朝倉天正色葉鏡

第42話 越甲同盟

朝倉天正色葉鏡 越甲同盟編 第42話

     /色葉

 天正三年八月。

 甲斐国山梨郡古府中にある躑躅ヶ崎館において、武田家重臣が集められ、今後の方針について話し合われることになった。

 長篠の敗戦から約三ヵ月。
 領国の動揺を鎮め、一応の態勢を立て直すのに要した時間である。

 勝頼はまず山県昌景に居城である江尻城へと急ぎ戻らせ、遠江の守りを万全にさせた。
 昌景は徳川との最前線である江尻城代であり、駿河や遠江、三河の軍事を統括する身である。

 特に奥三河の諸城は武田勢の敗走に伴い、城を放棄して信濃に退却したこともあって、徳川の進出を許しかけていた。
 しかし昌景は即座に軍備を整え、田峰城などは一旦落とされたものの、菅沼定忠らの活躍もあって、これを奪い返すことに成功している。

 どうにか奥三河を死守し、また徳川の遠江への反攻も今のところ行われておらず、昌景の手腕は大したものだった。

 史実では奥三河の城は全て失陥し、遠江への徳川の侵攻を大いに許す羽目になったはずだが、長篠の戦いで徳川勢に大打撃を与えたことや、武田が余力を残せたことなどが、辛うじて現状維持を果たすことができたのである。

 しかし問題は織田の動向だった。
 織田信長は嫡男である織田信忠に命じて、美濃岩村城を包囲。

 七月になって、岩村城代の秋山虎繁は勝頼に援軍を要請し、史実とは違い遠江方面が比較的安定していたこともあって、勝頼は即座に出陣。

 この勝頼の動きに対し、信長もまた自ら出馬。
 しかし勝頼の援軍到着を前に、岩村城は陥落。
 秋山虎繁以下城兵はほぼ全滅するという結果になり、それを聞いた勝頼はやむなく戦わずして、撤退した。

 この援軍派兵の際、勝頼自身に乞われてわたしも同行していたのだけど、この結果はやや不可解だった。
 信忠勢に包囲されていたとはいえ、まだ補給路は生きており、加えて城代の秋山虎繁は有能な人物であったようで、岩村城はそう簡単に落ちるはずがなかったのである。

 城兵が全滅してしまったため、詳しいことは分からないが……。
 何となく、嫌な感じがしたものである。

 ともあれ岩村城は失ったものの、信濃国境はこれを死守し、織田勢もそれ以上の進軍を行わなかったことで、一時は高まった緊張も現在はやや落ち着いてきているようだった。

 そんな中で八月に入り、躑躅ヶ崎館での会合となったのである。

「今さら改めて言うまでもないが、此度は朝倉殿の尽力により、武田は大いに救われた。ここに礼を言うと共に、武田と朝倉殿の関係を明確にしたく思う」
「我らがより良い関係の為に微力を尽くしたまでのこと。お褒めに預かるほどのことでもありません」

 ばっちりと打掛を着こなして、しとやかにわたしはそう返す。

 そんなわたしの様子に、周囲の武田の家臣どもからは、また猫被ってるよ、と言いたげな視線がいくつも送られてきて、わたしはにこりと笑ってそれらの方へと視線を返すと、そいつらは素知らぬ顔で明後日の方を向く始末だ。

 ここに来てそこそこ経つし、長篠では散々暴れて尚且つ武田の家臣どもを顎で使ったのである。
 わたしの性格や本性など、とうの昔に知れ渡ってしまっているというものだ。

 それでもわたしの働きが武田を最悪の結果から救ったことは間違いなく、ある種の敬意のようなものが向けられていることも、また事実だったが。

「まずその証拠として、両国の間で同盟を締結する。これは単なる軍事同盟に留まらず、経済支援を含めた複合的な盟約である」

 同盟の締結自体は、長篠の戦いより前に決定されていたものの、その時はあくまで軍事同盟、という位置づけだった。
 その後、通商を含めた経済的なものを含めた交渉を行ったこともあって、今回それが明確に示されることになったのである。

「まずは色葉殿の弟君である朝倉孫八郎殿を武田に迎え入れ、我が妹の松を嫁がせる。また我が弟である盛信を越前に送り、色葉殿には正室となっていただく。これにて両国に新たな縁が生まれ、より強固な結びつきになるだろう」

