朝倉天正色葉鏡

第77話 松永久秀

朝倉天正色葉鏡 畿内動乱編 第77話

     ◇

 再び時をやや遡り、天正六年七月。

 大和国に築かれた信貴山城主であった松永久秀は、思わぬ来客を迎えることになっていた。
 深夜にその娘はいずこからか現れ、久秀の居室に我が物顔で座り込んでいたのである。

「これはまた面妖な……。物の怪がわしに何の用じゃ?」
「へえ、驚かないの。噂通り肝が据わっているわね」

 挑戦的な笑みを浮かべたその娘は、まだ少女といった年頃だろう。
 しかしその娘が自慢げに広げている五尾の尻尾は、明らかに人の子ではない証左であった。
 何よりその雰囲気が、小娘とは思えない異様なものを放っている。

「というより、慣れておるでな。しかしこのような夜分に、いささか無礼ではないか? この年寄りの睡眠を奪うとは、それ相応の覚悟があってのことであろうな?」
「強気じゃないの。何だか嬲りたくなってきた」

 じわりと殺気を滲み出した少女に対し、久秀は呵々と笑った。

「そう毛を逆立てるな。今はこの場におらぬが、あれが気づいて戻ってくるぞ? それはもう、世にも恐ろしき奴がの」
「なにそれ?」
「まあ気にせずとも良い。それよりも何用か?」

 調子を崩されっぱなしの少女――乙葉は憮然としていたものの、これもお仕事お仕事……と自身に言い聞かせるように何度かつぶやいた後、まずは立ち上がって優雅に一礼し、自己紹介をしたのである。

「妾は朝倉色葉様にお仕えする乙葉という者よ。見知り置きなさい」
「朝倉、だと?」

 思わぬ名前に久秀は眉をひそめる。

「朝倉とは、あの越前の朝倉のことか?」
「そうに決まっているでしょ。ボケてるの?」
「ふむ……。して、朝倉殿がこのわしに用でもあると?」
「近くに使者が来ているわ。妾はその案内。ついて来て」
「今すぐか?」
「今すぐよ?」

 どうやら先方の都合などお構いなしのようで、至極当然のように乙葉は告げた。
 かなり傲慢な性格らしい。

「密会か……。たまには密会も愉しくあるが、しかし夜も更けているしのう」

 ぶつぶつと独り言のように洩らしながら、その裏で久秀は思考を巡らせていた。
 まずは安全性。
 この乙葉とかいう妖に同行することは、普通に考えて危険である。

 とはいえ命を奪う目的であるのならば、すでに実行しているはずでもあった。
 警備が厳重なこの信貴山城をあっさりと抜け、この居室までやってきた以上、この乙葉が見かけ通りの存在でないことは疑う余地も無い。
 むしろ同行しないと拒絶した方が、身を危うくするかもしれない。

 そしてこれは気のせいかもしれないが、何やら血生臭く感じた。
 こういう時にあれが外に出ていたというのは、運が良かったのか悪かったのか、正直図りかねてしまう。
 いたらいたでひと悶着起きていただろうし、かといっていなければいないでこうやって身の上が危険になるという、何とも困った事態になっていたからだ。

「夜じゃないと目立つでしょ? だからわざわざこんな夜更けに来てあげたのに」

 馬鹿なの? と言わんばかりの乙葉に、久秀は苦笑する。
 なるほど妖というものは、思いやりという精神が欠けているらしい。

「せめて用向きを告げよ。それくらいは容易かろう」
「用向きだとか何用だとか、うるさいわね。あなた、謀反したいんでしょ? だったら色葉様が手伝ってあげるって話よ」

 あまりに真っ直ぐすぎる返答に、さすがの久秀も一瞬、頭が真っ白になってしまった。
 何を言っているんだこの娘は、である。

「は、は、は。面白きことを言う。このわしが謀反じゃと?」
「誤魔化さなくてもいいわよ。色葉様はお見通し。本当は昨年のうちにしたかったんでしょ? でもできなかった。機会を得られなかったから。違う?」
「…………」

