朝倉天正色葉鏡

第97話 上洛の条件

朝倉天正色葉鏡 色葉上洛編 第97話

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「なに、応じただと?」

 安土へと戻っていた信長の元に、急ぎ帰還した貞勝は朝倉が上洛を承知した旨を報告していた。
 それに対し、少なからず驚いたのは信長自身である。

「はっ。条件付きではありますが、それさえ呑めば上洛することもやぶさかではない、と」
「ふむ……。意外だな。俺はてっきり断ってくるものかと思っていたが」

 可能性の一つとして朝倉に使者を遣わせた信長ではあったものの、かなりの確率でこれを断ってくるだろうと踏んでいたのである。

「で、条件とは何だ?」
「それなのですが……朝倉殿からの書状がありますゆえ、ご一読を」

 貞勝が信長に渡した書状には、四ヶ条に渡る条件を織田側が呑んだ場合に限り、上洛戦を行うというものだった。

 具体的には、

 一、上洛にかかる費用を織田家が捻出
 二、行路の安全の保障
 三、摂津方面には関わらず、丹波方面のみでの活動
 四、松永久秀の処遇の一任

 というものであった。

「つまり、久秀とは戦うが村重とは戦わない、ということか」
「そのようにございます」
「丹波の方が越前に比較的近いからな……。あまり遠くには進みたくないというのは分かるが。しかし戦費をこちらが持てだと?」
「ただでは動かぬと、そのように言っておりました」

 兵を動員し、実際に動かすとなると、それなりの銭がかかる。
 つまり朝倉は人を出すが、織田には銭を出せ、と言ってきているわけだ。

「ただでは、か。上洛すれば適当な官位を与えるとは言わなかったのか?」
「もらえるものはもらうが、別段初めから官位を望むつもりはないと。かかった実費を得る方が、よほど意義があるとも」
「合理的な奴だな」

 厄介だ、と素直に信長は思う。

 上洛して戦えば、それだけで朝倉の名を知らしめ、権威づけとなる。となれば名ばかりの官位などとりあえずは不要というわけだ。

 それよりも、必要経費を織田からむしり取った方が意味があると、そう考えたのだろう。

「こちらが了承した場合、手付として一定の銭と糧秣を越前に送ってやらねばなりません」
「抜け目がないな。しかしまあ……銭はある。それで朝倉を引っ張ってこられるのならば、安い出費とみるべきか」

 過剰に農民を動員すれば、やはり農地が荒れる。
 織田家はあちこちですでに戦線を維持し、動員がかけられている状態なので、これ以上を領民に負担させるのはうまくない。

「無尽蔵には応えられんが、こちらが出費として認めた分については融通しても良いだろう。まあ、ここは交渉次第ということになるか」
「はっ」
「行路云々というのは当然の要求だろうし、丹波方面のみというのもいいが、しかし久秀の処遇を、というのはどういうことだ?」

 やや首をひねる思いで、信長は尋ねる。

「例え松永殿を打ち破ったとしても、その後松永殿やその一門の引き渡しの要求には応じない、ということかと」
「それは分かるが、そうする理由は何だ?」

 信長にとって久秀は年老いたとはいえ惜しい男である。
 可能ならば帰参させたくも思っているが、この期に及んでは無理だろう。
 となると、謀反した以上、その一族は処刑することになるのが普通だ。

「それがよく分からないのです。まるでついでのように、そのように書き加えておりましたので」
「ふむ……。上洛すれば久秀と戦うことになるが、その際の交渉をうまくするための材料として、か……?」
「あるいは」
「あるいは?」
「殿がご所望されている例の茶器の所有権までも、主張するのやもしれませぬ」
「平蜘蛛か」

 得心がいったとばかりに、信長は膝を打った。

 古天明平蜘蛛。
 第一級の名物とされる茶釜である。

 かつて久秀は大名物とされていた九十九髪茄子を信長に献上したことがあった。
 この九十九髪茄子はかつて将軍家であった足利氏が所有していたが、山名是豊、伊佐宋雲、朝倉宗滴と次々に渡っていき、ついには久秀が入手するに至っていた。

 久秀はこれを信長に進呈したのであるが、信長は平蜘蛛についても幾たびも久秀に対して所望していた経緯がある。

 しかし久秀はこれを断り続けていた。
 信長としては何としても手に入れたい茶器の一つだったと言っていい。

「一乗谷でもかつて茶の湯は流行ったというからな……。景鏡も欲しているのか」
「それは分かりませぬが……それと、殿」

 信長の言葉に、貞勝はやや慌てたように自らの主の誤解を訂正しようとした。

「今回交渉した朝倉の者ですが、朝倉景鏡ではありません」
「なに?」

 復興後の朝倉家の当主は、朝倉景鏡であるというのが通説である。

「景鏡に会えなかったと申すのか?」
「いえ、会うことは叶いました。されど……実際に朝倉家を牛耳っていた者は違ったのです」
「何だと? では……武田から迎えた勝頼の弟に、家督をすでに譲っていたということか?」
「そうでもありません。それがしが直接交渉した相手は、景鏡の娘である色葉姫という者でした」
「女子だと?」

