朝倉天正色葉鏡

第68話 魚津会談(前編)

朝倉天正色葉鏡 北陸統一編 第68話

     /色葉

 越後の龍と呼ばれた上杉謙信には、実子がいなかったことは有名な話である。

 これは謙信が生涯不犯を貫き、妻を持たなかったことに起因する。
 そのため彼の子は全て養子であり、上杉景勝、上杉景虎、山浦国清、畠山義春の四人がそれに当たる。

 畠山義春はこの時まだ幼く、山浦国清はかつて武田信玄と戦って敗れ、越後の謙信を頼った村上義清の子であり、謙信の養女を娶って山浦上杉家を継ぐに至っていた。
 ちなみにこの謙信の養女とは朝倉義景の娘であり、建前上、わたしと国清は義理の兄妹ということになる。

 ともあれ国清と義春の二人はいい。
 問題は景勝と景虎の二人だった。

 謙信は思わぬ急死を遂げたせいもあってか、明確に自身の後継者を定めていなかったのだ。
 血統からいえば、遥かに景勝の方が優位である。
 謙信の甥という立場に加え、また上条上杉家の血筋でもあることから、ある意味で長尾家出身の謙信以上に上杉家を継ぐ正当性があったのだ。

 一方の景虎は北条家の出身であり、上杉家の何ら縁を持っていない。
 普通ならば、すんなりと景勝が家督継承してもおかしくはなかったはずである。
 ところが話はそう簡単なものではなかった。

 越後国において、謙信の出である長尾家は一族の間での権力闘争が激しく続いてきた経緯があり、上田長尾家出身の景勝が当主になることを、古志長尾家の面々が認めなかったのだ。
 そのため家臣団は真っ二つに割れ、泥沼のお家騒動に発展することになってしまう。

 これが史実での御館の乱であり、上杉家の力を大いに削ぎ落す原因になった事件である。
 そしてこれは謙信の死の直後から表面化し、この世界においてもやはり同じように発生した。

 しかし史実と違うことは、景虎が越後に戻っているが、景勝は未だ戦場にある、といった点である。
 このことは景勝に大いに不利に働いた。

 史実での景勝は春日山城の本丸を初め、謙信が残した金や側近その他必要なものを素早く抑えることに成功したが、この世界においては当然実行できていない。
 越後で我が物顔の景虎に対し、景勝は敵に囲まれ窮地にあり、滅亡寸前といっても過言ではない状況になっていた。

 これは当然、景勝を敢えて逃がさなかったわたしのせいによるものである。
 そして狙い通り、景勝方より和睦の使者が訪れることになった。

 やって来たのは斎藤朝信と、本庄繁長である。
 二人に対し、晴景はその場での明言を避け、改めて交渉することを約束し、その場を魚津城に指定したのだった。

 わざわざこちらが敵陣に乗り込んで、和睦の交渉をしてあげよう、と言うのである。
 もちろんこれは、晴景の豪胆さを上杉に知らしめるためにわたしが出した案だ。

 危険であると家臣どもは反対したが、わたしは一蹴。
 とりあえず乙葉をつけておけば安心だろうとは考えていたが、ここで晴景は思わぬことを言ってきたのである。
 つまり共に魚津城に参ろう、と。

「良いのか? わたしが出ては、わたしが黒幕であると周知することに等しい。それにわたしはこのような性格だ。晴景様をないがしろにする気は無いが、いざ交渉となれば口を挟むだろうし、その言葉は不遜となるだろう。そのような嫁を連れて、侮られることにはならないか?」
「しかしそなたのことはすでに知られているだろう。またそなたは俺の自慢の妻である。何を憚ることがあろうか」

 などと晴景が言うので、まあそれならそれでいいかとわたしは同意した。
 その方が話が早いからである。
 ちなみに、

「きっと色葉様の自慢をしたいのね」

 などと乙葉は言っていた。
 まあ気にしないことにしたが。

 しかし家臣どもときたら、晴景が敵陣に行くと言った時には危ないと言って止めたくせに、わたしが行くと決まっても色葉様なら問題あるまいとか何とか言って、止めないのだから……実際のところ、家臣どもはわたしのことをどう思っているのやら、である。

 ともあれそういうことで、わたしは晴景らと共に魚津城に入り、景勝との直接交渉に挑んだのだった。

     ◇

 具足を纏った上杉勢が闊歩する物々しい魚津城へと、戦装束を脱ぎ捨て、正装でもって会見に臨んだ朝倉の使者を見て、とりあえず度肝を抜くことはできたようだった。

 特にわたしの姿を見て、である。
 朝倉方の代表としてわたしが進み出た時の様子は、まあ何というか見物であった。

 が、会見が始まって開口一番、他でもない晴景が予想外の発言をしたのである。

「良いか上杉の方々。この者は色葉と申す者。そなたらが朝倉の狐と散々嘲った我が妻である。これを謝罪しない限り、こちらは一切の譲歩をしないと心得よ」

 ……なるほど。
 わたしをわざわざ伴ったのは、これを言いたかったからなのだろう。
 まったく、わたしには惜しい夫である。

「富山城の折は、戦の倣いにてあらゆる手段を講じたまでのこと。が、いささか口汚かったことは認めるものである。朝倉殿を貶めるつもりは無かったことを信じていただきたい。証しとして、まずは私自らが詫びよう」

