服部正重 ~4代目半蔵

服部正重 ~4代目半蔵

 服部正重とは江戸時代の旗本。徳川氏家臣。
 通称は半蔵。いわゆる服部半蔵の一人。一般的に服部半蔵の名で知られている服部正成の次男である。

服部正重(はっとり まさしげ)
源氏車に並び矢筈
生年1580年(天正8年)
没年1652年(承応元年)
別名通称:半蔵
主君徳川家康⇒徳川秀忠
氏族服部氏
家紋源氏車に並び矢筈
父:服部正成
母:長坂信政女子
兄弟正就 正重 正広 女(中根正清室)
大久保長安長女
正吉

服部正重とは

由羅
由羅
4代目服部半蔵、だね!
服部半蔵はいっぱいいるね
イリス
イリス
由羅
由羅
でも正重も忍者じゃないんでしょ?
違うよ。江戸時代の旗本。服部半蔵の中では2代目の服部正成が有名だけれど、この人も忍者じゃないから。強いていうなら、初代半蔵だった服部保長が、まあ忍者だったっていえるかな
イリス
イリス
由羅
由羅
おじいちゃんが忍者だったんだね。だからその息子の正成も忍者っていうイメージがあったのかも
そうだね。それに伊賀同心と関りがあったことも、そういったイメージを膨らませたのかもしれないね
イリス
イリス

来歴

 服部正重は1580年(天正8年)に服部正成の子として生まれた。

 1600年(慶長5年)、石田三成と徳川家康との間で勃発した関ヶ原の戦いが、初陣となったという。

 この前日、徳川の陣にいた正重は父・正成の初陣の時の話や、活躍を聞いたとされており、翌日行われた合戦の前に敵陣へと侵入し、寝込みを襲って敵の侍大将の首をあげ、家康へと届けたとされている。

でもこれは勝手にやったことだったから、功ありとは認められず、恩賞は無かったそうだよ
イリス
イリス
由羅
由羅
抜け駆けの類だものね
 また1614年(慶長19年)に、徳川氏と豊臣氏による大坂の陣が勃発すると、父の跡を継いでいた兄・服部正就が戦場にて行方不明となり、その代わりとして服部家の家督を継承。さらには服部半蔵の名を襲名した。
恐らく兄の正就は天王寺の戦いで討死したのではないか、とされているよ
イリス
イリス
 服部家は服部半蔵の名と共に、伊賀同心頭領として知られているものの、先代の兄・正就への抗議騒動に関連して伊賀同心支配の任を解かれてしまっており、正重は大久保長安と共に佐渡金山での政策を担当したといわれている。

 しかし1612年(慶長18年)、大久保長安事件が発生。

由羅
由羅
よく耳にするけど大久保長安事件って?
江戸時代の初期にあった、粛清事件のことだよ
イリス
イリス
 この事件で正重は特に咎めを受けることはなかったが、目付から佐渡にて待てと命じられたにも関わらず、佐渡島対岸の出雲崎にて目付一向を出迎えたことが家康の逆鱗に触れ、三千石は没収され浪人となることを余儀なくなされたという。
由羅
由羅
怖いよねえ。ちょっとしたことですってんてんになっちゃうんだから
 正重はその後流浪して越後国内の三藩で家来として仕えることになるが、そのどの藩も取り潰しやお家断絶などの憂き目に遭い、その度に浪人となってしまうことになる。
由羅
由羅
うわあ。むしろ正重が疫病神の類に見えてきた
取り潰しなどはよくあったことだし、よほど運が無かったんだろうね
イリス
イリス
 5年の流浪の末、兄・正就の正室の実家であった久松松平家の松平定綱に召抱えられることとなり、2千石を得、桑名藩の家老として服部家は存続することになる。

 そして1652年(承応元年)に死去した。享年73。

ちなみに桑名の正重の子孫の家を大服部家、正就の子・服部正辰の子孫の家を小服部家と呼んでいるよ
イリス
イリス