雨森清貞 ~海赤雨三将と称された近江浅井氏の臣、雨森弥兵衛

雨森清貞 ~海赤雨三将と称された近江浅井氏の臣、雨森弥兵衛

 雨森清貞とは戦国時代の武将であり、近江浅井氏の家臣。
 同じく浅井氏の家臣であった、海北綱親赤尾清綱らと共に、その頭文字をとって「海赤雨三将」や「浅井三将」と呼ばれていた。
 また雨森弥兵衛の名が、通称としてよく知られている。

雨森清貞(あめのもり きよさだ)
生年不詳
没年不詳
別名弥兵衛
主君浅井久政浅井長政

雨森清貞とは

由羅
由羅
雨森清貞より、雨森弥兵衛の名前の方がよく知られているよね
そうだね。でも清貞自身のことについてはほとんど知られていないの。つまり、史料が乏しいというか
イリス
イリス
由羅
由羅
浅井三将の一人なのに?
そう。三人の中では一番謎の人物かもしれないね
イリス
イリス

雨森清貞の事跡

 清貞の生年や没年は分かっていない。

 戦国時代、北近江を支配していた浅井氏の家臣として、浅井久政の代から仕えていたとされ、近江国伊香郡の雨森城主を務めていたとされる。

由羅
由羅
久政の代からってことは、浅井三将の中じゃ、一番若かったのかな?
遅くに出仕した、とういうだけかもしれないけれど、確かにそうかもしれないね
イリス
イリス
 浅井氏にあって、また国政や合戦などで活躍していた人物であったとされているが、清貞についての史料は乏しく、その事跡はほとんど不明なままである。

雨森氏について

 清貞が仕えた浅井氏は、浅井長政の代に朝倉氏と織田氏の対立に端を発した抗争に朝倉氏側として参戦し、数年間に渡って戦うことになった。

 1570年(元亀元年)に勃発した姉川の戦いにおいては、清貞と同じ雨森一族であった雨森清良が討死。
 家督はその弟であった雨森清次が継承したとされている。

 1573年(天正元年)には、浅井氏が小谷城の戦いを最後に滅亡。
 雨森氏は同じ浅井氏家臣であった阿閉貞征(織田氏に内応して浅井氏滅亡の遠因となった人物)について織田氏に降ったものの、1582年(天正10年6月2日)に本能寺の変が起こり、織田氏当主であった織田信長は横死。

 阿閉貞征は謀反した明智光秀についたが、同年(天正10年6月13日)に山崎の戦いにおいて明智氏が滅ぶと阿閉氏も共に滅び、雨森清次は蟄居したといわれている。

 その後、清次の子であった雨森清広は、江戸時代になると松江藩に仕えたという。

由羅
由羅
結局浅井家滅亡の際に、清貞自身がどうなったかすら、はっきりとは分かっていないんだね
そういうことになるね
イリス
イリス
由羅
由羅
肩書や名前は知られているけれど、やっぱり謎の人物、というわけかあ