 そう言って、景勝は躊躇わずに頭を下げたのだ。
 これに驚いたのはむしろ、同席した上杉の家臣どもである。
 国主、またはそれに準じる者がそう簡単に頭を下げては侮られるもの。
 であれば、景勝の行動は異例であったともいえる。

「謝罪を受け入れる」

 そしてあっさりと、晴景は頷いた。
 晴景にしても景勝が実直で義に厚い人物であることはすでに知り得ているので、長く責める気も無かったのだろう。

「では交渉に移りたいが、まずは断っておく。我ら朝倉の実質的な当主は我や我が父ではなく、我が妻である。女子であるからと侮るようであれば、我が許さぬぞ」
「色葉殿の武名は我が父からも聞き及んでいる。朝信や繁長も世話になったことで、我が家中にそのような者はいないということをお約束しよう」
「まことに結構だ」

 そこまで言って、晴景は身を引いた。
 あとはわたしの好きにすればいい、というところだろう。
 内心で苦笑しつつ、泰然として口を開いた。

「朝倉色葉という。晴景様はああおっしゃったが、さりとて身構える必要も無い。少々転婆の過ぎる妻であると思っていただければ構わない」

 そうは言ったものの、わたしの気配に圧されてか、身構える家臣ばかりであったが。
 気にせずに、わたしは続けた。

「先日の上杉殿よりの和睦の件、受けるのはやぶさかではないが、条件がある。当然な」
「それは覚悟の上のこと。して、その内容は?」
「現在上杉が領有している越中国と能登国の割譲」
「……他には?」

 特に反応をみせないところを見ると、予め予想していたのだろう。
 まあ朝倉が越中国を寄越せというのは当然であるし、それを認めれば能登国が分断され、非常に統治が難しくなる。
 そんな能登を持っていたとしても、現状では役に立たないだろう。

「畠山家臣であった長一族を処刑した、遊佐、温井らの一族の引き渡しだ。わたしが庇護している連龍が欲しがっているのでな」
「引き渡したとして、彼らをどうするつもりか?」
「処刑する」

 ごく当然の答えに、しかし上杉の家臣どもはぎょっとしたようにわたしを見返していた。
 それも当然で、わたしの見てくれはそれはもう可憐であるらしく、そんなわたしから無慈悲な発言が出たのだから、その落差にある種の恐怖を覚えたのだろう。

「それはできかねる」
「ふうん……?」

 景勝の返答は早く、短いものであったが、なるほどこの男の性格をよく表したものであったといえたかもしれない。
 なるほど晴景が気に入るわけである。

「それでは上杉を頼って降った者を、こちらが裏切ることになる。そのようなことをすれば、今後上杉に降る者は出てこないことになるだろう」
「なるほど。納得できる答えだ。しかしそれは上杉の都合。朝倉の都合はそれを認められないことは承知しているはずだとも思ったが?」

 長一族の中で唯一に近い生き残りである長連龍であるが、寄る辺を失ってからはわたしが庇護しており、連龍もまたわたしに仕えることを良しとしていた。

 この人物はなかなかに有能で、しかも目的のためには手段を選ばないような危うさもあるが、しかしその目的を貫徹しようとする意思はなかなかのもので、わたしも感心していたのである。
 はっきり言えば、気に入っていたのだ。

 そんな連龍がわたしに望むのは、当然一族郎党を皆殺しにされた恨みを晴らすことであり、遊佐や温井は憎き仇なのである。
 わたしとしては、望みの物を与えるのにさほど躊躇も無かった、という次第である。
 それで連龍の忠誠を得られるのならば、安いものだったからだ。

「殿、畠山旧臣は今でこそ我ら上杉に従っておりますが、大殿の死を知ればその限りではありますまい。ここは、切り捨てる判断も必要かと」

 上杉家臣の中から、一人がそんな具申をする。
 あれは……河田とかいっていた奴だったか。

「しかしそれは我が義に反する。降伏を促し、受け入れた我が父も許さぬだろう」

 頑として首を縦に振らない景勝へと、家臣たちは不安そうにわたしと景勝を交互に見やった。
 ここで決裂すれば話にならないが、それで困るのは上杉である。
 とはいえ景勝の性格をよく知ってか、家臣どもも強くは言えないようだった。

 義理堅いことは人として魅力的かもしれないが、上に立つ者としてはどうだろうというのがわたしの素直な感想である。
 結局これらは感情のまま生きていることと大差無い。
 大事を為す時には、今のように足枷にしかならないのだろう。

「なるほど。景勝殿の性格はよく分かった。しかしそれでは交渉にならぬ。それでこういうのは如何か」


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