朝倉天正色葉鏡

第69話 魚津会談(後編)

朝倉天正色葉鏡 北陸統一編 第69話

 ここで不意に口を挟んだのが晴景だ。

「我が妻が欲している者どもを、上杉より直接引き渡すことは要求しない。彼らには能登国において……例えば七尾城を返し、畠山家に能登を返還する形で撤兵すれば良い。その後、我らが実力で能登を切り取る。その過程で遊佐や温井が我らに捕縛されたとしても、それは彼らの才覚が足りなかったがゆえ。景勝殿が気に病む必要もないのではないかと考えるが?」

 なるほど。
 ずいぶん譲歩しているが、悪い手ではない。

 能登平定に時間がかかってしまう点がやや気に入らないが、能登の抵抗勢力を一掃できるという利点もあり、後の統治はし易くなるかもしれない……か。

「色葉よ、如何か?」
「晴景様がそうおっしゃるのならば、否やはない」

 連龍も納得するだろうし、何より能登平定を任せることで、その働きを実際に見ることもできる。

「では、景勝殿は」

 しばらく黙していた景勝だったが、表情にこそ出さないものの、苦悩しているのだろう。
 晴景が提案したことは、結局裏切った畠山旧臣どもの死が逃れられないことを意味している。

 もちろん抵抗の機会は与えられるとはいえ、現在の能登国は疲弊しており、まともな抵抗など最初から無理なのだ。
 あくまで体裁を取り繕ったに過ぎない。

 しかしこれが政治である。
 清廉潔白では為せないことだ。

 そういった意味において、晴景は成長したのだろう。
 伊達にこれまでずっと、わたしがあれやこれやと指導してきたわけではない、ということだ。
 そう思うと機嫌も良くなり、やや寛大な気分にもなれたのである。

「……やむをえまい」

 景勝の返答に、家臣どもがほっとしたような表情をみせた。

「よろしい。では先の条件も受諾したとみていいか?」

 越中と能登の件である。
 まあ能登に関しては勝手に切り取り次第でどうぞ、ということになるが、越中の割譲は必須だ。

「それに関してはこちらも条件があります」

 ここで横から口を挟んだのは、斎藤朝信だ。
 どうぞ、とばかりにわたしは顎でしゃくる。

「朝倉殿は甲斐の武田家と縁続き。越中を割譲する代わりに、武田勝頼殿との仲介をお願いしたいのです」
「ああ、勝頼殿は景虎の支援を表明しているからな」
「その通りです」

 現在の武田家と上杉家は長篠の戦い以降、和睦して盟を結んではいるが、さほど強固なものではない。
 今回を機に、しっかりとした同盟を結びたい、ということだろう。
 そしてこれは史実でも同様の選択をしている。

「構わないぞ。しかし無償では動かないだろうな。金品なり関東方面の領地の割譲なり必要になってくると思うが」

 武田が景虎でなく景勝と結べば、当然それは武田と北条の関係が破綻することを意味している。
 それだけの見返りを提供しなければ動かないぞと、わたしは暗に言ってやったわけだ。

「協議する必要はありますが、受け入れざるを得ないでしょう」
「まあ、そうだろうな」

 今の景勝方には形振り構っている余裕などないはずである。

「そしてもう一つ。我が殿の上杉の家督継承を、まず朝倉家がお認めいただきたい」

 対外的に窮地に陥っている上杉とすれば、ここで朝倉家の後ろ盾を得ることはかなり大きな意味を持つ。
 続けて武田との同盟が成立すれば、更に強固になるだろう。

「いっこうに構わん」

 ここで晴景が大きく頷いた。

「景勝殿が上杉家を継承できなければ、我らとてここで交渉している利が失われるからな。そのための支援を惜しまぬことも約束しよう」

 力強く宣言する晴景に、わたしは少しだけ頭が痛いとばかりに尻尾を掴んで顔を隠す。
 景勝をこのお家騒動で勝利させることは、朝倉にとっても既定路線であり、そのための支援を惜しむつもりがないことは、まさに晴景が言った通りである。
 でなければ投資を回収できないからだ。

 とはいえ、少しでも朝倉の支援を高く売りつけようと思っていたわたしにしてみれば、晴景の真っ直ぐな言葉はやや早急に思えてつい舌打ちしてしまったが、上杉の家臣からしてみたら、心情的に好感できるものだったらしい。

 ……まあ、いいか。
 多少自棄になりつつ、わたしは後を続けた。

「晴景様は景勝殿の人となりを気に入ったようでな。望むのであれば、朝倉の軍勢を越後に派遣することもやぶさかではない。無論、そちらが越後に他国の兵を入れることを良しとすれば、だが」

 勿体をつけてそう言ったものの、これもまた当初からの目的だった。

 単純に支援を表明するよりも、実際に軍を派遣して大いに助力すれば、当然後の上杉での朝倉の影響力が増すというものである。
 そのため景勝を史実に比べて格段の窮地に陥れ、これを助けることで恩を得ようという、我ながらあくどい計画だったともいえる。

 結局この日の会談は半日に及んだものの、ほぼわたしが思い描いていた通りの結果に終わった。
 この結果は越中侵攻を始めた時から思い描いていたものであり、その通りに進んだともいえる。

 とはいえ計算外のことも当然あった。
 それが神通川の戦いであり、玄任らを失ったことである。

 やはり何もかもは、思った通りにはいかないものであると思い知らされた一件だ。
 ともあれどうにか軌道修正し、ここまでこぎ着けたことは良しとすべきだろう。
 晴景も成長したようで何よりである。

