朝倉天正色葉鏡

第29話 苦労人

朝倉天正色葉鏡 越甲同盟編 第29話

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「これは大日方様。ご苦労されているようですな」

 その日、一乗谷の貞宗の館へと、客人があった。
 名は桜井平四郎といい、その父の平右衛門と共に、景鏡の家臣であった者である。譜代の家臣のいない貞宗のために、景鏡が亥山城に残した父子だった。

 亥山城を与えられた貞宗であったが、色葉の側近という立場から城を不在にすることも多く、その折は桜井平右衛門が城代を務め、一乗谷との連絡には専ら子の平四郎が奔走していたのだった。

 ちなみにこの一乗谷には色葉の居館を初め、城持ちの家臣の館に関しては、その周辺に設けられていた。
 それ以外に一般の民の姿や住居は無く、もの寂しい場所ですらある。

 貞宗の館は色葉の館の最も近い場所――一条谷川の挟んだちょうど対岸に建てられており、その規模は色葉のものに及ぶべくもないが、それでもかつて信濃にいた頃のことを思えば、十分すぎる立派なものである。

 その位置は色葉が決めたもので、当然この配置からも、貞宗が一段優遇されていることは、他の家臣の目からも明らかであった。
 とはいえそれを羨む者もいない。

 まず貞宗は色葉の古参の家臣であること。
 というより最初の一人として――直隆ら亡者を例外するならば――知られている。
 朝倉にとっては新参であるものの、色葉にしてみれば朝倉旧臣の方がむしろ新参なのだ。

 そしてもう一つ。
 誰もが色葉の周辺に侍ることを恐れているからでもある。
 その側近となるとしたならば、それは相当な覚悟が必要だといえたからだ。

「否定できぬのが苦いな。多少は疲れもしている」

 苦く笑いながら、貞宗は平四郎を中へと招き入れた。

「ところで例の者は如何相成りましたか。助かったのですか?」

 平四郎が言うのは、七日ほど前に貞宗に頼まれ、一乗谷まで遣わした医師のことである。

「とりあえず、命に別状は無いとのことだ。すでに意識も回復している。耳もいいようだからこの会話も聞かれているだろうが……まあ気にするな」
「然様ですか」

 もちろん医師を必要としたのは、貞宗が助けた信濃巫を診せるためである。
 この一乗谷にはもはや住む者もおらず、当然かつては存在した医者のような存在も無くなってしまっていた。
 そのため貞宗は、自分の領地から腕の立つ者を呼び寄せたのである。

「もっとも……あまり役には立たなかったようだが。いや、薮であったわけではないぞ。何というのか……霊媒、とでもいうのか。巫女ならではの神通力の類で、ある程度自力で治してしまったからな。骨折の方はさすがに時間はかかりそうだが、そのうち完治するだろう」

 必要だったのは休息で、表情には出していなかったものの、相当に疲労していたらしい。

「噂に聞く神通力、ですか。名の知れた武将は扱うことができるとも聞いておりますが、それがしには縁も無く……。本当にそのような力が?」
「ある」

 貞宗は即答した。

「かくいう私も多少は扱えるからな」
「まことですか?」
「とはいえ、あの信濃巫からすれば児戯のようなものではあるぞ。拙いものだ」

 貞宗がそれを学んだのは、かつて監視していた対象であった戸隠衆からである。
 この時代、例えば摩利支天などを信仰する武将は多い。
 その中にあって加護を得て、その神通力を扱えるようになった者などは、戦場で無双の働きを為したという。

「武田でも摩利支天信仰は盛んであったしな。それにお館様の好敵手であった越後の上杉謙信などは、毘沙門天の加護どころか、化身とまでいわれるほどの神通力を持っているとか。あれには個人では敵わぬと、お館様も苦笑いされていたという話を聞いたことがある」
「上杉謙信、ですか。確かにその名はよく耳にします」

 なるほど、と平四郎は頷いてみせる。

「戦場に立つのであれば、是非そのような力を身に着けたいものですが」
「さて、それもどうかと思うがな」
「何故です?」
「何の代償も無く、そのような力が得られるとは思わないことだ。必ず何か弊害が起きる。多少であれば役にも立とうが、深みに嵌れば命を削るぞ? もしくは心を、な」
「そのようなものですか……」

 貞宗が途中でその力を求めることを止めたのは、まさにそれが理由だった。
 戸隠衆の中には、そういった神通力を身に着けていた者も少なからずいたが、明らかに心を病んでいたように見受けたのだ。
 神の加護、あるいは神下ろし――何にせよ、ひとの身には余る行為なのである。