 久秀の顔から笑みが消える。
 にわかに真剣な面持ちになり、居住まいを正す。

「使者殿、とは?」
「大日方貞宗っていう、色葉様の側近が来てるわ。会った方がいいんじゃない? その方が愉しめるわよ?」

 言って、乙葉は笑う。
 それは奇しくも色葉が時折浮かべるものに酷似した、邪悪なものにも見えた。
 しかし久秀がそれに惹かれたことは、疑いようも無い事実だったのである。

「よろしい。会おうではないか」

 年老いてなお威厳を保ったまま、久秀は首肯した。

「そうこなくっちゃ」

 そんな久秀に、乙葉は満足げに頷いたのである。

     ◇

 松永久秀。
 戦国時代にあって、その悪名の付きない人物である。

 曰く、主君であった三好長慶の弟・十河一存や三好実休、また嫡男の三好義興の暗殺に関わり、三好家を乗っ取った。

 曰く、室町幕府将軍・足利義輝を襲撃し、これを殺害に及んだ永禄の変を引き起こした。

 曰く、東大寺大仏殿の戦いにおいて大仏殿は焼失し、大仏の頭を落とした。

 等々。

 史実ではこれに加えて二度、主君となった織田信長に対して謀反を起こしている。
 一度目は元亀三年に。
 二度目は天正五年のことであり、ここで久秀の運は尽き果て、自害に及ぶ。

 しかし天正六年に至った現在においても、久秀は織田家臣として健在であった。
 これは久秀が起こした天正五年の謀反の一因となった、上杉謙信の上洛――手取川の戦いが発生しなかったからに他ならない。

 史実の久秀は謙信の侵攻や石山本願寺などの健在をもって、十分に信長に対して謀反が成功すると踏んだのである。
 ところが手取川の戦いに勝利した上杉勢は、進軍を停止。
 それ以上の侵攻を行わなかったため、久秀の当てが外れることになる。

 元亀三年の謀反の際は武田信玄の死によって失敗し、天正五年の謀反は上杉謙信の動きによって失敗と、運を得られなかった人物であるともいえるだろう。
 ともあれ、このように久秀は未だに織田家臣ではあったものの、虎視眈々とその機会を伺っていたことは事実であった。

「夜更けの密会であるならば、やはり男ではつまらぬのう」

 信貴山城にほど近い寺へと入った久秀を待っていたのは、一人の青年――大日方貞宗である。
 貞宗は乙葉とはまったく逆で、初見から礼儀正しく一礼し、その姿はひとかどの武人を思わせるに十分であった。
 が、久秀にしてみると、やや印象が違ったらしい。

「随分と苦労をしている顔じゃな?」
「……恐縮です」

 事実その通りではあったのだが、近くに乙葉が控えているのでその通りとも言えず、貞宗は言葉を濁すに留めた。

「さて大日方と申したか。この松永弾正に謀反を唆しに来たとのことであるが、まことかな?」

 その単刀直入な物言いに内心苦笑しつつも面には出さず、貞宗は首を横に振ってみせた。

「松永殿は元々幕臣であられる。そして将軍・足利義昭様からの御内書もありますれば、謀反とはいえますまい」
「まあ、理屈ではあるな」
「とはいえそのような建前は置いておいて、我が主からの言葉をお伝え致します」
「主、か」

