朝倉家景 ~英林孝景の父にして、朝倉氏第6代当主

朝倉家景 ~英林孝景の父にして、朝倉氏第6代当主

 朝倉家景とは室町時代の武将であり、越前朝倉氏の6代目の当主です。
 応仁の乱を経て、斯波氏より越前国の覇権を奪取することになる朝倉(英林)孝景の父親としても知られています。

朝倉家景(あさくら いえかげ)
三盛木瓜
生年1402年(応永9年)
没年1451年(宝徳2年)
改名小太郎 為景 教景 家景
家紋三盛木瓜(みつもりもっこう)
父:朝倉教景
兄弟将景 僧 僧 娘(織田久長室?)
堀江利真室 孝景 経景 輿市郎、景冬 光玖 聖室宗麟 久嶽紹良 定国

朝倉家景とは

 1402年(応永9年)に朝倉教景の子として誕生した。

 父・教景は室町幕府の命に従い、関東の乱である永享の乱や結城合戦に参戦し、武功を挙げた人物として知られている。

朝倉家景に関しては、朝倉氏歴代当主の中でも特に事績不明の人物として知られているの
イリス
イリス
由羅
由羅
父親の教景はそこそこ名が残っているし、子の孝景なんかは物凄く知られているのに、その間の家景は……なんでだろう?
それはわからない。朝倉家の興亡を記した『朝倉始末記』なんかでも、孝景の父親、程度のことしか書かれていないし。群書類従所収の日下部系譜に至っては、教景の次は孝景になっているくらいだから
イリス
イリス
由羅
由羅
家景、飛ばされちゃったの?
うん
イリス
イリス
由羅
由羅
ひ、ひどい……
それくらい、何も知られていない謎の人物なんだよ。たまたま史料が残っていないだけなのか、本当に何もしていなかったのか、意図的に消されたか……とか、色々勘ぐってしまうけれど
イリス
イリス
由羅
由羅
結局何も分からない、ってことだよね
 家景は父同様、教景という諱や為景とも名乗ったとされているが、詳しいことは分かっておらず、1451年(宝徳2年)に教景に先立つ形で死去した。享年49。

 その家督は嫡男・孝景が継ぐことになるが、長命であった教景がそれを補佐することになる。

家景の子である経景や景冬、光玖といった人物は長兄である孝景を支え、朝倉氏が越前国を平定するのに誰もが一役買うことになっていくの。でも家景の弟である将景とは反目し、のちに孝景によって討ち取られることになるなど、家景の次の世代において、朝倉氏は争乱の時代を迎えることになっていくんだよ
イリス
イリス

朝倉家歴代当主

 第1代 朝倉広景 1255年~1352年
 第2代 朝倉高景 1314年~1372年
 第3代 朝倉氏景(大功宗勲) 1339年~1405年
 第4代 朝倉貞景(大心宗忠) 1358年~1436年
 第5代 朝倉教景(心月宗覚) 1380年~1463年
 第6代 朝倉家景 1402年~1451年
 第7代 朝倉孝景(英林孝景) 1428年~1481年
 第8代 朝倉氏景 1449年~1486年
 第9代 朝倉貞景 1473年~1512年
 第10代 朝倉孝景 1493年~1548年
 第11代 朝倉義景 1533年~1573年