朝倉天正色葉鏡 畿内動乱編 第91話
/色葉
「色葉様、いつまで寝正月をされているのですか!」
久しぶりに一乗谷に帰ったわたしは、乙葉と共にぐうたらな堕落した毎日を送っていたのであるが、とうとう雪葉に叱られてしまった。
……今までたくさん働いたのだし、少しくらいいいじゃないか、とは思ったのであるが、雪葉は怒らすと怖いので素直に従っておくことにした。
「わかったわかった。あまりうるさく言うな」
「雪葉ってば相変わらずだし」
わたしと乙葉は顔を見合わせてそう言ったものの、雪葉の鬼気におされてすぐにも居住まいを正すことになったのであるが。
天正七年二月。
新暦でいうところの二月下旬から四月上旬にあたることもあって、冬の寒さはやや和らぎ、春へと着実に向かっていることが実感できる時季になってきた。
ちなみに今年は積雪が多く、京からの帰り道では完全に足止めをくらい、敦賀でしばらく足止めをくったほどである。
とはいえあまり一乗谷を留守にするのも何だったので、多少は無理をして戻ることにしたのだった。
軍勢での行軍はまず不可能であるが、わたしと乙葉であるのならば、まあ遭難することもなく無事に辿り着けた次第である。
とはいえ疲れたのは事実だが。
「少しは慣れたようだな」
わたしが声をかけたのは、かいがいしくわたしの世話に没頭しているまだ若い女である。
名を華渓という。
あの上杉景虎の妻だった人物だ。
「はい。姫様のおかげでありますれば」
「別に堅苦しくする必要も無いぞ。まあ雪葉の手前、そうもいかないだろうが」
雪葉に加え、わたしの新たな傍仕えになった者で、わたしが一乗谷を留守にしている間に、雪葉に徹底的に仕込まれていた。
そのためわたしにすれば、すでに文句も出ない出来に仕上がっているような気もしたのであるが、雪葉に言わせるとまだまだとのことらしい。
まったくわたしの見ていないところでどんな教育的指導をしているのか、ちょっと怖いくらいである。
「……ひと? 妖? 変なの」
ちなみに華渓を初めて見た乙葉が洩らした感想が、それだった。
延焼し、崩れ落ちる御館からわたしが華渓を救いはしたが、その際に華渓は純粋なひとではなくなっていた。
わたしの妖気を浴びて、変質してしまったのである。
そしてこれは想定内のことで、アカシアの入れ知恵でもあった。
さらには後でわたしが得た上杉景虎の魂を食わせたので、必要最低限の力は得るに至っている。
わたしの世話をするのに、常人では辛いだろうという配慮でもあるし、わたしが華渓にかけた呪いでもあった。
ちなみに雪葉が命を助けた上杉道満丸は、華渓と雪葉によって教育されている。
雪葉に任せておけば大丈夫かとも思うが、やり過ぎそうで怖いというのが、正直なところの本音でもあった。
ともあれわたしの傍に仕えるようになった新人、ということで華渓が新たに増えたのであるが、実はもう一人、新たな家臣が増えていた。
わたしが貞宗に命じて大和から連れて来させた人物であり、名を島清興という。
通称は左近。
元は筒井順慶の家臣であったが、順慶の死により遅かれ早かれ出奔するのは目に見えていたので、事前にあれこれ工作して左近に筒井家を見切らせ、そこをすかさず拾った、という次第だ。
左近を登用すべく動いたのが貞宗であったものの、これには難儀したらしい。
そしてついには貞宗のやつ、自分の居城である亥山城まで与えて、登用に成功したとのことだった。
もちろん、わたしが許せば、という前置きをつけてのことではあったが、結局わたしはそれを許した。
後世の島左近の名声を考えれば、惜しくない買い物であったからである。
とはいえおかげで貞宗は城無しとなり、まあそれでもいいかと思っていたのであるが、家中随一の重臣が城も無しでは如何なものかと雪葉に詰め寄られ、大野郡の北袋に新たな城を築いて与えることにした。