 朝倉家の当主は朝倉景鏡であることは、織田領内でもすでに広く知られている。
 また武田勝頼の弟が朝倉晴景と改名して景鏡の養子となったことも、同様に知られていた。

 しかしもう一人。
 朝倉色葉という名の姫の存在もまた、静かに知れ渡りつつあったのである。

「乙葉とか申した遣いの者が言っておったが、そちの主は朝倉色葉姫とのこと。相違無いか?」
「いかにも」

 この事実の確認は、再び久秀の興味をくすぐった。
 噂に聞く色葉姫。
 一説によれば、再興した朝倉家を裏から牛耳っているという。

 朝倉家はこの数年で瞬く間に北陸を制圧してしまったが、それを実際に主導していたのがその姫であるならば、相当な逸材であることは間違いない。
 そんな輩が自分に接触してきたということ自体、面白きことである。

「で、どのような言葉かな」
「――謀反を起こせば必ず失敗するが、わたしの為に構わず死ね、とのことです」

 あまりといえばあまりの内容に、久秀はまず笑ってしまった。

「この老骨に死に急げと、そう言うか」
「……申し訳ありませぬ。されどそのまま伝えよと厳命されたゆえ、ご無礼かとは思いましたが致し方なく」
「ふむ。他には?」

 伝えられた言葉を吟味しつつ、先を促す。
 案の定、続きはあった。

「――失敗はするが、今が最大の好機であることには違いない、とも」
「ほう。では何をもって好機であると?」
「――有岡城の荒木村重謀反」

 まるで久秀の疑問を見越していたかのように、貞宗は色葉を言葉を伝え続ける。

「荒木殿が、か。ふぅむ……」

 それが本当ならば、織田家にとっては由々しき事態である。
 これに久秀が呼応し、石山本願寺と連携できれば、畿内は一気に混乱の度合いを増すことだろう。

「……今、殿が越前侵攻のために兵を集めさせておるが、それをかわすために適当なことを申しているのではないかな?」
「その通りであると答えよと、主は申しておりました」
「なんと、ぬけぬけと」
「されど適当ではありませぬ。朝倉では今、越後の上杉の家督継承問題に介入し、有利な形で終息させることを狙って動いております。これが成せば、朝倉は背後の憂いなく畿内を目指せるというもの。そのためにはあと一年……いや、せめて半年の時が必要なのです。今越前に侵攻されても負けるつもりはありませぬが、万全の態勢とは言い難く、先は困難となるでしょう。しかしここで松永様が時を稼いで下されば、一年後には面白きことになると、主は申しております」
「面白き、か」

 その言葉を噛み締めるかのように繰り返し、しかし久秀は首を振る。

「しかしそれを見る前にわしが死しては本末転倒。それでは一人、つまらぬと言わざるを得ぬ」
「この大和国は越前国から離れており、一切の支援はできませぬ」
「であろうな」
「さればこの大和を捨てるお覚悟はおありですか?」
「む……」

 ここで久秀も、やや言葉に詰まった。
 三好家臣時代、久秀は大和一国を任されるにまでなったが、主であった三好長慶の死後、三好三人衆や筒井氏らとの争いの中で徐々にその勢力を縮小。
 特に筒井順慶とは長年に渡って対立し、大和国の覇権をかけて戦った経緯がある。

 その後、久秀も順慶も共に織田家に臣従し、大和守護の地位は織田家臣であった原田直政に委ねられることになるが、天正四年の天王寺の戦いにおいて討死してしまう。
 これにより次の大和守護が誰になるか、久秀が気になったのは言うまでもない。

 結局信長が任じたのは、筒井順慶であった。
 久秀は一度信長に対して反逆しており、当然といえば当然の措置である。
 とはいえ順慶は今や同じ織田家臣とはいえ、長年戦ってきた宿敵と言って過言ではない相手だ。

 そして順慶は大和における久秀の影響力を削ぐかのように、松永氏の重要拠点であった多聞山城を破却するなど行動を起こし、これに対して久秀が危機感を覚えたことはいうまでもない。
 ある意味でこの流れが、史実での松永久秀謀反の一因になったとさえ言えるだろう。