 広間に驚いたようなどよめきが起こった。

 そう。
 いわゆる政略結婚である。
 この時代にはよくあることで、ありていに言えば人質だ。

 本来ならば姫の交換、という形で収まるはずなのだが、何といっても朝倉方の姫はわたし一人である。
 朝倉の当主は、義理の父親である朝倉景鏡である、というのが表向きではあるものの、実際の支配者がわたしであることは、すでに武田の面々もわきまえていた。

 である以上、わたしが他国に嫁ぐことはありえない。
 そういうわけで、女子ではなく男子の交換、という運びになったのである。

「これはまた……盛信様はよくご決断されたものだ」

 などと言うのは信春である。

「しかしなるほど、とも思いますぞ。盛信様でなければ姫のお相手は務まらないでしょう」

 とか言うのは、昌幸。

「とはいえ不憫な」

 などというけしからん感想まで耳に届いたりする。
 小声でつぶやいているつもりだろうが、わたしの耳はとてもいいのだ。
 獣耳ならぬ、地獄耳である。

 しかし盛信、というのは誰のことなのやら。
 家臣どもは当然分かっているだろうが、余所者のわたしはちょっと分からない。
 実をいえば相手の名を聞くのは今日が初めてであり、勝頼は自分に近い者を選ぶ、と言っていたのだけど……。

 弟、ということは、当然武田信玄の息子の一人、ということになるわけか。
 アカシアがいれば説明してくれるのだろうけど、今は手元にないので聞くこともできなかった。

 しかし結婚ねえ……。
 こんな形で経験することになるとは思わなかったな。

 そして当然相手は男。
 まあ……自分が男だったことなどもはや忘却の彼方とはいえ、やや複雑な気分ではある。

 それにしても、よくも承諾したものだと思う。
 わたしの本性は知れ渡っているし、亭主関白などまずありえない。
 しかも尻尾の生えた、妖もどきである。

 例え剛腕な男であったとしても、わたしに敵わないことは、戦場で共に戦った武田の者なら皆知っているはずで。
 自分が言うのも何だかなという感じではあるものの、物好きな奴である。

 ともあれめでたい仕儀である、と賑やかになるつつ広間だったが、勝頼はそれを軽く制して、場が静まったところで先を続けた。

「この婚儀の結納品として、飛騨を平定する」

 再び場がどよめいた。

「飛騨、でございますか」
「そうだ。我が武田領と越前とでは、領国を接していない。これはお互いに軍事協力するにせよ、経済協力するにせよ、不便極まりないことだ」

 飛騨国の一部はすでにわたしの支配下にあるものの、その大半は姉小路氏の支配するところである。
 そしてその姉小路氏は、もともと武田に恭順していたものの、信玄の死によって離れ、現在では織田方に傾いているという。

「まずはかつてのように臣従を呼びかけるが、これに従わない場合は武田、朝倉両軍をもって一気にこれを叩く。その後、朝倉殿は北陸平定を、我らは三河平定に乗り出すことになるだろう」

 これが事前にわたしと勝頼で話した、両国の基本的な方針である。
 北陸平定は、つまるところ一向一揆の平定に等しい。
 これをどうにかしないと、常に後顧に憂いを持つことになり、前面の織田と対決することに支障がでてきてしまう。

 それ以外にも、越前一国の経済力では、とても織田に対抗できないという理由もあった。
 少なくとも北陸一帯を支配でもしない限り、織田とまともには戦えないだろう。

「北陸……ということは、越中まで攻め入るおつもりか?」

 そう尋ねてきたのは、海津城代の春日虎綱である。
 この人物も山県や信春と並ぶ武田の重臣だ。

「そのつもりです」
「となると、越後の上杉とぶつかる可能性が出てくるが……」

 それも分かってはいた。
 これまでの越中国は、主に武田と上杉の代理戦争の場となっており、騒乱が続いていた経緯がある。

 しかし越中の国人らを調略していた信玄が死んだことで、今のところ武田は越中から手を引いた状態になっていた。
 こうなると、越中の者に上杉の侵攻を阻む力は無く、当然上杉は越中を平定しに軍を進めるはずである。

