朝倉天正色葉鏡

第80話 越後遠征

朝倉天正色葉鏡 畿内動乱編 第80話

     ◇

 果たして天正六年七月。

 羽柴秀吉が任されていた三木合戦に参加していた織田家家臣・荒木村重は、突如として戦線を離脱し、居城であった有岡城に帰って籠城の構えをとった。

 荒木村重はその当初、池田勝正に仕え、その一族であった池田長正の娘を娶り、池田一門衆になる。
 しかし長正の長男であった池田知正と共に三好三人衆の誘いに乗って、三好家に鞍替えし、勝正を追放。
 池田家を掌握するに至る。

 その後織田信長に気に入られ、三好家から織田家に移り、これに仕えた。
 信長と足利義昭が対立した際、池田知正は義昭方に属していたもののやがて信長に降り、村重の家臣となる。

 これにより主君であった池田家は完全に村重に乗っ取られ、いわゆる下克上を成立させたのだった。
 以後は織田家臣として各地を転戦し、武功を上げ、有岡城を与えられて摂津国を平定し、これを支配するに至ったのである。

 村重謀反の報は信長を驚かせ、幾人もの将が説得に向かった。
 明智光秀、松井友閑、万見重元、高山右近、黒田孝高等らである。

 しかし説得は失敗。
 村重の支配する摂津は、織田方が現在交戦中である丹波や播磨の丁度間を占めており、戦略的にも重要な地であった。

 信長はまずこれを鎮圧することを優先とし、越前出兵は見送られ、さらには石山本願寺とも和平交渉へと取り掛かった。
 丹波の波多野氏、播磨の別所氏、そして摂津の荒木氏に加えて石山本願寺までを相手する余裕は、さすがの織田家にも無かったのである。

 しかしこれに加え、松永久秀の謀反が畿内一帯を震撼させることになったことについては、まさに想像に難くない。
 ともあれこのようにして、畿内はにわかに動乱の兆しを見せ始めたのであった。

     /色葉

 天正六年九月。

 摂津で発生した荒木村重の謀反を見届けて、わたしは越後へと入った。
 これでしばらくは時が稼げるはずである。

 上杉景勝の救援要請を受けた朝倉方は、晴景を総大将に越中衆や能登衆を中心とした軍編成で越後へと入り、窮地にあった坂戸城へと駆け付けることになった。

 坂戸城はかつて、上杉謙信こと長尾景虎と長尾政景が争ったことで知られる城でもある。
 政景は謙信の姉が嫁いだ先であり、その嫡男が上杉景勝であることは言うまでもない。

 その景勝の父・政景は謙信に帰順するものの、後に謎の死を遂げたらしい。
 謀殺されたとも言われている。

 ともあれ謙信は残された景勝を養子として迎え、息子の一人としたことは確かである。
 そして実子をもうけず、後継者を明らかにせずに死んだことで、このような乱が勃発するに至ったのだった。

「軍神とかいわれていても、死んでしまえば残されたものは呆気ないものだな」

 陣中にあって憚りなくそんなことを言うわたしへと、窘めるような視線を向けてきたのは晴景である。

「色葉よ。そういう物言いは良くないぞ? 謙信公とてひとであったということだ。景勝殿と景虎殿、どちらかを選ぶことができなかったとしても、やむを得ない仕儀であろう」

 あれだけ謙信にこてんぱんにやられながらも、晴景は謙信に対して敬意を持っているようで、決して悪く言うことはなかった。
 これは晴景の父親である武田信玄が謙信に抱いていたものを、晴景もまた引き継いでいるからかもしれない。

「ふん。しかしこの有様では墓の下で泣いているのではないか?」
「さもありなん。だからこそ、我らがこうして出張り、景勝殿を助けに参ったのであろう」

 まったく晴景はいつもまっすぐで誠実すぎで、いくらわたしが毒を吐いても抜かれてしまう。
 ある意味で、もっとも相性が悪い相手なのかもしれないな。
 やれやれ。

「で、まずは報告を聞こうか」

 坂戸城の近くに陣を張った朝倉勢は、関東より侵攻してきた北条勢とまさに対峙しているところだ。
 これまで幾度か城に攻めかかられ、これを撃退していたが、ここに来て朝倉の援軍が到着したことで、北条勢はいったん後退している、といったところだ。

