明智氏と家紋【桔梗】

明智氏と家紋【桔梗】

 明智氏とは清和源氏土岐氏の支流の氏族。
 戦国時代から安土桃山時代の武将であり、本能寺の変で織田信長を討ち取った明智光秀が著名である。

明智氏(あけちし)
桔梗
【桔梗】
本姓清和源氏頼光流土岐氏流
家祖明智頼重
家紋桔梗(水色桔梗)
出身地美濃国可児郡明智庄
著名人物明智光秀 明智秀満 細川ガラシャ(明智珠)
支流妻木氏 惟任氏 明智土岐氏 等

明智氏とは

由羅
由羅
明智氏っていうと、やっぱり明智光秀が有名だね!
まあ本能寺の変というビッグイベントの当事者ということもあって、知名度は抜群ね
アルティージェ
アルティージェ
由羅
由羅
あと、明智小五郎?
……あれは小説の中の登場人物でしょう。江戸川乱歩の
アルティージェ
アルティージェ
由羅
由羅
そうなんだ?
そうなのよ。まあ……一説には明智光秀と桂小五郎の名前から合わせた、というのもあるけれどね。定かではないわ
アルティージェ
アルティージェ

土岐氏支流としての明智氏

家祖・明智頼重

明智氏はもともと土岐氏の一族であるといわれているわ
アルティージェ
アルティージェ
由羅
由羅
土岐氏?
美濃国の守護を務めた一族よ
アルティージェ
アルティージェ
由羅
由羅
そうなの? 美濃国っていったら斎藤家じゃないの?
……まあ、一般的に知名度が上がってくる戦国時代後半になると、美濃国は斎藤家によって支配されているけれど、元々は土岐氏が治めていたのよ
アルティージェ
アルティージェ
 土岐氏は摂津源氏の流れを汲み、南北朝時代の美濃国の守護であった土岐頼貞の九男・長山頼基の子である明智頼重が、明智家の祖といわれている。

 明智氏は室町幕府の奉行衆を務め、可児郡長山の明智城を本拠としていた。

由羅
由羅
この明智頼重の子孫が、明智光秀ってこと?
そういうことね
アルティージェ
アルティージェ

斎藤道三による国盗り

 戦国時代になると、美濃国では斎藤道三が現れて下克上により土岐氏を降し、美濃一国を支配するに至る。
 この時の明智氏は、土岐氏の一族でありながら道三の傘下に入ることで存続を図った。

由羅
由羅
うまくやったんだね
この時はね
アルティージェ
アルティージェ
由羅
由羅
この時は?
そう。この時は、ね
アルティージェ
アルティージェ
 斎藤道三には嫡男・斎藤義龍がいたが、その弟である孫四郎や喜平次らを偏愛したことで、道三と義龍の関係が悪化。
 ついには道三が義龍の廃嫡を考え始めたことで、1555年(弘治元年)に義龍は二人の弟を殺害し、道三に対して挙兵した。
この時、かつての土岐家の家臣たちは道三の国盗りの経緯からほとんど道三に味方しなかったのよ。ところが明智氏は何を思ったのか道三に味方してしまったというわけ
アルティージェ
アルティージェ
由羅
由羅
国盗りした時に真っ先に道三に味方した経緯から、じゃないの?
そうかもね。でもこれが失敗だったわけよ
アルティージェ
アルティージェ
 長良川の戦いにおいて、道三は戦死。
 道三方であった明智城は義龍によって攻められ、一族は離散した。

明智光秀の躍進

明智光秀像
《明智光秀像》
由羅
由羅
明智氏の滅亡の危機、だったわけね
そういうこと。でもこの時に逃れたのが明智光秀で、越前国に逃れて朝倉義景に仕えたとされているわ
アルティージェ
アルティージェ
由羅
由羅
あれ? 光秀って信長の家臣じゃなかったの?
後でね。10年間ほどは朝倉家に仕えていたそうよ
アルティージェ
アルティージェ
 1556年(永禄9年)、越前国に足利義昭が訪れるとこれに従って義昭を征夷大将軍に擁立。
 この時に尾張の織田信長に仲介しており、信長の家臣にもなったという。