 ますます訳がわからんとばかりに、信長は首をひねる。

「殿は噂を聞いたことがありませぬか? 朝倉の狐の話を」
「狐……?」

 しばらく考え込んだ信長は、すぐにも思い当たる節があったようで、小さく頷いてみせた。

「そういえば鈴鹿がしきりに何やら言っておったな……。しかしその者が朝倉を牛耳っているだと?」
「そのように見受けました」
「では今回の条件を出してきたのも、その狐か」
「然様であるかと」

 信長にしてみれば、相手が妖だからといって軽視するつもりは無かった。
 何といっても自分には鈴鹿という、割と正体不明な娘がいるくらいである。
 むしろ理解のある方だろう。

「つまり、朝倉のここ数年の急激な勃興はその姫の仕業というわけか」
「一概には言えませぬが、その可能性は高いかと」
「となると、油断はできぬな」

 自身の娘であるらしい鈴鹿は基本的に、信長の行う政治に口を挟まない。その代わりに力となって動くことも、例外を除いてあり得ない。

 信長が天下布武を為すのであれば、それを横から見ているだけ、という姿勢を一貫している。
 稀に気紛れで動くこともあるが、その度にろくな結果にならないのはいつものことだ。

 しかし朝倉の狐とやらは、積極的に動いているらしい。
 それがどの程度のものかは分からないものの、ここ数年の結果を見てみれば、無視できないものであることは確かなようだ。

 そんな狐が上洛に応じた、というのは、何とも言えない嫌な予感を信長に与えていた。

「久秀のことも何か別の理由があるのかもしれんが、何にせよあの男はもう織田には靡かんだろう。好きにさせればいい」
「茶器のことはよろしいのですか?」
「そこはうまく交渉しろ。もっとも久秀も戦上手。朝倉が来たからといって、容易く征伐できるような相手ではないがな」

 信長は結局色葉からの要求を呑む代わりに、織田からも要求を出してこれを呑ませることを条件とした。

 それらは、

 一、行路は織田家が指定した若狭経由にすること
 二、丹波方面での実戦
 三、景鏡自らの上洛
 四、四月までの参陣
 五、織田信長への挨拶

 というものであった。

 これらはただちに使者によって越前へともたらされ、奏者として朝倉家に残っていた明智光秀を通じて再交渉に入ることになる。

 織田家より新たに出された条件の中で、当主である景鏡自らの上洛と、信長への挨拶については、朝倉家中でも意見が分かれた。

 景鏡はかつて義景の名代として幾度も出陣し、織田勢と戦ったことのある歴戦の将である。
 しかし今となっては一線を退いて久しく、朝倉勢が遠征をする場合には留守勢として越前に残り、専らその守備に専念していた。

 今では越前国の安定の象徴だっただけに、遠征に対する懸念が家臣の中から上がったのは当然の流れだったといえる。
 色葉ですら自分が赴くから行く必要は無いとし、再交渉をして織田側がこれを承知しない場合は上洛そのものを中止しても構わない、とまで言ったものだった。

 色葉をして、名目の上とはいえ自身の父親としている景鏡の存在は、朝倉家にとってなくてはならないものであると自覚していたからでもある。

 また家臣らにとっても、横暴で傲慢で破天荒な色葉に対し、恐れずに直言できる数少ない人物の一人として、頼られていたのも事実だった。
 そのため誰もが景鏡の安全を第一に考えていたのである。

 しかし景鏡は心配無用として上洛することを承知。
 これは織田家との交渉が長引いて、機を逸することを恐れたからでもある。

 自身が存命のうちに朝倉家が天下に手をかけるには、これから色葉が起こそうとしている大乱こそが必要であると信じたからでもあった。
 そのきっかけとなる上洛は、やはり行うべきであると景鏡は判断し、決断もしていたのだ。

 となれば、迷う必要が無いとも。
 珍しく色葉は渋ったものの、結局おされる形で承諾。

 しかしこのような色葉の逡巡は、意外な形ではったが、家中で好評となった。
 姫でもやはり人の子であったか、と。

 色葉にしてみればただ単に万全を期したかっただけであるが、家中の結束が固まったことは思わぬ拾い物であったと言っていい。

 細かな打ち合わせはその後も継続したが、ともあれ朝倉家の上洛は正式に決定され、その噂は内外に大いに広まることとなったのだった。


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