「まず北条方の大将は北条氏照と北条氏邦でございます。また景虎方の将として、北条高広と北条景広が進出しています」

 答えたのは先陣として越後に入っていた、姉小路頼綱である。
 真っ先に入ったこともあり、情報収集は頼綱を中心に任せていたのだった。

「誰もが名のある将ですな」

 堀江景実が唸り、列席する一同は頷く。
 北条氏照と北条氏邦は、北条氏政の実弟だ。

 どちらも優秀で知られており、特に氏照は外交で手腕を発揮し、上杉や伊達、蘆名氏などとの外交に携わったという。

 氏邦は激し易く武勇での名声のある人物であるが、一方で内政手腕にも一定の評価があり、養蚕業に力を入れて北武蔵や上野において、生糸の一大拠点を築き上げたという。

 さすがはあの北条氏康の子等である、といったところだろうか。

 また、北条高広・景広父子は景虎方の軍の中核を為しており、高広は「器量・骨幹、人に倍して無双の勇士」ともされ、また息子の景広に対して景勝は「景広さえ討ち取れば景虎は如何にもなるべし」とも言わしめたという。

「なるほど。そんな連中がここに勢揃いしているということは、まさにここが天王山、といったところだな」
「……天王山?」

 わたしの言葉に、家臣どもが首を傾げる。

「色葉よ。ここは坂戸山であって、天王山ではないぞ?」

 などと言ってくる晴景の言に、わたしは一瞬眉をひそめ、ああそうかと思い至る。

『主様、天王山は――』

「ああ、いい。わかってる」

 アカシアの進言を留めつつ、わたしは家臣どもに向かって頭を振った。

 この世界では未だ山崎の戦いに至っていないのだから、天王山という言葉が比喩として使われておらず、家臣らも分からなかったのだろう。
 この世界にいい加減慣れてきたと思いつつも、それでもたまにこういうことはあるのだ。

「ともあれここで北条勢を叩けば、景勝の勝利は間違い無いのだろう?」
「しかし容易ではありませんぞ。北条方はすでに上杉方の荒戸城や樺沢城を落としており、足場固めには余念がありません」

 頼綱の言葉に、わたしは頷く。
 実際ここまで追い詰められたからこそ、景勝は朝倉を頼ってきたのだろうが。

 とはいえ景勝方もここでは徹底抗戦し、史実ではこれを守り切っている。
 それを知っているわたしとしては、無理に戦う必要の無いこともわきまえてはいた。

「まず坂戸城を防衛することの意義だが。晴景様はどう考える?」
「非常に重要だ。ここを落とされれば越後に北条の侵入を許すことになる。景虎方との連携がなれば、景勝方は一気に劣勢に立たされるだろう」
「そうだな。そうなると下越方面で蘆名らの侵入を防いでいる五十公野治長らも、やはり動揺する可能性が高い」

 わたしの言葉に誰もが納得したように頷く。
 ちなみにこの五十公野治長とは雪葉を通じて接触しており、ある意味で調略を行わせていた。

 先に越後へと入った雪葉は精力的に動いてくれたようで、元より面識のあった斎藤朝信や本庄繁長だけでなく、五十公野治長や新発田長敦、安田顕元らとも一定の信頼を築くに至っている。

 また越後に入るにあたっての事前情報も、雪葉が寄越してくれたものだ。
 わたしが越後に入ってからは、神保長城と椎名康胤を補佐に据え、手勢も与えて遊軍としていた。
 頼綱も行きたそうにしていたが、却下である。

 ともあれいつの間にやらこの三人は、雪葉びいきになってしまったらしい。
 まあいいけれど。

「逆に言えば、ここを抜かさなければそれで充分ともいえる」
「つまり姫は長期戦をお考えであると?」

 尋ねてくるのは長連龍。
 能登の平定では功を上げ、褒美として七尾城の城代を任せていた。

 この越後でも功を上げることができれば城主に引き上げてやって、能登国は連龍を中心に治めさせる心づもりである。
 ちなみにこいつは能登平定戦の際に乙葉と一緒になって敵兵……というか、遊佐や温井の残党を殺りまくったらしく、乙葉とは仲がいい。
 性格的にも通じるものがあったようで、ある意味では要注意である。

