朝倉天正色葉鏡

第75話 御館の乱

朝倉天正色葉鏡 畿内動乱編 第75話

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 時は遡り、天正六年五月。
 越後国。

 朝倉家と和睦を果たした上杉景勝は、電撃的に越後春日山城へと侵攻し、油断していた上杉景虎勢との間で激しい城内戦を展開した。

 景勝勢は一挙に本丸を奪取。景虎勢は三の丸に籠り、対峙の姿勢をみせたものの、景虎は早々に春日山城からの退去を選択することになる。

「さすがは景勝。こうも早く対応してくるとは」

 景勝を越中に置き去りにし、その間に態勢を整え、家督継承を行うつもりであった景虎にしてみれば、景勝の迅速な行動と春日山城を奪われることは、大きな誤算であった。

 景虎は春日山城を退去後、御館に移って本陣とし、態勢を立て直した上で春日山城の景勝と本格的な抗争に突入することになるのである。

     ◇

「まずは春日山城を奪取できたことは僥倖でしたな」

 斎藤朝信の言に、列席した家臣一同は意気揚々として頷いた。
 上座に座る景勝は、いつものごとく寡黙なままであったが。

 今回の春日山城への奇襲も、朝信の指揮の下、本庄繁長や河田長親、安田顕元らの諸将の勇戦があって電撃的に成功するに至っていた。

 春日山城は難攻不落の堅城ではあるが、その構造は十分に知り得ており、また景虎方の油断もあったこと、更には城内に景勝派の武将が多数存在していたことなども、成功した要因であるといえる。
 景虎が家臣を完全に掌握し切る前に反撃に及んだことが、功を奏したといえるだろう。

 景虎方も上杉家臣の諸将の帰趨を見据え、いったん御館に引いてこれを本陣とし、態勢の立て直しを図っている。
 この御館は関東管領であった上杉憲政の館であり、当然として憲政は景虎支持を表明していることは、言うまでもない。

「ともあれ早々に国内を平定せねば、由々しきことになる。北条、伊達、蘆名、そして武田……。周囲はみな、景虎様の支持に回ったゆえな」

 苦々しくそう言うのは、直江信綱である。

「北条は確実に景虎様の支援に動くだろう。何せ実家であるからな。北条にとってもこの上杉を乗っ取る好機でもある」
「とはいえ北条は今、佐竹や宇都宮と戦っており、即座には動けまい」

 安田顕元の言葉に、一同はいかにもと頷く。

「となると、恐らく北条は武田に援軍を要請するだろう。……で、あるな? 雪葉殿」
「はい。姫様はそのようにおっしゃっておられました」

 一同の中で唯一の女であった雪葉は、顕元に確認されて貞淑に首肯する。
 このような軍議の場に女人が列席することは異例ではあったものの、あの朝倉色葉の代理とあっては拒むわけにもいかない。

 そしてどういうわけか色葉は、越中での和睦の際に安田顕元と接触を持ち、代理として雪葉を遣わす約束を事前に取り付けていたのだった。
 雪葉は五月末には越後に入り、顕元を通じて軍議にも幾度か顔を出すようになっていたのである。

 越中や能登に侵攻していた上杉方の将の中で、雪葉の力を疑う者は少ない。特に重臣である斎藤朝信や、猛将として知られている本庄長繁が一定の敬意を抱いていることを知ると、少なくも周囲の者で何かしら異をみせるものは出なかった。

 ちなみに朝信と長繁は砺波山の戦いで朝倉方に敗北した際、捕らわれて虜囚の憂き目に遭っていたことがあるが、その間、その面倒を見たのが雪葉だったのである。
 色葉の命もあってだが、その時雪葉は誠意をもって捕縛した上杉諸将や将兵を扱ったため、敵でありながら密かに雪葉の人気が上がっていた、という事情もあった。

「恐らくすでに話は北条から武田へと伝わっており、武田勝頼様は程なくしてこの越後に進出してくるかと思われます」

 その言葉に、重々しい空気が場に流れた。
 上杉と武田は現在和睦をしているが、強固なものではない。

 そしてその武田と北条は婚姻同盟を結んでおり、北条が動けない今、当然の流れとして武田を動かそうとするはずだった。
 事実、そのような流れになっている。

「もっともこれは事前に読めたことでもある」

 そう言うのは朝信だ。

「我らが朝倉殿と和睦したのも、敢えて越中を譲り渡したのも、まさにこの日のため。武田は今のところ景虎様方として動いているようであるが、実際のところはどうなのか」

 景勝が色葉と和睦した際に、その条件として挙げられていたのが、朝倉による武田勝頼への仲介である。
 これは上杉の先を見越していたからこその条件であり、朝信の優秀さを垣間見ることのできるものでもあった。

「問題ありません。すでに勝頼様は姫様の要請を聞き入れ、景勝様への支援と約束されております。また姫様の働きかけもあり、勝頼様の妹君であられる菊姫様を、景勝様へと輿入れさせる話も出ています」
「なんと……」

 雪葉の言葉に、一同は驚いたようだった。

「ただし」

 そこで雪葉は一度言葉を区切り、家臣一同、そして景勝を見返して、改めて告げた。

「先の姫様との会談で話し合われたように、見返りは必要です。上杉様が支配される東上野、そして黄金多数……。これらの用意はできるのですか?」

 武田と朝倉がいかに良好な関係であるとはいえ、勝頼が景勝方につくことは、景虎方や北条家にとってみれば裏切り行為に等しい。
 確実に甲相同盟は破綻し、近い将来武田と北条が矛を交えることになるかもしれないのだ。

 北条家は大国である。
 武田家とて劣るものではないが、長篠の敗戦や、経済基盤の一つとなっていた金山の枯渇など、財政的に以前よりも苦しくなっているのも事実だった。

 現在では朝倉家より多大な支援を行っているため、駿河や三河の領国を維持できているものの、これが途絶えれば早々に干上がるのは確実である。

 一方の上杉領国は豊かであるため、その経済力は高い。
 その上杉からの支援が今後あてにできるかどうかは、武田にとっても重要な判断材料になるだろう。

「全て受け入れよう」

 ここで初めて、景勝が口を開いた。

「ご英断かと存じます」

 すぐにも頭を下げ、謝意を示す雪葉。

 この後武田方と上杉方の直接交渉はすぐにも始められ、上杉方からは斎藤朝信、新発田長敦が取次となり、また武田方からは武田信豊、跡部勝資、春日虎綱らが参加し、最終的に甲越同盟の締結に漕ぎ着けることに成功するのだった。


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