 ともあれ久秀にとってこの大和国支配は宿願であり、これを捨てろと言われて簡単に頷けるものではないことも、また確かだった。

「もし捨てる覚悟あらば、代わりに丹波一国を与えても良い、と主は申しております」
「何と」

 この丹波国も、久秀にとってまた無縁の地、というわけでもなかった。
 今でこそ波多野氏や赤井氏が台頭している丹波であるが、かつては三好氏の支配下にあり、その支配を任されたのが松永長頼――久秀の弟だったのである。

「またもや大言壮語よな。丹波どころか若狭すら朝倉のものではないというに、これを与えると申すとはな」
「丹波の波多野は今や明智勢に追い詰められておりますからな」
「ふむ……越中や能登で用いたのと同じ策、というわけか。とんだ食わせ物のようじゃな、色葉姫とは」
「褒められたと、主は喜ぶでしょう」
「……いよいよ会いたくなってきたものだ。その姫に」

 瞬く間に北陸を平定した手腕。
 上杉謙信には敗れたものの、すぐにも切り返して今や越後への影響力も得ようとする貪欲さ。
 同時に畿内方面にも目を配り、まさに今、このように謀略を駆使する知略。

 信長に対抗できるのは武田や毛利などではなく、朝倉ではないかと思ってしまうほど、その色葉という人物に対して興味が湧いてくることを、久秀は抑えることができなかった。

「失敗……なるほど。最初から失敗することを前提に動けと、そういうことか」

 再び反逆するのはいい。
 このまま大人しくしていたとしても、少しずつ筒井順慶めに勢力を削られていくことは目に見えている。

 そのような最期など、あまりにつまらぬではないか。
 であればもう一博打、ここで打ってみるのも一興である。

「謀反したとしても、大和に固執すれば死は免れぬが、捨てることができれば……生きる道もあると、な。そしてどちらの場合でも構わぬ、か」

 最初の色葉の言葉は、まさにその通りだった。
 とにかく謀反を起こさせ、信長の越前侵攻を遅らせることが色葉の最大の目的であって、結果的に久秀が死んだとしても構わないというのは、まあ本音だろう。

 しかし一方で丹波まで与えると言い、そのための手段も講じているような節から、決して使い捨てにする気も無い、というところか。

 そこまで考えた久秀は、思わずぎょっとなった。
 ここしばらく恐れなど感じたことは無かったが、それを久々に思い起こさせたのである。

「待て、待て……。そうであるならば、色葉姫は何としても謀反だけは起こさせるつもりじゃな? すでに何かしているな?」

 その察しの良さに、貞宗はさすがに感心した。
 すでに齢七十に達しているというのに、まるで衰えていない、ということだろう。

「まずは手付として、主よりの贈り物があります。――乙葉」
「はいはい」

 待ってましたとばかりに入ってきた乙葉は、何かを手にしていた。
 密会であるため、寺の中に灯りは無い。

 そのため何を持っているのかすぐには判然とはしなかったが、しかし次第に明らかになっていく。
 それは戦時には見慣れたものであり、しかし平時には縁の無いもの。

 首桶だった。

「――それは」

 乙葉は軽そうに持っていたが、しかしよく観察すれば重量感がある。
 何より久秀の目の前に置かれた時の音が、重々しかった。

「見てみれば?」

 首桶に入っているものなど、当然生首以外にあり得ない。
 久秀自身、これまで幾度も首実検を行っていることもあり、珍しくも無いものであったが……。

「大丈夫よ? まだ腐ってないから。もぎたてだもの」

 乙葉の言葉は軽いが、それはすなわち今し方何者かの首を取って入れた、ということだ。
 そういえば城で初めて乙葉を見た時、何やら血生臭く感じたのはそういうことだったのか。

 逡巡はあったが、それでも表面上はそれを見せることなく、久秀は首桶を近くに寄せ、その蓋を開ける。

 恨めしそうな死に顔。
 まだ若く、青年のものと思われるそれは、果たして久秀の想像した通りの生首であった。


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