敦賀や大野では、防御態勢を強化させた。

 四月十八日には京に入り、信長が用意していた宿舎であった妙覚寺で一泊すると、翌日には参内して近衛前久と会見し、更に翌日には正親町天皇に拝謁を許された。

 この時、莫大な献金を行っておいたので、朝廷における朝倉家の影響力が強まったことは言うまでもない。

 また同行させていた姉小路頼綱を通して、公卿どもとの親交を深めた。
 中にはわたしの姿に忌避する者もいたが、多数は興味を覚え、再び会いたいと申し出てくるほどで、そういった連中を中心に、わたしはあしげく通ってやったのである。

「くそ。疲れたぞ……」

 上洛してからすでに五日が経過していたのであるが、わたしは宿舎である妙覚寺でひっくり返ってぼやいていた。

「姫様、はしたないですよ」

 雪葉がいつものごとく窘めてくるが、知ったことではない。
 大の字になっていたわたしは、梃子でも動かぬとばかりにしばらくそのままでいてやった。

 だって本当に疲れたのだ。
 公卿どもは武将連中と違ってなまじ教養やらがあるせいか、どうにも話すだけで疲れてしまう。

 まあ、一番疲れているのはわたしの命で公卿どもの間を奔走している頼綱だろうけど、知ったことじゃない。

「しかし乙葉は大したものだな? 普段はあんな様子なのに、猫を被るのがうまいというか何というか」

 今回の上洛にあたり、雪葉と乙葉は当然伴っていたが、乙葉は基本的に景鏡の護衛として常に張り付かせていた。
 その景鏡もあちこちに挨拶回りをしているため、乙葉もそれについて回っているのであるが、振る舞いがわたしなどよりもよっぽど淑女なのである。

 そういえば初めて会った時も、ずいぶん礼儀正しい様子だった。

「伊達に長生きしていないのでしょう」

 できて当然です、とばかりに雪葉は言うが、それでも大したものだと思うのだ。
 わたしもできないことはないが、長時間はやはり疲れるし、油断すると地が出てしまう。
 もうそれでいいかもと思わないでも無かったが、雪葉が怒るのでできずにいた、という次第だった。

「それよりも姫様。明日、信長様が本能寺に入られます。そのような陰気な顔をされていては、朝倉の名折れとなりますよ?」
「くそ、信長のやつ、わたしが来るのは分かっているのだろうから、最初から待っていればいいのに」

 愚痴を零しつつ、気合を入れて上半身を起こす。
 そして疲れのせいか、やや毛並みが悪くなった尻尾を撫でつつ、少し考え込んだ。

 織田信長との会見――対外的に挨拶ということになっている――は、明日に予定されている。
 会見場所は本能寺。
 信長が京都滞在時に宿舎としている寺である。

 さてどんな奴であるか、ついにご対面というわけだ。
 景鏡は一度会ったことがあるので知っているが、当然わたしは初対面となる。
 多少、楽しみでもあった。

 ところがその夜。
 思わぬことが起こったのである。

     ◇

「ひ、姫様――――一大事にてございますぞっ!」

 どたどたという無遠慮な足音と、どこか素っ頓狂な頼綱の声を耳にして、わたしは不愉快を隠せずに視線を上げた。

 後はもう就寝を残すのみとなっていたわたしは、寝床でアカシアを手に、読書に耽っていたのである。
 まあいつもの習慣というやつだ。
 この時間はわたしにとって非常に貴重で、かつ読書は誰にも邪魔されたくない類のものである。

 これを邪魔されるとわたしが不機嫌になることを承知している雪葉などは、ぎょっとしたようにその場に立ち上がっていた。
 わたしが眠るまでの間、部屋の隅で控えていてくれたのである。

「頼綱様、そのような大声を出しては――」
「いい、雪葉」

 本を閉じると、アカシアから何やら残念そうな気配が漂ってきたものの、いったんはお預けだ。

「騒々しいぞ」

 頼綱がわたしの居室の前で急停止すると同時に、障子を開ける。

「ひ、姫様!」

 雪葉は慌てたが、わたしは気にしない。
 というのもわたしの姿はすでに、白の寝巻一枚になっていたからである。

「こ、これはご無礼を――!」

 わたしの姿を見るなり、頼綱は物凄い勢いで平伏した。
 というかもはや土下座のようなものである。

 わたしの機嫌に合わせて尻尾が不穏に動いていたが、その尻尾が反応できないくらいの急降下土下座にやや毒気を抜かれてしまったほどだ。

 ちなみにこの頼綱の宿は当初別にあったのであるが、面倒くさかったので強引にこの妙覚寺で宿を取らせていた。
 というのも京のことについて、頼綱に色々と教授してもらう機会が多かったからである。

 さらに言えば、晴景は有事の際のために越前で留守を預かっているし、側近の貞宗も美濃方面の警戒のために所領に残してきている。
 正信はついて来ているが、あの男は決して深く関わってこようとせず、絶妙な距離感を保ってわたしに仕えているので、雑用は任せにくくあった。

 そこで白羽の矢が立ったのが、便利屋の頼綱だった、というわけである。
 まあ抜けているようで役に立つし、わたしの命を助けた功もあって雪葉には気に入られているし、わたしも気に入っている。
 なので深夜の無礼は許すことにした。

「いいから顔を上げろ。話しにくい。で、何の用だ?」
「はっ……それがですな……何と言いますか……」
「早く言え」

 尻尾が頼綱の喉元に触れるなり、ひっと悲鳴を上げてのけぞるものの、どうにか踏みとどまって口を開くに至ったその言は、さすがにわたしも驚いてしまった。

「――お、織田信長殿がお見えになっています」
「なんだと?」

 信長が来た?
 今ここに?

「……それは本当か?」
「ははっ! 信長殿とは面識がありますゆえ……」

 確かに頼綱は信長と相婿の関係であり、かつては同盟を結んでいた身の上である。

「……ふうん。ずいぶんな不意打ちだな。やってくれる」

 前夜に訪れた意図は不明であるけど、思わぬことをしてくれる奴である。

「ここに来た、ということは、父上に会いにきたわけではないのだろう?」

 景鏡はわたしとは別に宿をとっている。
 ここに来た時点で、わたしが目的であることは間違いないだろう。

「手勢はどれほど引き連れてきた?」
「それが……随行の者は一人のみにて」
「二人で来たというのか?」

 また大胆な奴である。

「しかも女子でしたぞ」
「女?」
「大層な美人と見受けましたが」
「ふうん」
「あ、いえいえ! 姫様に勝るものではありませぬが!」

 どういうわけか、慌てふためく頼綱。
 元が元だけに、自身の美貌を誇ったことも無いのだけど、家臣どもからすると、わたしの容姿は一つの自慢の種であるらしい。

 だからわたしも容姿には気を遣っていると思われがちであるものの、その実はまったくそんなことはない、というのが本当のところである。
 アカシアや雪葉がうるさいので、なされるがままにはなっているけれど。

「で、入れたのか?」
「は……そのままお待たせするわけにも参りませんでしたので……」
「それもそうか」

 頷き、仕方ないから会うかと一歩を踏み出したわたしだったが、今度は雪葉が慌てて止めたのだった。

「姫様! そのようなお姿でお会いなさるおつもりですか!」
「ん? 駄目か?」
「駄目です!」

 寝巻のままで客に会うなどとんでもないと、雪葉が怒るので、仕方なく着替えることにした。
 やれやれ、面倒なことである。


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