「あの信濃巫とて、すでに心を病んでいよう。お館様への忠誠心から心を保っていたのだろうが、それを失ったことで狂気に呑まれつつあるのだ。だからこそ、あのような残忍なことを平然と行うこともできたのだろうな」
「よ、よいのですか? ここでそのような話をされて……」
「わざと聞かせているんだ。気にするな」
「はあ……」

 豪胆なのか何なのか、貞宗は気にした風もなく寛いだ様子でいる。
 平四郎には理解し難いが、恐らくあの色葉の傍に仕えていることで、この貞宗の肝はとんでもなく大きくなってしまったのだろうか。

「健気ではあるが、惨いものだ」

     ◇

「ずいぶん勝手なことを言う方ですね」

 平四郎が帰った後、自室に一人となった貞宗の首筋に、冷たいものが押し当てられる。
 刀の刃。
 そんなものよりも、女の声から発せられる殺意の方が、よほど危険に思えはしたが。

「事実だろう? 望月千代女殿」
「……気づいていたのですか」
「貴殿ほどの神通力の使い手など……たとえ信濃巫であったとしてもそうはいなかろう。そしてお館様に対する忠節といい……私が知っている者の中で、他に思い当たるのもなかっただけのことだ」

 さして誇る風も無く、貞宗は淡々と答えた。
 女――望月千代女は多少なりとも不愉快そうにしながら、刃を引いた。

「立てるのであれば、早々に色葉様に目通りせねばならない。誤解は解けたようだが、色葉様はいたくご立腹だ。あれを宥めるのには骨が折れよう。そのためにももう少し、愛想のいい顔をしたらどうだ?」

 言いながら思い出すのは色葉の顔だ。
 普段は仏頂面であるあるものの、笑う時はとことん笑う。
 ひどく邪まな笑みを浮かべることも多いが、単純に楽しそうに笑うこともあるのだ。

「愚かな、ことを」
「待て」

 ぷい、と顔を背け、部屋に戻ろうとする千代女を、貞宗はやや厳しく制止する。

「良いか。どうやら色葉様は、貴殿が壊滅させた鳥越城のことも、隆基殿のこともすでにご存じのようだ。正直立腹どころの話ではない。本来ならここに跳んできて、火でもかけかねないご心境だろう。それでも何の音沙汰も無いのは、私との約束を守ってくれているからに他ならない。ああ見えて律儀な方だ。そして無慈悲ではあるが、寛大でもある。まずは謝罪をしろ。色葉様もひとに誇れるような人格の方ではないが、今回のことに関しては何の非も無いことは明白だ。謝罪すれば、助命の機会はある」

 一息に話して、息をつく。
 とりあえず、千代女の歩みを留めることには成功したようだった。

「よいか? 色葉様は今、武田との誼を望まれている。雪解け次第、甲斐へと立つおつもりだ」
「武田と……なぜです?」
「情勢を見ろ。諜報を担っていた信濃巫なら分かっているはずだ。今何とかせねばならないのは織田である。色葉様曰く、このままではすぐにも武田と織田は戦となり、武田は敗れるとおっしゃっている。それも甚大な被害が出ると。それを食い止めるために自ら赴くと仰せなのだ」
「…………」
「それを貴殿が邪魔している。いや、このままでは邪魔になってしまう。しかしここで貴殿が事前に根回しをしてくれれば、今後の交渉は多いに進展することが期待できる。今回の罪を払拭するに十分な機会だ」
「妖風情が武田と結ぶなど……」
「色葉様は賢明な方だ。ここで結べは武田にとって利はあっても害は無い。その程度の判断もできないか?」

 その挑発じみた発言に、千代女の瞳に殺気じみた光が宿る。
 が、すぐに霧散した。

「私は貴殿が来たことを、ただの不運で終わらせるには勿体ないと考えている。そういう意味では、貴殿を利用したいのだ。そのためにわざわざ色葉様の不興を買ってまで、貴殿を助けたのだから、応えてもらわねば採算が合わないだろう」
「勝手な、ことを……言うのですね」

 結局千代女は顔を背け、部屋へと戻ってしまう。

「……やれやれ。色葉様といい、あの者といい、どうして女子というのはこうも扱い辛い生き物なのか」

 一人、貞宗は苦笑するしかなかった。


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