 そして天正六年四月十六日。
 朝倉家と上杉家との間で、正式に和睦が成立したのだった。

     ◇

 四月二十日には能登国から上杉の残兵が一斉に引き揚げを開始。
 二十七日には松倉城を本城とする越中の上杉の拠点であった各支城に集結し、各城の朝倉への正式な引き渡しが行われた。

 それまでに越後に至る北陸道の復旧を行い、道を開くと、上杉景勝は越後に向かって進発。
 わたし達はすぐにも城の接収を行い、各地の仕置きに奔走した。

 また能登に取り残された畠山旧臣らを討つべく、堀江景忠や長連龍に命じ、侵攻を開始。
 特に連龍の意気や凄まじく、反対に能登勢の士気はまったく振るわず、これを蹂躙することになる。

 ちなみに乙葉はわたしのために魂をかき集めたいとか言って、連龍について能登攻略に参加している。
 越中の平定はほぼ終了し、さしあたって晴景に危険も無いことから、わたしはそれを承知してやった。

 敗戦で手酷くやられて鬱憤も溜まっていたようで、適度なガス抜きは必要だろうという判断からでもある。
 とりあえず能登の方は景忠を総大将にしているし、任せておいても大丈夫だろう。

 問題は越後である。
 景勝が手早く朝倉と結び、越後への帰路を切り開いたことに、景虎側も思わぬ早さにやや動揺したらしい。
 手緩いことに、無傷での越後への侵入を許してしまっている。

 そして春日山城に籠る景虎との間で戦闘が開始された。
 この戦いの最中、越後にいた上杉諸将に対して景勝と景虎は工作を続け、次第にその帰趨が明らかになっていった。

 景勝側には上杉一門からは上条上杉家当主である上条政繁、山浦上杉家当主である山浦国清、山本寺上杉家当主の実弟である山本寺孝長らが加担。また謙信の側近であった直江信綱や斎藤朝信、河田長親らがこれに加わっており、その他には景勝の本拠地に近い諸将や春日山城のある上越の諸将がついたという。

 一方の景虎側には、上杉一門では先の関東管領であり、前山内上杉家当主であった上杉憲政を初め、その子の上杉憲重、また古志長尾家当主であった上杉景信、山本寺上杉家当主の山本寺定長が加担。他には重臣であり無双の勇士と謳われた北条高広が加わり、謙信の側近だった者からは神余親綱、河田重親、柿崎晴家などが加わり、さらに周辺諸国の戦国大名である北条氏政、蘆名盛氏、伊達輝宗なども加わっていた。

 まさに上杉家を二分する後継者争いである。
 当然朝倉家もこれに介入することが、わたしの狙いであったことは言うまでもない。

「姫様、またそういうお顔をされて……」

 などと言うのは、隣で酌をしてくれている雪葉だ。

「今は誰も見ていないだろう」

 少しだけ唇を尖らせて言えば、くすりと雪葉は笑んでみせた。

「そのお顔の方が、可愛らしくて素敵です」
「今さら可愛らしいとか言われてもな……」

 やれやれと肩をすくめて、わたしは一気に酒をあおる。

「さて雪葉、いよいよ越後に入ることになるが、案内を期待してもいいんだな?」

 越後は雪葉の生まれ故郷である。
 これ以上の案内人はいないだろう。

「もちろんです。それはともあれ姫様、このまま越後に進まれるのですか?」
「いや、一度越前に戻る」

 軍勢の一部は晴景に任せてこのまま留め置くが、わたしは一度兵を退くつもりだった。
 というのは予想していたとはいえ、長期に渡って越前を留守にしているからである。
 景鏡や貞宗から逐一報告は来るので今のところ問題は無さそうだが、それでも一度戻って仕置きをする必要もあるからだ。

 さらに言えば兵も疲れており、これを戻して休ませる必要もあった。
 特に越前衆を帰還させる必要がある。

「本格的に越後に入るのは秋になるだろう。それまでには能登の平定を終わらせ、越中で新たに兵を募ってそれをもって越後に入る。ああ、例のごとく今年の越中の税は免除するから、それをもって兵を集め、訓練させる予定だ」
「頼綱様のお仕事ですね」
「そうなるな」

 姉小路頼綱には約束通り、この越中を与えることになっている。
 配下には与力として椎名や神保をつけているから、越中支配も比較的やり易いはずだ。

 とはいえ責任重大であると脂汗でも流している姿が目に浮かび、やや笑えた。
 あれはあれで意外に面白い奴なのである。

「あまりからかってはいけませんよ? 姫様がお命じになった先の強行軍の中で、それはもう悲壮なお顔をされて進まれていたのですから、多少は労わってあげて下さい」
「む、お前、頼綱の味方をするのか?」
「面白いお方ですので」
「それは認めるが」
「それに姫様をお救いされた方でもあります。これは大いなる功でしょう」

 どうやら頼綱の奴、雪葉にかなり気に入られたらしい。
 それはそれでいいことだろう。

「さて、越前に戻る前に能登に寄っていく。乙葉への陣中見舞いを兼ねてな」
「大変喜ぶかと存じますよ」

 天正六年五月。
 北陸をほぼ平定し終えたわたしは、ひと時の休息のために越前への帰路についたのであった。


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