 まあ乙葉がわたしに絶対の忠誠を示していることもあってか、その乙葉に影響されて連龍もわたしにけっこうな忠誠を誓ってくれているようにはなったのだけど、何だかな、と思ってしまう。

 噂によると、遊佐と温井の一族を滅ぼした際に、乙葉が色葉様の方がもっと残酷で冷酷でえげつないんだからと自慢されて、自分もまだまだであったか、と自嘲したとか何とか。
 ひとが増えると知らぬ所で変な評価が生まれるから、困ったものである。

「確実に勝ちを目指すなら、それが一番だ」
「確かに北条勢も遠征軍なれば、長期戦は忌避するところでしょうが、それは我らとて同じこと。兵站の心配もありますしな」

 景実の言はもっともで、北条方もそうだがわたしたちもはるばる越中からここまで遠征しているので、やはり補給が生命線になってくる。
 一応、越中から春日山城、そして直峰城から坂戸城に至る連絡は維持されているから、とりあえずは大丈夫であるが、冬になるとそうもいかなくなってくる。

 街道が積雪で物理的に封鎖されてしまうからだ。
 少なくとも越中からの運搬は困難になるだろう。
 もっともそれは、北条方も同様であるが。

「糧秣に関しては、景勝に供与させることで話はついている。だから最悪越中からの補給線の寸断は、気にしなくてもいい」

 というか今回の遠征にあたって、かかった費用は景勝に出させることになっている。
 当然、高く売りつける算段ではあるが、かといって自前の兵站が確保できていないということは、やはり諸将を不安にさせる要因だ。

「――気にしなくていいが、やはり気持ちは悪いからな。勝頼にも話をつけて、もしもの場合は補給をしてもらえることになっている」

 おお、と一同は感心したように頷いた。

「では長期戦の準備を」
「いや、それには及ばない」

 晴景の側近でもある朝倉景忠の言に、わたしは首を横に振った。

「これまでの話と矛盾するようだが、わたしは長期戦ではなく短期決戦を目指すつもりだ」

 早々に北条勢を打ち破り、三国峠の向こうに叩き返す。
 これが今回の基本方針である。

「長期戦などこんな越後の片田舎で長々とやっていられるか。正月には一乗谷の館にこもり、暖かい部屋で雑煮を食べたいんだ。それを邪魔する北条どもは当然、皆殺しだろう?」

 そう言った瞬間、家臣どもがみんな引いていた。
 連龍だけはまさにその通り、という顔をしているけど、他の者はまたいつものえげつない姫様だよ、と言いたげな顔になっている。

「で、では……先ほどの長期戦というお話は、次善の策と考えてよろしいのですな?」

 頼綱に確認されて、そうだと頷く。

「はは、色葉は実に慎重であるな。しかし二手も三手も持っておけば、家臣らも安心するというもの」
「……心配性なだけだ」

 わたしが立てた作戦は大抵うまくいくのだが、それでも大敗した神通川の戦いの時のように、思わぬことは起きるものである。
 そのためにより慎重に行動するようには努めてはいるが、たまに心配性なだけかも、と思わないでもなかった。

 まあとにかく油断はしない。
 痛いのはもう嫌だからである。

「で、だ。我々は坂戸城防衛には固執しない」
「それはどういう意味です?」

 景実の問いに、わたしはここからも見える坂戸山へと視線を向けてやる。

「見ての通り坂戸城は坂戸山の山頂にあって、あの高さだ。あれを落とすのは至難だろう」
「確かにその通りですが……?」
「だから坂戸城は放っておく」
「は?」
「自分の城くらい、自分で守れということだ。先にも言ったが、長期戦は次善策。わたしの目的は北条勢の撃破。守っていてはできないだろう?」
「それは……確かにその通りですが」

 わたしが坂戸城に入らず、ある程度距離をとったこの場所に布陣しているのも、今回は守りでは無く攻めるのが目的だったからだ。

「いいか。今は朝倉の援軍が到着したことで、北条どもも警戒して坂戸城に攻めかかることができないでいる。が、それでは困るから我々は一時撤退する」
「……それはつまり、振りをする、ということだな?」