 その後信長の元で活躍し、功績を上げ、坂本城や丹波亀山城を与えられて、畿内に大きな知行を得るに至る。

 しかし1582年(天正10年6月2日)の本能寺の変にて信長を討つも、その後の山崎の戦いで羽柴秀吉に敗れ、敗死。
 この時、光秀の嫡男・明智光慶や従兄弟の明智秀満といった主要な者は坂本城で自害に至り、その他の者も離散して、明智氏は滅亡した。

本能寺焼討之図
《本能寺焼討之図》

明智土岐氏と明智定政

由羅
由羅
何とか存続してきた明智氏だけど、結局信長と一緒に滅んじゃったんだね。
そうね
アルティージェ
アルティージェ
由羅
由羅
でも完全に断絶したわけじゃないんでしょ?
血筋自体はね。例えば光秀の娘の明智珠(細川ガラシャ)なんかは細川忠興に嫁いでいたから、その血筋は今も残っているわ
アルティージェ
アルティージェ
由羅
由羅
他には?
後は明智定政。明智氏の傍系なんだけど、1552年(天文21年)に斎藤道三と土岐頼芸との内紛の際に巻き込まれて、この時まだ幼かった定政は外祖父だった菅沼定広を頼って落ち延びて、のちに菅沼藤蔵と称し、1564年(永禄7年)に徳川家康の家臣となって活躍し、1582年(天正10年)に大名に取り立てられて明智定政と名を改めた人物がいるのよ
アルティージェ
アルティージェ
由羅
由羅
徳川家にも明智っていう家臣がいたんだ
ええ。さらにこの後には没落した土岐家の名跡を継いで、これを再興し、土岐定政と改称したの。いわゆる明智土岐氏の祖となったわけね
アルティージェ
アルティージェ

桔梗紋

桔梗
【桔梗】

 明智氏が用いたとされるのが桔梗紋である。

 この家紋はキキョウ科の多年草であるキキョウの花や葉、茎を図案化したもの。
 桔梗は秋の七草の一つでもある。

 土岐氏が使用した代表紋であり、その支族である明智氏も使用した。

鎌倉時代の成立時、土岐氏初代である土岐光衝が戦いにおいて野に咲いていた水色の桔梗の花を兜にさして戦ったところ、勝利を収め、縁起がいいということで図案化されて家紋として使用されるようになった……という由来だそうよ
アルティージェ
アルティージェ
由羅
由羅
なるほど
 桔梗紋は土岐氏を始め、頼光流では太田氏、遠山氏、池田氏、明智氏、肥田氏、妻木氏、高田氏、脇坂氏、福島氏、三沢氏、菅沼氏、義家流では松平氏、花井氏、榊原氏、小紫氏などが用いたとされている。
由羅
由羅
ちなみに水色桔梗ってよく言うけど、これは?
読んで字の如くよ。基本的に様々な家紋は黒色だけで表現されていたけれど、この水色桔梗は水色で表現されていたの。これは目立ったことでしょうね。あと信長なんかは自身が平氏の出ということもあってか、清和源氏頼光流の象徴ともいえる桔梗紋を羨ましく思っていたそうよ
アルティージェ
アルティージェ
由羅
由羅
信長に妬まれてたのね
妬むのと羨むのとは少し違うと思うけれど……まあ紙一重かしらね。ただこの桔梗紋は光秀が信長を討ったり、その後秀吉と戦って敗死したりした経緯から、裏切り者の家紋として憚られたり、不吉な家紋として扱われることもあったようね
アルティージェ
アルティージェ
由羅
由羅
本来は縁起のいい家紋なのに、残念だね

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