……雪葉のやつ、妙に貞宗贔屓なんだよな。アカシアもだけど。
この北袋は平泉寺と共にわたしの直轄地ではあるものの、まあ平泉寺との折衝やら何やらで面倒くさい土地でもある。
その点、わたしの側近である貞宗ならば、わたしの権威を利用して治めやすいだろう。
普請は今年の春からの予定であり、次回の評定で正式に決定する予定だ。
ちなみに新たな城の名称は勝山城である。
左近は貞宗の与力とし、その配下とした。
大野郡は美濃との領地を接しているし、何よりわたしの膝元でもある。ここに軍事的才能のある武将を配置しておきたかったのは、前々からの考えでもあったから、ちょうどいいといえばちょうど良かったともいえる。
「さて、行くか」
天正七年二月十四日。
今年は正月に越前を留守にしていたこともあって、今年最初の評定は二月にずれ込んでいた。
普段ならば奇数月に行っているのだけど、今年はそういう事情で二月という運びになっている。
そしてこの時ばかりは、普段はわたしたちだけの一乗谷に家臣一同が勢揃いする。
家臣どもは増えたが、そもそもにしてわたしの館は相当に大きいので、まだまだ余裕がある。
かつて義景が構えていた館よりも敷地面積も館の規模も大きいのだから、当然ではあるが。
ちなみにわたしが留守にしている間は、景鏡を中心に北ノ庄城で行われていた。
これはわたしの留守の時まで、一乗谷に集まる配慮は不要、とわたしが言ったからでもある。
それに北ノ庄城ができたことで、一乗谷のわたしの館以外にも、広大な敷地をもった場所を確保できるようにもなったからであるが。
北ノ庄城にはわたしのための御殿もあるので、時折あっちでやってもいいかもしれない。
それはともあれ、十四日までに朝倉領国の各地から、続々と家臣が集まってきた。
そのため普段は静かな一乗谷も、この時ばかりは騒がしくなる。
そして雪葉や貞宗などはその準備をするのに、大忙しというわけだ。
ふんぞり返って何もしないわたしの相手などは二の次というわけで、そういった意味でも華渓の存在は助かったことだろう。
そうこうしているうちに期日となったのであるが、その前日になって、北ノ庄から急ぎの報せが一乗谷にもたらされる。
内容は、織田家からの使者が北ノ庄に来たとか。
使者の名は村井貞勝。
「村井といえば、京都所司代だろう?」
「そうだ。織田家中の行政官の頭でもある重臣だ」
すでに一乗谷に来ていた景鏡が、重々しく頷く。
「この時期に織田から使者が来るとはな」
これは予想していなかったので、わたしは少し不機嫌になる。
何か機先を制されたような気がしたからだ。
今回の評定において、織田領への侵攻を正式に決定するはずだったというのに、その寸前に当の織田から使者、である。
果たしてどうするべきか……。
「評定が終わるまで数日待たせておいても良いが、内容によっては評定にかける可能性も出て来るかもしれん。いったん戻り、わしが対応しても良いが?」
「いや、評定自体を一日遅らせる。父上に会いにきたのだろうから、父上も同行を。わたしも行く」
「色葉自らか?」
「内容が気になるからな」
この時期の使者。
どうにも解せないのである。
それに北ノ庄は目と鼻の先。
時間はかからない。
「家臣どもにはそう伝えておけばいい。わたしが行っている間、わたしへの愚痴で盛り上がるだろうが、たまにはいいだろう」
即断即決すると、わたしは晴景に後を任せて景鏡と共に、急ぎ北ノ庄へと向かった。
そこで待っていた村井貞勝と会い、その口から耳にしたのは、それこそ思いもよらないことだったと言えるだろう。
すなわち、朝廷からの上洛要請だったのである。