 晴景が察しよくそう言ってきたので、わたしはよろしい、とばかりに笑顔で頷く。

「そうだ。しばらくは警戒するだろうが、補給の問題もあって早々に坂戸城攻めを再開するだろう。連中が坂戸城に食いついている隙に、奴らをやり過ごして樺沢城を攻略する」
「つまり……坂戸城の上杉勢を、囮にするというわけですな?」

 連龍の確認に、その通りだと頷いてやった。

「しかしうまくいきますかな? 坂戸山は大きく、これに取り付いたらしばらくは離れられなくなるでしょうが、うまく反転されれば樺沢城の北条勢との間で挟撃される危険性もありますぞ」
「もちろんうまくやる。逆に坂戸城に知恵者がいるのであれば、逆に打って出て我々との間で挟撃する好機とみるだろう。それほどの者が、あそこにいるかどうかは知らないがな」

 正直そこまでは期待していない。
 挟撃の好機ではあるものの、その前に樺沢城を落とすことの方が先決だからだ。

「樺沢城攻めは、先陣の頼綱に任す」
「ははっ!」
「とはいえ副将の二人は雪葉に貸し出しているからな。わたしが代わりを務めよう」
「へ? い、いや、その」
「何だ。不服か?」
「あり難き幸せにてございます!」
「よろしい」

 雪葉に千騎ほど与えているから、頼綱が指揮している兵は二千余。城攻めをするには少々心もとないが、どうせ一度に攻めかかれる兵数など限られているし、奇襲によるつもりだから一度で一気に落とせば済む話である。

 まあそのためにわたしが出張るわけだが、久々に愉しめそうだ。
 ついつい舌なめずりをしそうになって、いかんいかんと思いとどまる。

「晴景様は七千騎をもって、坂戸城から引き返してくる北条勢を食い止めてもらう。もし連中が我々の動きに気づかないような愚図どもなら、その後背を突いてやればいい。樺沢城を落とすまでもなく、北条勢は壊滅だな」
「それは良いが……やはり危険ではないか? 城攻めもそうだが、北条をうまくかわして背後を進むというのは難しいと思うが」
「うん。だからもう一つ手を打ってある」

 心配性のわたしが、こんな賭けみたいな手段を日頃から用いるはずもない。
 そんなことをするくらいなら、大人しく長期戦を選ぶ。
 つまり、勝算が高いことを自覚していたからだ。

「武田に動いてもらう」

 徳川家康が駿河に侵攻したことで、撤兵を余儀無くされた武田勝頼だけど、完全撤兵に至ったわけでもない。
 実は春日山城からこの坂戸城付近でうろうろしていたのである。

 目的は勝頼に言わせれば和平の仲介ではあるが、北条が侵攻してきたことからも分かるように、北条方は武田に対して完全に疑心暗鬼に陥っていたといえるだろう。

「しかし武田勢は動かぬのでは?」

 景忠の疑問に、別に動く必要はない、とわたしは答えた。

「それでも坂戸城の麓近くに現れ、陣を張ったら北条はどう思う? 仲介を掲げている以上、戦闘は発生しないとは頭では分かってはいても、気になって仕方が無いはずだ。つまり武田勢にせいぜい示威行為をしてもらい、その隙に迂回してやり過ごす、というわけだ」

 ついでに武田勢の存在は、反転する際の重荷になるだろう。
 もし追撃されたら、という不安が生まれるからだ。

「武田とはせっかく同盟を結んでいるんだ。それくらいは働いてもらっても罰は当たらないだろう。何、そこに突っ立ているだけいい。楽なものじゃないか」

 くく、と笑ってそう言えば、やれやれと晴景が頭を振っていた。

「あまり言いたくは無いが、その邪まな顔、兄上には見せてくれるなよ」
「……む。貞宗も雪葉もいないのに、晴景様がその代わりのするのは少し酷くないか?」
「色葉のためを思って申しておるのだ」

 まあ、わかるけど。

「わかったわかった。勝頼の前ではとびきりの微笑を拵えてやるから、普段は目をつむれ」


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