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一乗谷城の御城印

 一乗谷城とは戦国時代の山城であり、越前朝倉氏の居城。
 朝倉氏は一乗谷城を中心に越前国を支配し、戦国時代にあって栄華を築いた。
 現在は一乗谷朝倉氏遺跡として知られている。

 所在地は福井県福井市城戸ノ内町。

朝倉館唐門

一乗谷城の御城印

一乗谷城御城印その一・ノーマルver.

一乗谷城御城印
一乗谷朝倉氏遺跡の朝倉義景館にある、象徴的な建物である唐門と、朝倉氏の家紋である三盛木瓜による意匠だな
色葉
色葉
由羅
由羅
一乗谷城、だけど、描かれているのは「城」ではないんだよね
一乗谷城は山城で、もちろん遺構は残っているが、建物等が残っているわけじゃないからな
色葉
色葉
由羅
由羅
ちなみに実際の朝倉館の唐門はこんな感じだよ
唐門

一乗谷城御城印その二・明智光秀ver.

由羅
由羅
これは?
御城印……といっていいかどうかは分からないが、一枚目のに加えてもう一枚、別のデザインのものが販売されているぞ
色葉
色葉
由羅
由羅
それはいいけど、どうして明智光秀なの?
もちろん、大河ドラマ『麒麟がくる』にのっかって、だろうな。明智光秀が何者か、ということに関しては、下記の記事に詳しいぞ
色葉
色葉

明智光秀【時は今、敵は本能寺にあり】明智光秀とは戦国時代の武将。織田家重臣。本能寺の変において主君・織田信長を討つも、中国大返しにより羽柴秀吉と戦い、山崎の戦いにおいて敗北。逃亡の最中、落ち武者狩りに遭って殺害されたとも、自害しともいわれている。このことが本能寺の変より僅か13日後のことであったため、三日天下といわれる由来となった。...

一乗谷城御城印その三・アマビエver.

そしてさらに、第三の御城印も存在していたりするのだ
色葉
色葉
由羅
由羅
え? 一枚目と同じ……あ、何かヘンなのがついてる…?
変とは失礼な。アマビエだぞ?
色葉
色葉
由羅
由羅
あ、ほんとだ。疫病退散のアマビエだね。これもコロナ禍ならではだねえ……

一乗谷城の歴史

 一乗谷を本拠とした朝倉氏は、朝倉氏の歴代当主の中でも戦国初代とされる朝倉孝景(英林孝景)の代に、それまで本拠としていた黒丸の地(福井市黒丸町)から一乗谷に移ったとされている。

 ただこれは『朝倉始末記』の記載によるものであり、『朝倉家伝記」や『朝倉家記』といった別の史料によると、室町時代を飛び越えて南北朝時代にはすでに、一乗谷を本拠地としていたという。

 応仁元年(1467年)に発生した応仁の乱により、京より多くの文化人が越前国へと逃れてきたこともって、一乗谷は北の京と呼ばれるほどに発展したとされている。

 こうして戦国時代と呼ばれる時代にあっても、一乗谷は戦火も無く発展を続けたが、のちに織田信長が台頭するようになると、時の朝倉氏当主・朝倉義景はこれと対立。

 そして天正元年(1573年)刀根坂の戦いで義景は信長に大敗を喫し、義景は一乗谷を放棄することになる。
 これにより、一乗谷は織田勢に放火されて灰燼に帰することとなった。

 その後越前一向一揆などの争乱を経て、越前国を治めた柴田勝家はその本拠を北ノ庄に定めたことにより、もともと山間にあった一乗谷は辺境の地となり、田畑の下に埋もれていくことになったという。

由羅
由羅
でもそのおかげで、現在に至るまで良好な遺跡が地下に保存され、今に当時の面影を伝えることができているんだよ!
それらは一乗谷朝倉氏遺跡として、全国的にも有名になった、というわけだ。ちなみに肝心の城だが、その一乗谷を守るために一乗城山に築城されたのが、一乗谷城、というわけだな
色葉
色葉
由羅
由羅
一乗谷城についての詳細は、下の記事に詳しく書いてあるよ!
一乗谷城【一乗谷朝倉氏遺跡】 一乗谷城とは福井県福井市城戸ノ内町にある戦国時代の山城。越前朝倉氏の本拠地となった。現在、一乗谷城と山麓の城下町の遺跡を含めて、一乗谷朝倉氏遺跡と呼称している。1971年(昭和46年)7月29日、遺跡全体が国の特別史跡の指定を受け、1991年(平成3年)5月28日にはそのうち4つの日本庭園(諏訪館跡庭園、湯殿跡庭園、館跡庭園、南陽寺跡庭園)が一乗谷朝倉氏庭園の名称で、国の特別名勝の指定を受けた。...

一乗谷城御城印の入手方法

 一乗谷朝倉氏遺跡内にある、復原街並南入場口受付にて、購入可能。
 住所は福井県福井市城戸ノ内町28-37。
 販売時間は9:00~17:00。
 価格は一枚300円。

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