 つまり朝倉も北陸平定に乗り出せば、いずれ上杉と戦う可能性が出てくる、というわけなのだ。
 しかしこれについては思うところがあった。
 ここで話すつもりは無かったが……。

「我らはこのまま上杉とは敵対しない方針でいく。しかしかといって、長年の敵であった上杉に越中を取られるのは愉快ではない。朝倉殿の活躍次第ではあるが、臨機応変に、ということになるだろう」

 それでいいと、わたしも思う。
 実を言えば、上杉と織田は現在同盟中である。

 これは武田を牽制するために、信長の方から持ち掛けたものであるが、石山本願寺絡みでそのうち破綻するのは目に見えていた。
 とはいえそれはまだ先の話なので、今は下手に刺激しない方が賢いはずである。

「武田様の敵は当面徳川と織田ということになりましょうから、上杉と事を構えるのはうまくありません。越中までは朝倉が独力で切り取りますが、仮に上杉と抗争となった場合は、和睦の折の仲介となって欲しく思います」

 今のところ越後にまで攻め込むつもりはないから、どこかで落としどころを見つける必要が出てくる。
 その時に武田が仲介となってくれれば、話は早いだろう。
 武田も朝倉や上杉に恩を売れるので、悪い話ではない。

 もっとも相手は噂に名高い上杉謙信である。
 これに勝利することは、なかなか容易なことではないだろう。

 それはともかく今回の会合の場において、大雑把であるものの、両国の対外的な方針が固められた。

 我が朝倉は北陸平定を目指す。
 武田は東海平定を目指す。

 その第一歩として、協力して飛騨を落とす。
 さらには諸国の大名と連携して、織田への包囲網を再構築し、信長の進出拡大を極力防ぐ、というものである。

 また両国の経済協力についても話し合われた。
 まずは通商からである。
 これについてはこの三ヵ月でだいぶ突っ込んだ話ができたと同時に、武田領国での税制等などについても知ることができ、色々と勉強にはなった。

 やはり当初から思っていたように、武田の税制はかなり過酷で領民の評判はいまひとつである。
 土地柄の問題でもあるが、以前と違って武田領国は海に面するようにもなっており、国内が安定すれば財政も今よりはよくなるかもしれないが、このまま戦続きでは厳しいだろう。
 まあ朝倉領国も平定して一年足らずであり、似たようなものではあるけれど。

 また内政だけでなく、軍制についても色々と参考になった。
 さすがは戦国最強をうたわれていただけあって、見るべき点が多々あった。

 しかしそんな武田でも今回の長篠合戦を経て、鉄砲衆の拡充に力を入れることになったようだった。
 とはいえ以前からも力は入れていたし、長篠でも活躍している。

 ただ今回の織田勢が用意した鉄砲の数は半端無いものであり、それを打ち崩せなかったことが敗因の一つである以上、もっと力を入れなくてはいけないのは明白である。

 もちろんそれは、朝倉とて同じだ。
 堺や国友を織田に抑えられている以上、調達はなかなか難しい。
 やはり独自生産についても考えていかないといけないか。

 そうなると鉄や、弾薬についての問題も出てくる。
 特に鉄に関しては中国地方で良質な砂鉄が採れるはずなので、毛利との交易がますます重要性を持つということになる。

 すでに毛利との通商は始められつつあるが、まだまだこれからだ。
 しかし……やることが多いな……。

「それでは皆様方、これまで長く滞在させていただき、ありがとうございました。数日のうちに越前へと帰ることになりますが、またお会いできる日を楽しみにさせていただきます」

 やるべきことは全て指示しておいたとはいえ、すでに越前を離れてから数ヵ月が経過している。
 何かしら齟齬が出始めているはずで、戻って確認し、場合によっては修正しなければいけないだろう。
 それに少し疲れたから、休みたいというのもあった。

「信濃の国境までは、昌幸に送らせよう。道中の安全を願っている」

 そんな勝頼の言葉に、昌幸はうげ、とでも言いたげな表情になったが、一応わたしは昌幸預かりの身である。
 当然といえば当然だ。

「お心遣い、感謝します」

 そういうわけで、数ヵ月ぶりにわたしたちは越前へと帰ることになったのだった。


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